憲法9条を変えたい人は、どういう人達だろうか。国を守るためには、命もおしくはない、国民はすべて、そうあるべきだ、と考えているのではないだろうか。他国が支配したくて、攻めてきたときはどうするのか、という。そのとき国民は当然戦うだろうということだ。
そう考えて、軍隊ではないといいながら、自衛隊を作り、今や防衛省を作った。憲法9条を完全に無視した存在となっている。だが、憲法9条に定める通りにすることには、国民サイドも抵抗があるようで、相手があり、ましてや、良識に期待することは、できないという「常識」があるのだろう。どこからみても、立派な、軍隊を作り上げた。国際的にみても、遜色はない。そして、その現状を非難する声は少なくなっている。現実を作り上げてきた保守政権の狙いは成功したといえる。
だが、憲法9条が現行のままでは、徴兵制を決めることはできず、国民に兵役の義務を課すことはできない。あくまでも志願兵のみとなる。これは支配層にとって、具合が悪い。おおいに不満なのである。
国が、何をめざしているかである。国民の生活、暮らしを第一義に考えている政権かどうかである。明らかに、支配層と非支配層があって、この権力構造は、今や、世界で一般的な姿となっている。一部、真剣に国民中心の政治をめざしている国もでてきているが、それは、世界で大多数というわけではない。
支配層がその権力構造を維持しようと躍起になっている姿が、一般的な国の政治形態である。そんななかで、兵役につくというのは、なんのために命をかけているかということになる。騙されてはいけない。とんでもない連中の、心地いい暮らしを、権力を守るために、シモジモの国民が、つらい思いをするということである。