mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

名を遺す不明を恥じる?

2022-10-11 07:01:37 | 日記
 手掌の手術をした私に、半世紀来の付き合いをしている友人から、「国際人になったなあ」と揶揄う手紙が届いた。
《2~30年前、中央競馬にクロフネという破格な強さを持つ名馬がいました。典型的なマイラーで芝、ダートを問わず鞍上の武豊は乗ってるだけで後続をぶっちぎるその勝ち方が豪快でファンを喜ばせたものです。で、そのクロフネの父馬(種牡馬)の名がなかなか覚えられなかったのを今でも覚えています。現在こそちゃんとフレンチデピュティと言えますが、英語に疎いのであの頃もデピュティ(deputy)が代理とか使節を意味する語とはつゆも知らず、デピュティかデピテュかデュビティかこんがらがってしまったものです。
 そんな思い出から話を切り出したのは、あなたの手掌の病名デュビュイトラン拘縮のカタカナ部分の舌を噛みそうな綴りに掛けたかったからです。デュビュなんて舌が縺れちゃいますよね。人名から採られたそうですが、いかにも口を細めてぼそぼそってな感じのフランス語臭い、ナントカランってえのも、元大統領のミッテランとか、「会議は踊る」で有名なウィーン会議のそれこそフレンチデピュティだったタレーランがお馴染みで、件のデュピュイトラン先生もきっとフランス人だと思いますね。
 セカイの山々を踏破したあなたはそれだけで十分国際人でありますが、珍しいフランス人名付きの疾病に罹患して、病理学的にも重ねて立派な国際人になったんだなあと改めて自らの手をじっと見て、その感慨に浸って下さいまし。》
 そうだね、デュピュイトランて人の名前とは聞いたが、それがどんな人でいつ頃それを「発見」したのかは、どうでもいいことと思ってきた。
 ところが、読んでいた本に思いがけずデュピュイトランの名前が出ていて驚いた。ジャン・ダヴィド・ゼトゥン『延びすぎた寿命――健康の歴史と未来』(河出書房新社、2022年)。
 感染症との闘いがどう行われ、良く名を知られたジェンナーやパスツールやコッホという「微生物による感染(推測)と発見の時代」、WWⅡ以後の「医学の時代」、21世紀の健康問題、結果としてそれが「後退」しているという現在の状況分析を、飢餓や社会の混乱に目を留めて、地球の気候の未来を予測し、気候変動や新型コロナウィルスなどの感染症への対応が意味する所を描き出そうという意欲的作品の最初の方。
 ところが「解剖学者で軍の外科医として有名なギョーム・デュピュイトラン」とあるが、ほとんど名を記す必要もないほどの文脈に登場している。彼の教え子のルイ・ルネ・ヴィレルメル(1782~1863)が、「社会疫学の創始者の一人」として果たした功績を解説する部分である。
 《「パリ近郊で生まれ」たルイ・ルネ・ヴィレルメル(1782~1863)は外科医となってナポレオンに仕えた。(1)監獄に入っている人の健康を調べ、環境を良くすれば健康が改善することを示した。(2)貧困と死亡率の関係を明らかにした。社会疫学の創始者の一人。(3)科学雑誌『公衆衛生と法医学』を共同で創刊、1829年。1840年にイギリスの労働条件を調べ報告書。イギリスの衛生運動として後に継承されていく。》
 まるで行きがけの駄賃、ヴィレルメルの枕詞のように名前が記されているだけ。生年も没年もない。このデュピュイトランが件の手掌の「拘縮」の名付け親なのかどうかも判らない。同姓別人か。ただ、半世紀来の友人が見立てたようにフランス人であることは間違いないようだ。
 そうだ「有名なギョーム・デュピュイトラン」というのだから、ネットで調べれば直ぐ判るのではないか。あった。「日本歴史学雑誌51号」(2005年)に、福岡整形外科病院の小林晶氏が生没年も合わせて「ギョーム・デュピュイトラン(1777~1835)」を紹介している。
《パリのオテル・ディウの中庭に一人だけの立像がある。文豪バルザックは彼をモデルにした小説を多数書いている。》
 と記し、「拘縮」の発見者の一人でもあることも紹介している。私にとっては、それだけわかれば十分であったが、その記述の中に次のようなおもしろいことが加えられてあった。
《ほとんどの伝記、伝承、エピソードは、彼の強い攻撃的な性格と多くの人たちとの確執を述べている。常に権力者がそうであるように、優位を得ねば承知せず、自尊心の強さと反発を考えるとき、彼を他人と同格に評価することなどが、おくびにも出せなかった院内ヒエラルキーに固執する反面、前任教授ベルタンの手術の批判は面と向かってしたし、英国のプライオリティを主張するリスフランとの確執は有名であった。》
 力は認めるが、イヤな人ということでも、有名だったようだ。さらに、
《ナポレオン軍の軍医長であったペルシは「デュピュイトランは外科医としては最高であったが、人間としては最低であった」と酷評している》
 とつけ加え、何人もの人の業績の集積であった発見に「デュピュイトラン拘縮」と呼ぶ「冠名」にまで影響を及ぼしたのではないかと、推測を書き付けている。
 いや、おもしろい。私の左手掌の、何かに触ると感じる痺れや痛み、指に力が入らない不都合に思う不快感、それらがデュピュイトランという人物像の感触と重なって、なるほど見事な「冠名」であったと感心する。コッホがパスツールにみせた蔑視や森鴎外が脚気の原因指摘に対してみせた頑なな拒否を思い出した。こういう人柄のエピソードって、科学者(医学者)の「人間要素」として欠かせないんだと強く感じている。


コメントを投稿