mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「天の授けたサプライズ」の教訓

2015-05-22 06:34:11 | 日記

 遭難しないことを前提に毎回山行を行っていますが、考えてみれば、むしろ遭難することを想定して装備を整えておくことが必要であろうと思いました。

 

 今回のアクシデントで私が得た教訓を羅列すると、以下のようになります。

 

1、迷ったときに脱出できるかどうかは、地図を持っていること。それも、自分が一日に歩く地域の地図ばかりでなく、山中に迷い込んだ時にフォローできる広い範囲の地図を用意しておくこと。離脱したときにどこの町に出ることができるかも、読み取れるようでなくてはならない。私自身が感じるのは、見通しが立つときにはわりと楽観している。見通しが立たないときには、不安になり、適切な判断ができなくなる可能性がある。

 

2、分の位置が読み取れないことが、まず一番の遭難原因になる。逆に言うと、「ここにいる」という思い込みがうまく解除されないと、深みにはまる。

 

3、 万一どこにいるかわからなくなった時、やはり最優先にとる対応策は、迷いはじめた地点まで戻ることである。

 

4、そこに戻ると、明るいうちに目的地にたどり着けないということも考えられる。たくさんの人が一緒の場合は、歩けなくなる人が出ることも想定しておかなければならない。①ヘッドランプを全員が用意しておくこと、②防寒着(雨具とその下に着る防寒着)を全員が準備しておくこと、③予備食(あるいは簡易な行動食)を各人が1食分持っていること、④リーダーは簡易ツエルトを持参すること、⑤リーダーはコッフェルとガス、ストーブを用意していると、もっとよい。露営(ビバークbivouac)は、やむなくやっていると思うと気分が落ち込む。暗くなって歩くよりは、体力を温存して明るくなってから行動するために露営するという気持ちが必要である。

 

5、今回の恵まれた点は、車をとりに行ったメンバー以外の人たちがよけいな距離を元気に歩いたこと。それには(たぶん)その瞬間のリーダーがいたからであろう。どなたがその指揮を執ったかはわからないが、どうするかの決断と面々の気力を醸し出す力とが集団の中にあった。それにリーダーは救われている。

 

6、私自身の大雑把な(甘い見通し)が大きな遭難に結びつく恐れがあることが、今回の最大の教訓である。どこかで民家に出るであろうという見通しは、バンで来ていた登山者によって確認できたからわかったけれども、彼がいなければ、もっと奥地へ踏み込んでいて、もっと悪い事態になっていたのは間違いない。

 

 グループで行動するときには、(道に迷ったときのふるまいなど)全員の力量が問われます。落ち着いて行動するとは、「非常な事態」に際して、まず日常的な感性と感覚を捨てることです。時間についても、空腹や気持ちの沈み込みなどについても、日常感覚を断念をすることによってずいぶん落ち着きが取り戻せます。ちょっとしたアドヴェンチャーを楽しんでいると思うことができれば、落ち着きは万全と言っていい。まさに「天の授けたサプライズ」を、非日常的な場面で味わおうと思いましょう。

 

 そんなことを考えさせてくれた「サプライズ」でした。


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