自在コラム

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★「 I shall return 」人生哲学の考察

2021年04月08日 | ⇒ニュース走査

   「 I shall return 」を訳せば「私は戻ってくることになる」となる。同じ未来を表現する助動詞でwillを使えば「戻るつもりだ」と自らの意志を示すが、shallだと「戻ることになる」という運命的な意味合いが含まれる。この言葉が有名になったのは、太平洋戦争でアメリカ軍のダグラス・マッカーサー司令官が駐留していたフィリピンで日本軍の攻勢に遭い、1942年に撤退するときに発した言葉だった。2年後にフィリピンに戻り反撃に転じたことから、「 I shall return 」は不屈の行動を意味する言葉として知られるようになった。

   最近この言葉を使った人物がいる。3月22日付のブログでも書いた、石川県小松市の市長選挙(3月21日)で敗れた和田慎司氏だ。任期は今月12日まで。今月5日の年度初めの市職員への訓示で、「私の好きな言葉」として「 I shall return 」と述べて憶測を呼んだ(4月8日付・北陸中日新聞)。7日には政界復帰の意志かと記者から問われ、「深い意味を考えていただきたい」と述べた(同)。

   もう一度、選挙戦を振り返ってみる。和田氏は小松製作所に入社し、2005年の市長選に初挑戦し現職に敗れ、2009年に当選を果たした。今回は4期を目指していた。失政もなく、69歳は「まだいける」という年齢だろう。公立小松大学の設立、日本遺産「小松の石文化」の登録(2016年)や内閣府「SDGs未来都市」の選定(2019年)など、ある意味で順風満帆で迎えた市長選だった。新人の宮橋勝栄氏は41歳。大手ドラッグストア「クスリのアオキ」など経て、2011年の小松市議選に初当選。2期目の2017年に市長選に立候補して和田氏に敗れ、今回は再挑戦だった。

   選挙戦で和田氏は3期12年での財政健全化の実績を強調し、北陸新幹線小松駅の開業を見据えた駅周辺へのホテル誘致など訴えた。宮橋氏は緊縮財政で小松の活気が失われたと批判し、市長退職金(2000万円)の全額カットを公約、さらに小中学校の給食無償化や音楽ホールやカフェを備えた複合型図書館の建設など公約に掲げた。

   選挙戦では和田氏が自民、公明、立憲民主の推薦を得て、宮橋氏には市議の自民党第二会派などの支援を得ていた。また、小松の2人の自民党県議がそれぞれに支援に回るという「保守分裂」の選挙だった。ローカル紙の見出しでは、3月14日告示の選挙序盤で「和田氏を宮橋氏が追う」、中盤17日ごろからは「和田氏を宮橋氏が激しく追い上げ」「激戦」に変わり、最終盤で「宮橋陣営 票切り崩しに懸命」。21日の投開票(投票率60%)では宮橋氏2万8676票、和田氏2万3731票と4900票差で形勢が一気に逆転した。

   選挙は民意とは言え、和田氏はこの選挙結果に今も納得していないのかもしれない。「 I shall return 」からはその心境が読める。その気持ちが伝わることがもう一つある。今月12日の任期を最後までまっとうすると、本人は執務を続けている。引退はしないという意思表示なのだろう。アメリカ大統領選挙でバイデン氏に敗れたトランプ氏も任期ぎりぎりまで大統領署名や恩赦を乱発して政界復帰のポーズを取っていた。

   マッカーサーが発したもう一つ有名な言葉がある。1950年に朝鮮戦争が勃発し、マッカーサーは国連軍総司令官として戦争を指揮した。が、トルーマン大統領との方針の食い違いから1951年に解任され、アメリカへ呼び戻された。そのときのワシントンの上下院合同会議での演説。「 Old soldiers never die ; they just fade away 」(老兵は死なず。ただ消え去るのみ)。これも人生哲学としては選択肢の一つだ。

(※写真はバチカン宮殿のラファエロ作「アテネの学堂」)

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