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北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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伊達家との縁

2022-05-29 16:45:57 | 石狩・空知地方

 

当別町内を散策したときの記事を何本かアップしたいと思いますが、まずは、色々な場面でエピソードが出てくる一族の関係施設から。

 

 

 

戌辰戦争で勝利した新政府軍は、関西から関東、東北、北海道までの幕府勢力を討滅する処分を取りましたが、かの伊達政宗に通じる伊達家一族が統治する仙台藩も大きな滅封を命じられたことから、北海道開拓に活路を見出そうとしました。

現在の宮城県大崎市に当たる岩出山の出身で、政宗の直径子孫に当たる伊達邦直が当別町へ入植し、これが、現在に至る当別町の開拓の礎となっています。

 

 

 

これは、「桃園」という号を持つ歌人でもあった邦直の、

「あそ山の しげる木立を ふみわけて 住み見し月の 今も替らず」

という歌。

この「あそ山」というのは、熊本県の阿蘇山のことではなく、町の北にある溶岩円頂丘の「阿蘇岩山」(アイヌ語で「柴の多い山」を意味する「アソ・イワ」が由来)のこととされています。

 

 

 

そんな伊達家にまつわる歴史資料が保存されている「当別伊達記念館」。

 

 

 

 

 

伊達邦直は、滅封によって家臣たちが路頭に迷うことを憂いて北海道開拓に志願し、石狩国空知郡、現在の奈井江町辺りの支配を命ぜられますが、そこは内陸で物資の輸送が困難であったことから、開拓使との協議により、日本海に面した、現在の石狩市聚富(しっぷ)と呼ばれる地域の荷揚場を使用することが認められました。

しかし、その聚富もまた、土質が悪く作物が育たないことから、近隣で代替地を検討した結果、当別町が適しているという結論に至り、許可を得たことから、明治5年(1872年)、邦直は当別町に入植することとなり、開拓使当別詰所設置に伴い、開拓七等属・開拓使勧業課当別在勤を命ぜられることとなりました。

 

 

 

 

 

記念館の隣には、「伊達邸別館」が設置されています。

 

 

明治13年(1880年)建築のこの別邸は、多くの名士来村の折の宿泊、懇談と村政執行のための諸会議に使用され、昭和55年(1980年)に当別町に寄贈され、修復工事などが行われ、昭和57年(1982年)11月にから一般公開されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洋風の部屋があったかと思えば、江戸時代を思わせる作りの部屋と、展示されている人物の姿が混在しているというのが大変興味深く感じられました。

 

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ロイズタウン駅

2022-05-27 19:45:01 | 石狩・空知地方

JR当別駅の写真を撮った後、折り返し列車の時刻まで町内散策をしましたが、そのレポは後日に回すことにして、今日は、駅つながりでもう一つ、当別町内の駅を紹介します。

 

 

一面の畑地帯の向こうに、何やら新しそうな建物が見えますね・・・。

 

 

 

そう、今年3月のダイヤ改正で新設された「ロイズタウン」駅。

「ロイズ」とは、こちらでも何度か紹介している、北海道の有名なお菓子メーカーのことで、当別町太美(ふとみ)地区にある、同社の工場&直売所の集客機能向上を目的に、同社と当別町がJR北海道に請願して誕生した駅です。

 

 

駅が新設されたものの、駅前の開発はまだまだこれから。

どうなっていくのか楽しみですね。

 

 

日中は一時間に三本列車が走っています。

札幌近郊だけあって、これは多いです。

 

 

駅舎内はそれほど広くなく、待合用の椅子も少ないですが、その辺もこれからどうなっていくのかですね。

 

 

この区間の学園都市線は単線なので、ホームも一つしかありません。

 

 

 

ホームの目の前は一面の水田地帯。

秋の収穫時期の眺めも見てみたいです。

 

 

 

 

 

 

札幌方面よりも先に北海道医療大学行きの列車が来たので、こうして写真を撮りました。

えっ、ただ降りて駅の写真撮っただけなのって?

んなわけないじゃないですか。行ってきましたよ、駅の前のロイズの施設にも。

ということで、そこはまた次の記事で。

 

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当別駅~2~

2022-05-26 19:15:22 | 石狩・空知地方

 

昨日に続いて、JR当別駅の構内。

 

 

構内はアート作品が多く、小さな美術館のような様相です。

 

 

 

 

ステンドグラスの絵と同じタイトルですが、田端優子さんという方は、山梨県にアトリエを構える彫刻家さんだそうです。

ステンドグラスの絵の方は、調べてみたけど詳細は分かりませんでした。

当別町の鳥に認定されているフクロウが描かれているので、この辺りの自然を描いた作品なのでしょう。

「道民の森」という森が町内にあるけど、そこが舞台なのかな?

 

 

 

へぇ~、「歴史兄弟都市」というのがあるんですね。

胆振管内の伊達市は、その名のとおり、仙台藩一門の亘理伊達氏一族に由来する町だけど(伊達市の記事はこちら)、実はこの当別町も、伊達一族とは深い縁がある町なのです。

その辺は、後日関連スポットの記事を書く予定なので、そのときにでも。

 

 

 

三木勝さんという方は、神奈川県藤沢市在住の彫刻家さんだそうです。

 

 

 

ああ、やっぱり絵と彫刻は関連があるんでしょうねきっと。

 

 

 

タイムカプセルかぁ・・・。

そういえば、小学校を卒業するとき(昭和61年(1986年)3月)、卒業生一同で埋めた記憶があるのだけど、どうなったのかな・・・。

設置されてから28年。当時の当別町のことは知らないけど、私が勤務していたのは平成13年(2001年)、設置されてから7年後なので、その頃を思い浮かべてみると、当別町は、札幌のベッドタウンとして発展していると思います。

 

 

 

南安廣さんという方は検索してもそれほど情報が得られないようですが、南は鹿児島県にも野外彫刻が設置されているそうです。

 

 

 

あ、もう一つ田端優子さんの作品がありました。

当別駅が現在の橋上駅となった1994年に、町の更なる発展という願いを込めて設置された作品の数々。

これからも、駅を利用するたくさんの人たちの思いを受け止めながら、町の発展を見守っていくことでしょう。

 

 

 

 

 

「岩出山」という地名は初めて聞きました。

現在では合併して「大崎市」となっていますが、かの伊達政宗が、米沢城から移って一時拠点を構えていた、伊達家にとって大変由緒深い町だそうです。

 

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当別駅~1~

2022-05-25 20:19:51 | 石狩・空知地方

 

札幌の隣町、当別町に行ってきました。

こちらは、JR学園都市線の「当別」駅。

 

 

 

おや、「石狩」という文字が塗り潰されていますね。

 

 

実はこの駅は、今年3月のダイヤ改正までは、「石狩当別」という名前でした。

昭和9年(1934年)に、札幌市内の桑園駅から分岐する路線が開業したとき、渡島管内の上磯町(現北斗市)に「渡島当別」という駅が既にあったことから、「石狩国」というこの辺りの旧国名を冠して「石狩当別」という駅名にしていたのだけど、隣接する「石狩市」にあると勘違いされる傾向にあったとの理由から、地元とJR北海道が協議した結果、今般、「石狩」を取って「当別」という駅名になったということです。

このバス停は、まだその変更に追い付いていないということなんですね。

因みに、このように旧国名を冠した駅というのは他にもあり、例えば、オホーツク海に面した宗谷管内枝幸(えさし)町にあった旧国鉄の駅は、「北見国」という旧国名を冠して、現在の北見市からは遠く離れているにも関わらず、「北見枝幸」という駅名としていたというエピソードがあります。

 

 

当別町は、住んだことはないのだけど、平成13年(2001年)4月から一年間、町内にある出張所に勤務していたことがあります。

なので、駅周辺は、多少は土地勘があります。

このモニュメントは、当別町の鳥に認定されている「フクロウ」をモチーフにしています。

 

 

 

勤務していた当時は、札幌の職場から当別まで送迎という通勤体系だったのだけど、それに乗れなかったときは自腹でJRを利用したこともあったので、駅構内の光景も記憶に残っていました。

 

 

 

学園都市線は、二年前までは空知管内新十津川町まで走っていたのだけど、現在は、当別の隣の「北海道医療大学」駅までとなっています。

 

 

駅構内には、こんな銘板が残されていました。

歴史を後世に伝える物として、大切に保存されていってほしいと思います。

 

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夕張鉄道跡地を歩く

2022-05-22 16:19:40 | 石狩・空知地方

 

「きらら街道」を更に進んで、江別市野幌へ。

 

 

そこに、夕張鉄道の歴史を伝える解説板が設置されていました。

 

 

江別市は、夕張鉄道のみならず、例えば現在も操業している製紙工場への引込み線や、火力発電所への石炭専用線、隣にある当別町との間を結んでいた軌道線など、旧国鉄以外にも沢山の私鉄が走っていた、道内でも有数の鉄道の町だったのだけど、一つまた一つと廃止され、結局一番最初に開業した、現在のJR函館本線だけが今でも残り続けています。

そんな私鉄の跡地も、場所は分かっている所もあるので、計画的に回ってみようと思っています。

 

 

 

で、ここに残されているこの施設は何かというと、これは「腕木式信号機」という、レバーを操作して切り替えを行う、手動式の信号機です。

 

 

手動で操作することにより、このように腕木が45度(と、検索したサイトに書いてありました)傾いていたら、青信号、つまり進めの状態で、腕木が水平になっていたら、赤信号、つまり進んではいけないということを示しています。

 

 

 

 

そこから少し進んだこの辺りは、「北海鋼機前」という駅のあった場所。

「北海鋼機」という会社は、現在も江別市内で操業を続ける鉄鋼メーカーで、昭和50年(1975年)の夕張鉄道廃止後も、同62年(1987年)まで、専用線が残っていたそうです。

 

 

更に進んだ所にあるのが、夕鉄バスのターミナル。

かつての夕張鉄道は、現在のJR野幌駅から分岐する形になっていましたが、現在はここが、江別市内における(というより運行区間全体における)拠点となっています。

 

 

 

 

 

待合室もしっかりと整備されています。

 

 

 

 

 

夕鉄バスって一度も乗ったことがないんですよね。

ぜひ近いうちに、計画を立てて路線バスの旅をしてみようと思います。

 

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