JR小野田線に初めて乗ったのは98年夏の中国地方遠征の時だ。この時はムーンライト九州で門司まで行き、山陰本線で益田まで行き、益田から山口線で津和野へ行き、津和野で観光して、津和野から小郡(現新山口)へ行って、小郡で泊まって、翌朝宇部線に乗って宇部新川まで行って、宇部新川から小野田線に乗って、雀田で本山支線に乗り換えて、クモハ42の体験をしている。クモハ42は噂に違わぬ古き良き時代を思わす電車ですっかりファンになった。保存鉄道としての価値が見出せる存在であったと言っても過言ではないと思う。終点の長門本山は何もない駅だったが、クモハ42が存在する時間帯は息を吹き返したような感じがした。クモハ42の車内にはノートが置かれ、旅人達が色々な書き込みをしていたのが思い出される。クモハ42を堪能して雀田に戻り、雀田から宇部新川に出て、宇部線で宇部に出て、宇部線の乗り潰しを達成したが、小野田線の雀田~小野田間は乗り残してしまった。
乗り残した区間は02年夏の遠征で、ムーンライト九州で厚狭まで行って、厚狭から山陽本線で小野田へ向かい、小野田で富士を撮影して、小野田から小野田線で雀田まで行き、雀田からクモハ42の惜別乗車をしている。この時小野田線の全線制覇が叶ったが、それよりも引退前のクモハ42にもう一度乗れた喜びの方が大きかった。その後クモハ42の引退後にも小野田線を訪れており、この時はあまり感動のないクモハ123に乗って、雀田~長門本山間を往復している。雨が降っていたこともあってあまりゆっくり楽しむことはできなかったが、クモハ123も貴重な電車となってきているので、もう一度天気のいい日に訪れたいと思う。