mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

相続が明かす家族関係

2016-09-16 10:37:33 | 日記
 
 昨日は、ささらほうさらの月例会。お題は、「争続にならぬための一考察」。相続にまつわる法的な仕掛けの解説を聴く。遺言をめぐって争いになるケース、自筆証書遺言と公正証書遺言の作成法、公正証書遺言をつくる際の費用や必要「資料」。さらに「相続の種類」に移り、遺言による相続、法定相続、遺産分割協議書による相続――家庭裁判所による遺産分割調停の進め方などを、丁寧に説明してくれる。
 
 講師のNさんは目下、「被告」だという。相続をめぐって地裁に訴えられ、「被告」の立場に身を置いているそうだ。むしろそちらの方の話に気持ちを魅かれた。本題ではないから、子細には言及しないのだが、垣間見える「争い」に、長年連れ添った夫婦のかたち、一人の女性の生き方とその親や兄弟姉妹とのかかわりが映し出されてくるように思った。
 
 子どものいない年寄り夫婦の奥様が亡くなった。亡くなって分かったのだが、生前、弁護士に(自筆の)「遺言書」を預けていた。それを弁護士が開示し、ご亭主が「そんなことは聴いていない」と憤ったところから、今回の「争続」がはじまった。ご亭主は、家裁に調停を、地裁に「遺言書無効」の訴えを起こした。たまたま亡くなった女性の妹と結婚していたために、Nさんは「まきこまれ」、地裁や家裁の審理に立ち会うことになった。家裁ではご亭主が「申立人」となり、Nさんたちは「相手人」として「遺産分割調停」が進められている。また、地裁では「遺言書無効」の審理が、ご亭主を「原告」とし、Nさんたちを「被告」として行われているそうだ。
 
 相当な資産があったのかと思ったのだが、Nさんに言わせると、ご亭主の要求は「法定相続」にあるらしい。つまり、自分に内緒で奥様が「遺言書」を作成していたことに腹を立て、無効を申し立てているのであって、裁判費用や弁護士費用などのことを考えると、むしろ利得はないに等しいという。「遺言書」の内容が直に明らかに話されたわけではないから推察するしかないが、一億の手前くらいの額の遺産があり、何十万円(?)かづつを奥様の兄弟姉妹に遺贈する、またいくらかの額を奥様が関係してきた幼児教育施設に「寄付」するというものであったようだ。遺産の額も庶民感覚からいうと、大きいと言える。
 
 ここで夫婦の「かんけい」が浮き彫りになる。奥様がそれだけの資産をもっていたこと、管理していたことを、ご亭主はどう考えてきたのか。奥様は声楽を学ばれ、イタリア留学までしたそうだから、それなりの社会的地位と収入をえていたのであろう。そういう独立した社会的活動をしていたとすると、ご亭主とは違った自立した生活感覚を持っていたであろうし、「遺言書」をご亭主に知られずに弁護士に託したのも、生前に夫婦の間で「争いごと」にしたくなかったからとも推察できる。ご亭主も80歳。仕事をリタイアして悠悠自適の暮らしであったろうから、女房の「仕打ち」に腹を立てているだけかもしれない。
 
 ご亭主にすると、いっしょに過ごしているときは、女房と自分の財布が別々とも考えていなかったであろう。「女房元気で留守がいい」くらいに考えていたかもしれない。だから「遺言書」があろうとなかろうと、相続によって失われる(自分以外の人が受け取る)分は「損失」と受け止めるに違いない。争いたくなる気分がわかる。それに対して、遺産を受け取る兄弟姉妹の方には、降ってわいた「利得」である。では、急に発生した「利得」が欲しくて「争う」わけは、なんだろう。
 
 じつはこの奥様は長女であった。ほかの兄弟姉妹からすると、親が何よりも世話を焼き、声楽を学ばせ、イタリア留学の資金も援助した。加えて、幼児教育施設をつくってご亭主を園長にして、生活援助もし、それなりの資産を長女に残してきたとみている。つまり、お姉ちゃんの資産のかなりの部分は、自分たちの親の資産(が元手)だったと考えているわけだ。だから、当然受け取る資格があると考える。お姉ちゃんもそう考えて「遺言書」をつくったに違いない、と。そこで、ご亭主とぶつかるわけだ。
 
 Nさんはというと、義理の姉のことであるから裁判に顔を出す(傍聴する)必要もないのだが、根っからの好奇心が働いて、「争続」がどう行われるか興味津々でみている。家裁では「遺言書」がある種の条件を満たしていなかったので、有効ではないと判断している。だが、姉の(遺言書に記された趣旨の)「遺贈したい」気持ちは汲まねばならないだろうと、調停が進んでいるようだ。そうなるとご亭主は、女房の資産には自分の稼ぎが振り込まれていたとか、病んで入院してからの経費にこれほど多額の資金が必要であったとか、いろいろと言い立てて、兄弟姉妹への「遺留分」をできるだけ削ろうとしているという。そうすると、兄弟姉妹の方も対抗手段として、弁護士を通じて銀行に過去十年分の姉の預金の出納状況を提出させる。すると、振り込まれていたという金額が存在しないことが明らかになる。しかも亡くなってから後にご亭主によって、「委任状」でもって、多額の預金が引き出されている。まさに「争い」になっているというのである。
 
 さて、話を聞いていて、子どももいる私たち夫婦にとっては、「遺言書」で格別の相続を講じる必要がないと分かる。まず何よりも、それだけの遺産がない。法定相続通りに行われれば、相続税もかからないくらいだ。むろんカミサンと子どもの仲が悪くて、額の多寡にかかわらず争いが起こるというのであれば、遺産が少ない分だけカミサンに残してやらねばならないだろうが、カミサンも自分の仕事で稼いだ金と共有名義の家とがある。その家も、売り払わなければ相続できないほどの資産ではない。こうした場合、「法定通りに相続してください」と遺言するのかと聞いたら、Nさんに笑われた。
 
 もうひとつ気になったことがあった。兄弟姉妹が、何十年かの(無沙汰かどうかは人によって違いがあろうが)間を置いて、突如、姉が亡くなって「かかわり」が甦ったとしたら、急に「親族」になれるだろうか。私の兄弟姉妹は、カミサンの方も私の方も、全員子どもがいて相続の話がこちらに回ってくる懸念はない。だが今の相続のシステムは、「親族」の紐帯を形式的に紡いでいる。子どものいる兄弟姉妹の方は、子どものいない兄弟姉妹のことを、日ごろ「親族」として考えてもいない。いや、こう言っては誤解を招くかもしれないが、子どものいない兄弟姉妹が生活に窮して助けを求めてきた場合、どういう援助をするだろうか。子どものいる側としては、自分の資産は兄弟姉妹に回す(法的)必要はない。だが、子どものいない兄弟姉妹は、自分の資産を兄弟姉妹が相続する「遺留分」さえ「義務」づけられている。これは、(相互性において)不公平ではないか。もちろん、子どものいる兄弟姉妹の資産相続を、兄弟姉妹にまで広げよと言うわけではない。ますます事態が複雑になってしまうからだ。だとしたら、子どものいない夫婦の資産は、(遺言がない限り)生き残っている配偶者に全額相続させて、もしその寡婦/寡夫の一人暮らしが亡くなったときに、兄弟姉妹なり、「親族」なりに相続が発生するというように改めた方がいいのではないか。あるいは、公共資産にしてしまうとか。
 
 子孫に美田を残さず。争うほどの資産がなくてよかった。そんなことをあれこれと考えさせてくれた月例会であった。