誰が中心となって、「家」を守るか。家というのは、「・・・家」ということで、とりわけ家産があったり、資産があればこれを継承していくことの意味合いで言われる。本家とか分家とか、いうものである。
第二次世界大戦までの日本の場合は、長男相続で、イエ制度があった。戦後、これらはなくなったわけだが、それでも全部がなくなったわけではない。
旧家の場合などは、慣習のかたちで残っていたりする。田舎では、まだまだ生きている制度なのかもしれない。それは、いい面もあるだろうが、概ね、縛られているというマイナス面が強調されている。
自己表現を抑制し、家という組織の隆盛をはかるという考えは、今やとても多数を占めることはないが、都合によって、そのネットワークを頼る場合もある。
人がなくなり、葬儀や相続の機会に、親類付きあいが復活したり、新たな交流が始まる場合もある。そうなると、旧来の慣習や、制度も、意味がでてくる。もちろん制度の変遷もあるし、お互いが縛り合うだけであれば、意味もないし、弊害だけだろうが、多様なネットワークは、人生に彩りをもたらすこともある。