mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

てふてふは韃靼海峡を渡ったのか

2016-09-28 05:24:48 | 日記
 
 《かつての日本の植民地の中でおそらく最も美しい都会であったにちがいない大連……》と書きはじめられた清岡卓行『アカシアの大連』(講談社、1970年)を読んだ。一昨日(9/25)の「セピア色の土地の物語」の、鮎川哲也『ペトロフ事件』を先に読んでいてよかった。「ペトロフ事件」は、昭和17年の大連を舞台にしたミステリ。ただ、大連の市街地図と、大まかな遼東半島の地図と旧満州の哈爾浜(はるびん)から旅順までの満州鉄道の概念図を掲出していて、物語りの展開にともなって人がどこをどう移動しているか、一目で俯瞰できるように書かれていた。そのおかげで、清岡卓行の《(フランス語で)大連は女性名詞、旅順は男性名詞》という表現をふくめて、その二つの街が当時の鉄道で1時間半の距離にあり、遼東半島から今にも零れ落ちんとする葡萄のひと房のように特異な位置を占めている感触がみてとれる。
 
 「アカシアの大連」は、やはり大連生まれの主人公が東京の大学からひとたび帰郷・療養し、その間にソ連軍がやってきて戦争が終わり、日本人の多くは本国へ引き上げていく中で、人の生死や暮らし、人とのかかわりを我が身に照らして振り返る。哲学的な短編である。鮎川哲也と同じ風景を描いているが、清岡は大連の風景が自らの身と切り離せず、それがかたちづくっていまに至る心境とを重ねて描いているから、地図に血が巡って起ちあがってくる。
 
《列車は海水浴場に着く。彼は小学生で、家族と一緒だ。そこは、夏家河子(かかかし)という面白い名前の土地で、大連と旅順の中間にあり、金州湾に面しているが、その海は、時間によっては、恐ろしく遠浅だ。彼は沖の方へどこまでも歩いて行く。静かな海の水は、いつまでもお臍より高くならない。》
 
 この夏家河子が、「ペトロフ事件」の舞台となった土地でもあるが、鮎川の著述からはその気配は浮かばない。「その住宅街は……弥生ヶ池と鏡池にはさまれて帯状をなし」とか「……柳、ポプラ、アカシヤなどの並木が、ほぼ六メートルの感覚で植えられていた」という街路の様子も、その町並みが「ヨーロッパふうな感じ…大型な石造建築…煉瓦の積み方にはイギリス式とオランダ式」があったり、「中国人ふうのふつうの家のほかに、崖から崩れ落ちそうになっている掘立小屋のような家とか、風に吹き飛ばされそうな屋根に重たい石をいくつも載っけて、いまにもつぶれそうになっている家とか……」と、いろいろな文化と植民地支配の構造やソ連軍が入ってきてからの、しかし、穏やかなかかわりが、単なるノスタルジーではなく、主人公の心象形成と不可分であることが描き止めらる。
 
《小学生のときの彼にとっては、怪訝ながらも異様なだけの眺めであったが、二十二歳になっている彼にとっては、もはや肯定することができない事実であった。……人生の真実であったとしても、それが民族のちがいに対応しているということは、許すことができない野蛮なことのように感じられた。》
 
 これは、今これを読んでいるあなたはどうなのか? と問うていると感じられる。おそらくそれは、私が戦中生まれの戦後育ちとして体験した子どものころの「社会」のありようと深く結び付いている。内省を求める視線が行間に張り付いている。大連が昭和17年からの74年を経て、どう「戦後」を蓄積しているのか、見てみたくなった。
 
 そうそう、ひとつ、思わぬ発見があった。《てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった。》という短詩が、安西冬衛の「春」という作品の一節だと分かった。1960年代後半に寺山修二の文章の中に見て、私はてっきり彼の作品だと思い込んでいた。清岡の作品中では、この短詩をこうとりあげている。
 
《彼(安西)によれば、この詩の発想も、大連という都会を地盤とすることなしにはあり得ないはずであった。/そこでは、北方の韃靼海峡(間宮海峡)という地理的な国際性の荒々しい危難が舞台になっている。そしてその激浪あるいは凪の上を、若々しく可憐な生命を象徴する一匹の蝶が、大胆にも軽々と渡って行く。それは短編アヴァンギャルド映画にでもしたいような緊迫の動的なイメージであり、そこに春のふしぎな情感がかもしだされている。》
 
 20歳代の半ばであった私が、この短詩をどう受け止めて覚えていたのか、いましっかりとは思い出せないが、つかみどころのわからない「世界」を、どこへ向かうかわからない不安を抱いて、ひらりひらりと飛ぶしかない「てふてふ」に、我が身を同一化して共感していたのではなかったろうか。「アヴァンギャルド」とも「軽々と」も思っていなかったなあ。ひ弱な、あてどない自分の内心と「韃靼海峡」の荒波に(かかわることもできず、ただただ)渡るしかない身の、(何をしているんだろう、俺は)という茫漠とした問いを、日々の暮らしに紛れ込ませていたなあと、いまさらながら振り返る。
 
 そんなふうに「本」を読みつつ昔日の我が身に思いを致しながら、麻雀の半荘が終わるのを待っていたのが、昨日の午後であった。

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