自身のパソコンは「Windows10」の設定で、電源を入れるとスクリーンに世界の絶景が表示される。画像は2、3日置きに入れ替わり、楽しく眺めている。現在表示されているのはフィリピンのルソン島イフガオの棚田の風景=写真=で、懐かしい思いで眺めている。
金沢大学のJICA事業として2014年2月から、「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」(略称:イフガオ里山マイスター養成プログラム、ISMTP)に取り組んだ。3年間の節目で事業主体は変更したものの、ISMTPそのものは今年1月まで足掛け7年間に及ぶプロジェクトとなった。自身もこれまで5回現地に赴いた。
危機遺産リストが教えてくれたイフガオの現状と為すべきこと
最初に訪れたのは2012年1月だった。FAOの世界農業遺産に能登半島の「NOTO's Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」が2011年6月に認定され、大学の中村浩二教授(当時)の発案でGIAHSの国際ネットワークづくりができないか相手先を探していた。フィリピン大学の教授から、すでにユネスコ世界遺産に登録され、GIAHSにも認定されていたイフガオを紹介され、連携の可能性を探りにイフガオに赴いた。チャーターしたワゴン車でマニラから車で8時間かけて移動した。
ルソン島中央のコルディレラ山脈の中央に位置するイフガオ族の村、バナウエに着いた。2000年前に造られたとされる棚田は「天国への階段」とも呼ばれている。最初に見た村の光景は、半世紀前の奥能登の農村のようだった。男の子は青ばなを垂らして鬼ごっこに興じている。女子はたらいと板で洗濯をしている。赤ん坊をおんぶしながら。ニワトリは放し飼いでエサをついばんでいる。七面鳥も放し飼い、ヤギも。家族の様子、動物たちの様子は先に述べた「昭和30年代の明るい農村」なのだ。
一つ気になることがあった。人と犬の関係が離れている。子たちが犬を抱きかかえたりはしない。犬も人に近寄ろうとはしない。同行してくれたフィリピン大学のイフガオの農村研究者に訪ねると、こともなげに「イフガオでは犬も家畜なんですよ」と。
もう一つ気になったことがある。バナウエの棚田をよく見渡すと、棚田のど真ん中にぽつりと新築の一軒家が立っていたり、振興住宅地のように数十軒が軒を並べていたり、3階建てのホテルのようなビルも建っていて、世界遺産や世界農業遺産の景観と不釣り合いなのだ。ここ10年余りで棚田の宅地化が進んでいると先の研究者が説明してくれた。1995年にユネスコ世界遺産に登録されてから、欧米などの外国人観光客が増え、2010年の現地の統計で観光客数は10万3000人だった。
確かに、沿道には土産物店が軒を連ね、バイクの横に1人乗りの籠(かご)をくつけた、「トライサイクル」と呼ばれる3輪車が数多く走り回っている。トライサイクルの料金は1時間30ペソだ。精米されたコメが1㌔35ペソで市販されるので、コメを作るより、トライサイクルを走らせた方が稼げると考える若者が増えている。いわゆる若者の農業離れが観光化とともに進んでるのが現状のようだ。バナウエ市役所に当時のジェリー・ダリボグ市長を訪ねると本人も「深刻な問題だ」と語った。同市の棚田の面積は1155㌶(水稲と陸稲の合計)で、これを専業の農家270軒で耕している。最近はマニラなどの大都市に出稼ぎに出るオーナー(地主)も多くなり、耕作放棄地は332㌶に増えていると。
ユネスコも観光の影響や後継者不足による耕作放棄地、転作による景観への影響などを問題視にしていて、すでに2001年に「危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)」に追加していた。このため、たフィリピン政府とイフガ州などは環境保護対策や国内外の支援、保全技術の開発などに取り組んだことが認められて、ようやく2012年7月に危機遺産リストからの削除が決まった。このニュースに耳立てたのはイフガオから帰国して半年後のことだった。
このニュースによって、現地の若者が稲作を通して「イフガオのブランド価値」を高めるという発想を持ってもらえるチャンスではないと考えた。それが、「イフガオ里山マイスター養成プログラム」という人材育成事業だった。
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