北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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住三吉神社~再掲~

2024-05-11 20:38:02 | 函館

 

時機を逸してしまいましたが、函館市郊外の、市電「谷地頭」停留所の近くにある桜のスポットへ、GW前に行っていました。

以前も紹介したことがあるのですが、「住三吉(すみよし)神社」という神社です。

 

(前回の紹介記事)

 

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「皇紀二千六百年記念」とは、神武天皇の即位2,600年に当たる、昭和15年(1940年)のことだそうで、太平洋戦争開戦約1年前に当たるこの年、国を挙げて様々な祝賀行事が行われていたのだそうです。

 

 

 

参道に咲き誇るこの桜はソメイヨシノで、五稜郭公園や函館公園と見ごろはほぼ同じで、今年だと4月下旬でした。

この写真は4月27日に撮ったものです。

 

 

 

この神社は、正式な創建年次は不明ですが、一説では鎌倉時代と言われています。

函館市内には、北海道最古と言われる「船魂神社」という神社があり、そこは1135年の創建とされているので、それよりは新しいとのことだけど、函館市内、ひいては北海道内においても歴史ある神社であることに変わりはありません。

 

(「船魂神社」の紹介記事)

 

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箱館が幕府の直轄となり、箱館奉行が置かれた1803年、外敵退散の祈願をこめて、箱館奉行から石灯籠が寄進されたという話も残っていますが、昭和9年(1934年)に函館市内の約3分の1を焼失した大火によって、当時の社殿は消失してしまいました。

焼失後、かつて「三吉(みよし)神社」という神社が存在していた跡地に仮殿を建設し、その「三吉神社」の御祭神である「三吉大神」を合祀する形で、現在の「住三吉神社」となりました。

「さんきちさん」こと「三吉神社は」札幌にもある有名な神社ですが、函館にあった神社の方は、札幌よりも2年遅い明治13年(1880年)に、秋田県の太平山三吉神社の分霊を祀ったものとされており、御祭神である「三吉大神」は、秋田の豪族であった「藤原三吉」を神格化したもので、勝利成功、事業繁栄などのご利益があるとされています。

 

 

現在のこの社殿。

普段は開放されていませんが、この中には、七福神の一つである「寿老人」という延命長寿の神が祀られています。

と言っても、その歴史は古いものではなく、24年前、平成12年(2000年)に、市内在住の秋田県地方をルーツとする方が、代々家に伝わる寿老人像を寄進したのだそうです。

その方の家も、代々「三吉大神」を祀っていたのだそうで、そのような共通点から、この神社に寄進されたということなのですね。

函館の西部地区には、七福神全ての神が、各々お寺や神社に祀られていますが、七福神全ての神が揃ったのは、意外にもごく最近ということでした。七福神巡りは私も何度かしたことがありますが、このことは今回初めて知りました。

「普段は開放されていない」と書きましたが、こちらの神社は、「山上(やまのうえ)大神宮」という、急な坂を延々と登った先にある神社が管理しているとのことで、御朱印等も、山上大神宮で受付をしているとのことです。

 

(「山上大神宮」の記事)

 

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という話を、実は今日、60名ほどの方々の前で、大変拙いながらも喋らせていただきました(「はこだて検定合格者の会」主催のイベント)。

「今回初めて知った」というのは、喋っているうちに咄嗟に出てきたもので、言わない方が良かったかなと思いましたが、そこはこれからガイド活動をしていく中で気を付けていこうと思います。

 

 

先程紹介した桜の植樹記念碑がありました。

 

 

このような碑もあります。

 

 

現在の祭神である、「上筒之男大神(うわつつのおのおおかみ)」「中筒之男大神(なかつつのおのおおかみ)」「底筒之男大神(そこつつのおのおおかみ)」は、それぞれ、海の表面・中ほど・海底部それぞれの守護神なのだそうですが、それ以前に、創建時に祀られていたとされる「墨江三前大神」という神もまた海の神様だったということで、そうした歴史を踏まえ、海底開発によって母なる海の恵みを賜り、全人類が平和であるようにという、神の啓示を表す碑なのだそうです。

 

 

 

社務所は社殿から少し離れた所にあります。

 

 

 

 

 

桜の他に、椿も咲いていました。

今回は、桜の話と神社の歴史、それに七福神の話をしてきましたが、こういう歴史を研究しながら町を歩き、時には情報発信する、そんな活動をこれからもしていきたいと思います。

 

 

オマケ。

「住三吉神社」近くの住宅街の道ですが、何やら見慣れない警戒標識がありますね。

 

 

 

何と、ヒキガエルに注意を促す警戒標識でした。

前にも見たことはあったのだけど、久し振りに見て、やっぱり驚いちゃいました。


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