自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★メディアの「あだ花」

2006年06月03日 | ⇒メディア時評

 ゴッホらかつての画家は自然の花を描いた。アメリカのポップアートの旗手といわれたアンディ・ウォーホル(1928-87年)が描いた花はメディアの世界に咲く花だった。マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリー、ジョン・F・ケネディー…。しかし、彼のシルクスクリーンで描かれたのは華やかな花だけではない。メディアで騒がれた交通事故や人種暴動、ピストル事件、凶悪殺人犯ら徒(あだ)花も数多く描かれた。そして、ウォーホルはこんな言葉を残した。「人は誰でも、その生涯の中で15分間は有名になれる時代がくる」

 このウォーホルの「15分間」という言葉をそのまま映画のタイトルにしたのが「15ミニッツ」(2001年・ヘラルド)だ。先日、DVDで見た5年前の映画なのだが、なぜか鮮度が高い。現実が後からついてきているからだろう。

  映画のあらすじ。チェコ人とロシア人の二人組のギャングがニューヨークへやってくる。放火、殺人を重ねるギャングたちはバイオレンスの映像がアメリカのテレビ局に高く売れることに気づき、盗んだビデオカメラで殺人を撮影していく。彼らを追うのはニューヨーク市警の殺人課刑事(ロバート・デニーロ)と消防捜査官(エドワード・バーンズ)である。ギャングはその刑事の殺害をもビデオで収録しテレビ局に売り込む。「血が流れればトップニュース」とテレビ局のニュース・ショーは飛びつく。その映像が流される番組名が「15ミニッツ」。この殺人映像が放送された後、犯人は自首する。弁護士の巧みな世論操作によって、連続殺人犯はいつの間にか悲劇のヒーローのようになっていく。ラストシーンは消防捜査官が護送中の殺人鬼を銃で撃ち、殺害された刑事の無念を晴らす「あだ討ち」のカットだ。

  アメリカのテレビ局の歪んだ視聴率競争が映画のテーマになっている。が、もう一つ、犯罪をめぐる法律への問いかけも根底にある。映画では、殺人犯は罪を逃れるために精神異常者を装って自首する。精神病院に収容された後に、「自分は正気だ」と主張して社会復帰を狙う。アメリカでは二重処罰の禁止(=ダブルジョバディー法)があるから、同じ罪に問われないというわけだ。悲劇のヒーローとなった殺人鬼が「将来伝記を書いて、映画化権を売り巨万の富を得る」と豪語し、弁護士とその取り分を駆け引きするシーンがアメリカにおける法と民主主義の矛盾を鋭くえぐっている。

  冒頭のアンディ・ウォーホルに戻る。ニッポン放送株の売買を巡る「村上ファンド」のインサイダー取引疑惑で、村上世彰氏(46)と幹部らが週明けにも取り調べを受ける模様と新聞各紙が伝えている。その前は堀江貴文氏らの「ライブドア事件」だった。あたかもメディアが事件のシナリオを構成し、矢継ぎ早に展開しているようにも思える。だからメディアに咲く花の命は短い。ホリエモンは1年余りだったろうか。ウォーホルにはもう一つの有名な言葉がある。「僕は退屈なものが好きだ。まるっきり同じことが、幾度も繰り返されるのが好きなんだ」。15分間の徒花を咲かせてやまないメディアに向けた皮肉である。

 ⇒3日(土)夜・金沢の天気  はれ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする