貧困、厳しい労働条件、心理的な葛藤、生きていることには、さまざまに苦しい条件がそろう。病気にも襲われる。自殺者が、年間3万人もこえる日本は、生き易い国ではない。
長時間労働が放置され、過酷な労働条件がその引き金となることも多いだろう。やめれば、貧困が待っている。袋小路にはいった人は、自殺に追い込まれる。
どこから、この状態を抜け出すことができるだろうか。問題を一人で解決しようとしないことに尽きる。あちこちに、問題をなげかける。相談を受けた人も、あちこちに問題を投げかける。
そのなかで、方向を見出す。不当な労働条件を改めさせ、貧困からの脱出をはたす。憲法25条を実現するのだ。生きがいは、こうした人々の相談を受け、解決に導くことにもある。自分の趣味や、喜びだけではない。人は、人のためになることこそ、真の喜びであることを体験する。
悩み深き人々は、もっとも、本質的な生きがいを人に与える原資なのである。資源としての自分と、とらえてほしいぐらいである。
ガチガチの利己主義者に対しても、客観的に見ることができれば、まったく本人が気づいていない感謝の心のないものからも、自分のなしていることが、ガチガチの利己主義者の命を守っている存在であることに、生きがいを感じることができる。
利己主義者は、狭い了見のなかで、貧しい生きがいを持って生きるのである。本当の人生とはいえない、まことにみすぼらしい人生なのである。人を救うどころか、陥れることに生きがいを持っているのかもしれない。なんという恐ろしい心理状態であるか。案外、富裕層に充満していると思われる。