自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★炭窯の哲人

2006年06月28日 | ⇒ドキュメント回廊

  金沢大学には地域おこしのリーダーから教えを請う「里山駐村研究員」という制度がある。北陸3県で活躍する、里山をテーマにした地域おこしのプロたちである。人材がバリエーションに富んでいて、山中塗り木地職人、製材業者、農産加工グループ代表、木竹炭生産、有機農業、山菜・きのこグループ、酪農家、農家レストランの経営者、草木染め作家、天然塩生産者と多士済々だ。中には、道なき道を手探りで歩いて成功を収めた人も多く、人生については一家言を持つ。

   そうした駐村研究員の中で、声が大きくヒゲの風貌が似合うのが炭焼きの安田宏三さん(62)だ。安田さんについては以前、ことし3月6日付「奥能登へ早春行」でも紹介した。その安田さんが先日、私のオフィスがある創立五十周年記念館「角間の里」を訪ねてこられた。その時の話である。

   安田さんは抜群に記憶力がいい。なにしろ転職以前の国鉄時代、同僚400人の名前をすべて覚え、列車ダイヤもおおかた頭に入っていたそうだ。今でも、これまで読んだ本の作者や論文の研究者の名前が日本人であれ外国人であれ、すらすらと出てくるのだ。高校時代は生物部に所属し、動植物の名前を徹底して覚えた。

   山に入り、木を切り、炭窯に向かう毎日。孤独な作業だが、自然とは何か、人間とは何かを自らの来し方行く末に照らし、問いかけ、そして山中の動植物の生態をつぶさに観察する。「木のにおいを嗅ぎ、炎を見つめていると考えるヒントが浮かんでくる」 と。

  茶道で使う高級木炭、「お茶炭」をつくる。ある日、茶人たちの茶話会に招かれ講演した。その席で質問された。「炭焼きの仕事は、夏は何をなさるのですか」と。「夏は動植物たちの営みが盛んな季節。そんな中に人間が入ってろくなことがありません。だから休みます」と答えた。するとある人が驚いたように、「仏教用語でそれを夏安居(げあんご)と言いますが、仏教にお詳しいのですか」と。詳しくもないし、その言葉は聞いたことがなかった。

   安田さんはそのとき気づいた。仏教は頭の中でつくり上げたイマジネーションなどではなく、山の暮らしの中で動植物の観察の中から、自然と人がどう共存するかという知恵のようなものではないか、と。修行僧が山にこもるのも、自然から教えを請うためではないか。

   この話を安田さんから聞いて、夏安居を調べた。「大辞林」(三省堂)によると、インドの夏は雨期で、仏教僧がその間外出すると草木虫などを踏み殺すおそれがあるとして寺などにこもって修行したことに始まる、とある。雨安居(うあんご)とも言う。この3文字になんと生命感があふれていることか。

   安田さんは時折り、自らの炭窯に入り、レンガの状態など調べる。内部は直系2㍍、高さ1.2㍍ほど。狭くても、安田さんにとっては樹木という自然、炎、そして空気が激しく燃焼し炭化する宇宙でもある。その宇宙を眺めながら、ヒゲを撫でてを哲学的な思索にふける。その様子から、私は安田さんを「炭窯の哲人」と名付けた。一度じっくりと時間を割いてもらい、炭窯の壮大な宇宙の話を聞かせていただきたいと思っている。

 ⇒28日(水)夜・金沢の天気  くもり

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