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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

お笑い芸人の皆様へ

2022年04月10日 15時44分51秒 | 思考試行

ウクライナの大統領がお笑い芸人の出身であることで、お笑い芸人の皆様は、たいへん注目を浴びているのではないか。関西のテレビ番組「正義のミカタ」では、芸人の皆さんが、大活躍している。自由闊達に意見を述べている。意見のすべてに賛同するわけではないが、まずは、いろいろな意見が飛び交わされていることが素晴らしい。

よく勉強もなさっているのだろう。が、もっといえば、もっと勉強していただきたい、と思う。大事なことをお笑いの技術を生かしつつ、啓蒙的な役割を果たす役割をになってくださるのなら、なおいい。

芸人は政治向きのことを言うことは、控えるという雰囲気がある。だが、公共の電波を有効に利用することは重要ではないか。プーチンのような人物が力を得ることのない、賢い庶民を育てるような仕事を、お仕事の底流にしのばせることを切に望みたい。

面白おかしく、人生の機微を語るなかで、いつの間にか、賢い人間性の底力を育ててくれるような、人間同士の共感と、未来社会の建設に資する、きれいごとではない本物の、お笑い文化を実現してほしいものである。売れればいい、と言いながら、チャランポランにみえながら、ちゃんとしている芸人さんの登場をのぞみたい。

ウクライナ大統領は、芸人出身でなければ、不可能と思われる精神がある。思いのたけを表現し、主張する力がある。これこそ芸人魂の発露である。これは、単なる政治家ではなし得ない仕事である。これからの時代は、お笑い芸人の皆様が、真に大活躍されるかどうかで、変わるような気がする。

 


ロシア駐日大使の信じられない「演技」から

2022年04月10日 15時41分54秒 | 思考試行

ロシア大使のウソを言い放つ姿は、これでも人間か、と言いたいぐらい異常な姿である。まさに、自分自身がうそをついていることは、もちろん承知で、しかも、相手が世間が、自分がウソをついていることを、知っていることを、知っていて、そのうえで、自分がウソをついていないと主張するのである。

いかなる証拠があろうと、全部否定する。論理が通っていなくとも、まったく気にしない。こういう相手は、どう扱うのがいいのだろうか。これは、同じ人間としては、決して暮らしてはいけない人々である。自分たちの欲望を満たすためには、なんだってやる、実現するまでやる、勝ってしまえばそれでいいのだ、勝つまでやるから、何度負けようと関係ない。一緒に暮らせるだろうか。

ロシア大使は、真実を認めれば、良心のかけらでも見せようものなら、その命は保証されない。否、必ず粛清され、ロシアでは生きてはいけない。日本にいても怪しい。自分ばかりではなく、親戚縁者にその影響が及ぶ、権力者の言う通りの発言をする他に道はない。そういう状況にいるのだろう。

一人の人間の世界観、価値観に添わなければ、誰も生きてはいけない。そういう国、世界がある。社会全部でなくても、主要な権力機構の人間が、そんな風になってしまえば、社会全体がその毒素にまみれてしまい、全体がまさにその一人の人間の世界観、価値観に同調する他、方法がなくなってしまう。

地球上に、まさにそんな国が結構あって、また、社会の構成単位のなかに、そういう要素が結構あって、「権力者」は尊大に我が物顔にふるまう。抵抗すれば、生存さえ危うい。明らかにこんな現実があり、それが現代である。

こういう現実がいつまで続くのか、いつかは無くなるのか、それとも地球上に人間存在が続く限りは続くものなのか、結局は力の強い者が支配するのが世の中であって、弱者は滅びるほかなく、悲劇は際限なく続くということなのか。人間がそこから、新しい世界を作りだすことができるかどうか、いつかは作り出すことを願いつつ、これは、いつか、努力の甲斐もなく、なにもかも壊れてしまうことも覚悟しつつ、それでも、壊れてしまうそのときまで、努力していくよりないということのようだ。


中国がロシアのフェイクだという「言い分」を後押しした、中国が「ワルであること」を証明した。

2022年04月05日 22時33分11秒 | 思考試行

ロシアが虐殺事件を起こした。ロシアはフェイクだと言う。言い続けるといい。フェイクと言うたびに、ロシアは自らの墓穴を掘ることとなる。平気でウソをつく政権が、国民をだまし、戦争反対の国民を次々と捕縛している。情報を隠す必要のないウクライナは西側の「控えめな」援助を受けながら、戦い続けている。

西側の第三次世界大戦を避けるという言い分は、自己利益にしがみついていると言われても、ウクライナの犠牲のもと、影の力で援助するしかないということだろう。いずれにしても、この虐殺事件をフェイクだというロシアに寄り添う連中は、間違いなくワルと決めつけていいだろう。

人類にとって、将来(しばらくの間かもしれないが)、生き延びる指針として、ケッタイナ、ワルイ連中が焙りだされることとなった。中国の政権など、とるに足らない、馬鹿政権であるということだ。

嘘つきは、苦しむがいい。否、嘘つきは、自分が正しいと確信するらしいから、苦しんだりはしないのかもしれない。プーチンはコロナ期間中に、歴史書を熟読していたという。昔の世界に戻すことを、真剣に考えている風がある。そうしなければならないと、思い込んでいる風である。

国民の意識が変わり、時代がかわり、そして、今がある。これを覆すことに、理が通るかどうかである。中国にもその気配がある。支配地域を、もっともっと拡張したい。そのためには、なんだって、やりかねない雰囲気がある。

もう人類は、この辺で、歴史の幕を引くのであろうか。彼らが、拡張を続けようとするかぎり、衝突は必ず生ずる。力こそ、自分たちの欲望を満足させる唯一のものであり、ウソだってつくし、約束は破るし、彼らは、勝利の日までその考えをかえるつもりはないのだろうから、戦いは終わらない。

光明は、大多数の国民が違う考えをもったときにのみ、生まれる。少数のとんでもない考えの連中を、政権から追い出し、こういう連中が二度と政権につくようなことがない世界を作り出すことである。それ以外に、人類が安心して生き延びる道はないのではないか。

 


情報の重要性

2022年04月04日 17時01分46秒 | 思考試行

ロシアの情報統制が効いていて、プーチンの支持率は反プーチン派といわれる調査会社によっても、ウクライナ進攻時よりもさらに上がっており、4月にはいって、83%を越えるという。ロシアがどんな具合の進攻をしているのか、どういう大義名分なのか、伝えられている情報では、ウクライナの現実とは真逆と言っていいほどの情報を、ロシアは、国民に流し続けている。

この支持率の高さは、あきらかに、ロシア国民が、実態を知らされていないところからくる。情報は本当に大事である。日本でも、国民が自由にものを言えない時代もあった。戦争の実態が隠され、悲惨な事実が隠された。厳しい弾圧事件もあった。今、ロシアの状態もそれに近いようだ。

民主主義の時代にあって、信じられない事態が続いている。ロシア国民に真実をとどける方策が続けられているのだろうか。留学生や外国に在留している人びとが、ロシアの故郷の親などに連絡しても、全然受け入れられないという。それほど、情報統制が完璧になされているということらしい。

しかしながら、プーチンのやり方はあまりに非人道的であり、今までもチェチェンやシリアなどでも、実行済みであり、「手口」としては、完成しているようで、このまま放置するわけにはいかない。

こういう人物が現れたときに、多くの人々が巻き込まれてしまい、容易にその事態から抜け出せないようでは、本当に困ったことである。

中波、あるいは短波等、ラジオによる放送などできないのであろうか。比較的に設備が簡易なもので、機動性があり、真実の報道がされる機関を用意できないものだろうか。日常的に、こういう放送局が設営されていて、独裁者の情報統制を破る報道が確保できないものだろうか。

あるいは、世界の報道を、誰でもどこでも得られるようなシステムができないものだろうかと強く思う。人類がそれぞれ、お互いをうけいれられるような関係性を作るためには、まずは、相互に知り合わなければならない。国際的に誰からもしばられることなく、各国の言い分を知ることができるようにする工夫をすべきである。

自国の権力者からの、一方的な情報しか得られない状態というのは、まことに不健全である。人類が生き延びていくためには、必須のアイテムになると思う。国際放送局を作るべきである。

 


プーチン的な人々の存在

2022年03月19日 16時43分18秒 | 思考試行

 うそをついても平気、それだけでなく、ストーリーを作って、それがバレバレの大嘘であることが、普通に、見ることができる人ならだれでもわかることを、実行する人々のことを「プーチン的な人々」と呼ぶこととする。

 ウクライナ進攻の事実経過は、西側の人間には、全部丸見えであるにもかかわらず、情報統制のままに生きている人びとにとっては、まったく違う世界となって登場する。大嘘を真実と思い込んでいるロシア国民がいる。

 大嘘で、人々をたぶらかすなんて、はたしてできるのだろうか、と思うけれども、できるはずがないことを、情報統制により、実行してみせる人物が、プーチンであり、彼の権力におそれおののき、彼の描くストーリーに付き従う人々がいて、いま考えられないような蛮行が実行され続けている。

 これに対し、正義の力が直ちに働き、もっとも効果的なやり方が実行されているかといえば、ロシアの「窮極的な反撃」を恐れて、限定的な対決方法にとどまっている。結果として、ウクライナ一人が、現実的な攻撃を防ぐ当事者となっている。

 これ以上のウクライナ国民の犠牲者を出さないための最速、最強の鉄槌を下すべきであるが、苦難をウクライナ一人にうけさせる形となっている。

 もちろん、ここまでウクライナが持ちこたえてこれたのは、西側のさまざまな分野の援助が効果的であったことは言うまでもないが、今度のことで、まさに、「プーチン的な人びと」が一掃されることを期待する。地球上から、あちこちに存在するとんでもない人々を駆逐したいものである。 

 中国も国民への情報管理をしている。権力構造を、より独裁的な方向を目指しているように見える、独裁がもたらす行く先は、今回のような、ウクライナ進攻の形をとる。中国国内では、もうすでに、実行されている。国民はそれを知らないという、すでに、病的な姿を露呈している。中国の権力もロシアに似た形になりつつある。

 資本主義国であっても、社会構造の中に、「プーチン的な人々」がいて、権力を実行している。本音は法律無視であり、儲けのためには、何だってやる人々がいる。

 情報の取り扱い、権力の構成の仕組みが、「プーチン的」であるかどうかの、試金石となっているような気がする。都合よく、情報を管理するような政治権力がうまれたならば、これは、要警戒である。

 

 


同盟に入っていようといまいと

2022年02月27日 21時50分16秒 | 思考試行

 今、ロシアの進攻に際して、武力による介入が何故できないのだろうか。うら若き娘が、今山賊に襲われているのだ。

 見てみないふりなどできないではないか。おれはナイフをもってるぞ、といっても欧米にもナイフはあるのだ。

 結果として、傷つくことがあっても、ロシアに正義はない。武力による言い分を通すやり方を許せば、限界なく、無茶な言い分が通ることになる。世界は、ロシアを許してはならない。

 正義の味方は、今立ち上がらなければならない。ここで、ウクライナを見殺しになどしたら、こういう人類は、核を使うまでもなく滅びるべきである。

 理屈の通らないことを世界は許してはならない。いつまでも眺めていないで、世界は、直ちに行動せよ。


約束は守られず、ウクライナは自力で戦っている

2022年02月26日 16時22分12秒 | 思考試行

 ソ連の核は、ウクライナにもあった。それを、すべて国外に移した。核をなくして、そのかわり、国家の安全は守られるという国際的な約束があった。

 だが、今ロシアに、ウクライナは攻め込まれ、武力による進攻を受けながら、武力に関しては約束は守られず、誰も助けようとしない。戦力が明らかに違い、一方的に破壊され、ただ敗北を待つばかりの状態である。これを見殺しという。

 交渉にはいったとしても、ロシアの言い分が強く主張されるだろうし、ウクライナ国民の意志など顧みられるわけもない。明らかな不正義であっても、世界はただただ眺めているだけである。

 経済制裁などが検討されているが、ただいま現実の事態をただ眺めているという姿は、実際に不条理な現実が展開されている。とんでもない権力者が現れたときの対処が、まったく用意されていなかったことが露呈した。

 これから、プーチンがどうなり、ロシアがどうなっていくのかが、将来の人類の行く末を決める。ロシアの言う通りのことが現実化されるならば、中国は現状変更に、踏み出すことに躊躇しないかもしれない。

 あるいは、ウクライナが落ち着いたとして、各国の制裁が効果を発揮したとして、プーチンがその責めをうけ、権力者の地位を、追われるようであれば、人類社会はようやく健全な方向へと舵をきったことになる。

 ところが、地球上には、プーチン流の権力者がヤマほどいる。こういう連中を根絶するためには、個々の人類がよほどしっかりしなければならない。

 日本のマスコミは、ウクライナの問題を掘り下げて、とりあげてはいない。日常的な娯楽番組を平然と流している。

 この時とばかり、日本の憲法9条に焦点をあて、自分で自分を守らなければ誰も守ってはくれない現実を訴える政治家がでてきている。

 日本が自ら戦争を起こせないとしても、進攻を受けた場合にどうするか。憲法解釈にはいろいろあるが、自衛権はあるとすれば、自衛隊が死にもの狂いで頑張り、国民もこうした理不尽な進攻を許さない戦いに立ち上がる他ないだろう。


人類滅亡までどれぐらい?

2022年02月25日 21時52分36秒 | 思考試行

 ウクライナへロシアが進攻を開始した。プーチンは、核の威嚇も口にした。核戦争となれば、本当に人類は滅亡する他ない。この時点で、プーチンは、人類として、生きる資格はない。人類を滅ぼしてもかまわない、と言うんだから。ロシアの国民の中には、プーチンは、恥ずべきことをした、という人がいるようだ。が、多くの人は、プーチンの言うことを信用しているようだ。

 報道は、プーチンの都合の良いように流され、ウクライナへどういう進攻をしているのか、知らされていないのだから、無理はない。フェイクニュースを流し、サイバー攻撃をしかけ、ウクライナは大して抵抗もできないのではないか。ウクライナはNATOに入りたがっていたというが、紛争地域を抱えていては、はいれない、これはロシアが東部地域で紛争地帯を作っていたのは、NATOに入らせないためだという。

 この成り行きがどうなるのか。ロシアを攻撃するなら、核を使うと、プーチンは言う。人類は彼をどうすればいいのだろうか。ソ連時代の版図を確保したいというのなら、それは無理な話だと思う。もう時代は変わっている。独裁者がとんでもない信念を持ってしまうと、人類は大迷惑を被る。ウクライナでは、早くも犠牲者が出ている。これは、プーチンが殺したのだ。

 彼は、もうすでに、とんでもないことをしでかしたのである。これがどういう結果を呼ぶのか、注視するほかない。


ホームレス、貧困問題

2022年01月07日 17時04分28秒 | 思考試行

 コロナで職がなくなり、あるいは、商売がうまくいかなくなり、ローンが払えなくなり、家賃が払えずに、住むところを失った人々がいる。

 テレビは、体系的にこの問題を取り上げているだろうか。羽鳥モーニングショーは、取り上げているだろうか。自宅にゴミを集めて、周囲に迷惑をかけている人びとがいる、こんな問題を取り上げているのを何度か見たが、ホームレスの人びとのことなど、取り上げているのかどうか。

 NHKHどうだろうか。この問題をとりあげているだろうか。

 正規雇用が減少し、非正規雇用が激増している。要するに、人件費の抑制であり、企業の都合のいい制度であって、低賃金だけでなく、首切りが簡単なことが歓迎されている。

 こんな制度を広げて、国民の購買力を奪い、そのため企業は売り上げが伸びず、それがまた人件費の削減に向かう。企業は儲かっても、自分の懐にいれ、労働者にまわさない。労働者は苦しい状態に追い込まれ、社会は不景気のスパイラルから抜け出せない。

 研究費をけずり、教育予算を減らし、将来の展望ももてないような財政政策、自由闊達な論議も行われず、政権は人事権を武器に、官僚のやる気を奪い、権力を握ったものの、無能力者たちは、どうしていいのかわからず、アタフタしている。

 その視線がどこを向いているのか。弱者を何としても救い、社会を少しでも良くしようとする心があれば、問題の解決方法はすぐに見つかるだろうが、その心がない。

 目が節穴で、自己中の狭い視野から政治をしているようでは、問題解決など望むべくもない。大金持ちが、なすべきことをなさず、問題意識ももたず、我が世の春を謳歌している。

 貧乏人が、自己責任だ、と自分の立場をとらえ、思い込み、ただただ我慢をし続けている。こんな悲しい現実が、現在の日本の姿である。本気で日本を良くする活動を始めようではないか。まずは、困難な状態にある人々を具体的にケアする仕組みをキチンとすることである。

 住宅を確保し、生活保護制度の利用をたやすくする、そのために、どこがどうすればいいのか、テレビなど、マスコミは現状を取材し、対策を考え、政権を動かす活動を活発にすべきである。


大変化のとき

2022年01月03日 22時52分09秒 | 思考試行

 コンピューターのとんでもない進歩で、人間社会はかつてない大変化の時代を迎えている。いまや、個人が自分の意見を世間に発表でき、動画や肉声を人間社会に公開し、さらには、そこから収入を得ることまでできるようになった。広く、世間に名前を売ることは、マスコミだけではなくなり、インターネットを駆使するユーチューバーは、新しい職業として、子供たちにまで注目されているという。

 将棋や囲碁の世界でも、今や、コンピューターの方が強いようだ。これは、仕組みを作り上げたソフトグラマーの手柄といえるが、人間の能力の限界を、一部では、確かに突き破ったといえる。

 人間がやる仕事の中身も変わろうとしている。新しい仕事がどうなっていくのか、今、現在は明確にはなっていない。創造的な仕事を、というが、一般にだれもが創造的な仕事に向いているともいえない。

 あるいは、楽しむことによって、人を喜ばせるという役割があるとすれば、感動し、感じる力が仕事になるかもしれない。そうなれば、なにかをゼロから作るというより、人の仕事を感じ、その役割を認める能力も評価の対象となるかもしれない。

 俳句で、句を上手に作る人は、人の作った句について、鑑賞する力があるという。句をみて、いろいろ想像し、作者の思いをくみ取る力、あるいは、その句から発想して、新しい世界に思いをめぐらすことができ、作句した作者の意図を、場合によっては、こえてしまう場合も起こりうる。作品そのものが動き出すのである。

 感想を発表することが仕事になるのなら、それは、ゼロからなにものかを作ることではないが、それでも感想できる感性が必要である。とすれば、それはそれで、仕事になるかもしれない。だが、生計を確かなものにするための仕事としては、これも誰にでもできるとは言えないかもしれない。

 多くの人びとが失業することなく、すべての人が有用な仕事につくことはできない。病気になることもある。すべての人が有用になることはできない。

 それでも病人が全くいなければ、医師は必要なく、看護師もいらない。病人の存在も必要である。能力的に他者の手助けがなければ、生存できない人も存在する。その人々は無価値だろうか。そんなはずがない。人類は、すべてを含めて、生きていく作業をする。

 何事も何者も、捨てない。その姿勢がなければ、人類の生きていく基盤がなくなる。そして、今の時代は、この基盤を確立することが、いよいよ課題として明確になってきている時代の始まりの時代ではないだろうか。

 現実は、この課題からみると、そうはなっていないことは明らかである。実現不可能にみえる。だが、こういう課題がはっきりと浮かび上がってきていることが、小生のような普通の人間にも見えてきていることは、社会の価値観の大変革が始まる予兆ではないだろうか。

 


2022年01月01日 15時07分55秒 | 思考試行

 新しい年を迎えて、やはり何か気分が変わる。不思議なものだ。振り返ってみて、いつの間にか周りはすべて年下の人びとで、今の世の中をどうこうしている人びとは、概ね相当な年下である。

 吾輩はその間どうしていたのか、それなりに生きるのに一杯いっぱいでありながら、たいした成果もあげることなく、ただただ、生き延びてきたにすぎない。

 それでもこのブログにしてもかなりの期間細々であるが、続けてきたし、放送大学の名誉学生になったし、結構やってきたではないか、と言うこともできるかもしれない。

 だが、今年の年賀状を見ると、今年でもう年賀状はやめます、というような同年配の人の年賀状があり、人生の「整理」に入っている年代であることを否応なく感じさせられる雰囲気が漂い、小生としても、同様な気分があり、今年こそ、いよいよ積年の望みを実行し、いわば遺言として、世の中に何らかの役立つ言葉をのこさなければという思いが芽生えている。

 いま、世の中は、良くなる方向へ向かうか、それとも、滅びへの道を辿るのか、その分水嶺に立っているようにみえる。

 新年のテレビ番組では、橋下クンや松本クン、そして吉村クンの最近飛ぶ鳥を落とす勢いの維新の実力者がその「奮闘ぶり」を話していたが、彼らは、博打場を作ることや、戦争できる国にしたいことや、そのにこやかな顔にそぐわない、戦争をものともしない考えについても、共有していることを無視できない。

 今、日本は、公明党が政権与党によりそい、自民党は公明党の助けを得ながら、第二次世界大戦の日本の参戦について、基本的な考えとして義があったのだ、という信念のまま、昔の日本を取り戻そうとしている。そして、政治勢力は維新も含め、その潮流に合流している。怪しい宗教や戦争肯定の思想をもつ連中が政権の主流をなしている。 

 戦争の本当の悲惨さを知らず、憲法9条を変えることに躊躇する様子はない彼らの様子をみるとき、暗澹たる思いに襲われる。そうなれば、人類はおしまいで、これをなんとか止められないかと、ひっそりと念ずるばかりだ。

 戦争がどんな形となるのか、相手の姿を見ることなく、ただボタンを押すだけのことになるのか、人が実際に死ぬところをみることなく、人を殺すことになるのだろうが、どう考えても、どういう形であろうと、人類にとって、殺し合いが、必要であるとは思えない。

 具体の人間が、死ななければならない理由が、国家間の利害関係であることであってはならないのは当然のことである。健康な前途有為な若者達が、そして、国家利害など知る由もない国民が命や暮らしを脅かされるなどあってはならないことである。

 どうあっても、戦争はしないという立場から、何ができるのだろうか。国家として、その決意に立って、世界に臨むとなれば、何をすべきなのか。この道を人類は許さないのだろうか。

 真剣にその方策を探そうともしない現状、人命が粗末に扱われる思想が現実にあり、現実に人の扱いについて、とんでもない差別がある現状、まともにその課題を取り上げていない人類社会の実情をみれば、人類滅亡は充分ありえることであり、そうなるのも致し方ないのかもしれない。否、そんなはずはない、この状況から、人類は必ず生き延びる道を獲得するにちがいないと思いたい。

 


「聞く力」は本物か

2021年12月29日 17時39分10秒 | 思考試行

 国会の論議など、まともにこたえないとか、繰り返しばかりとか、政治の信頼が地に落ちた感が強かったが、岸田首相の「聞く力」のことは、結構新鮮な感じである。当たり前と言えば、そうだが、政治家が国民の声に耳を傾けるのは当然のことであって、できるかぎり説明をする努力をしなければならない。

 日本の民主主義は敗戦以後のものであって、ともすれば、国民世論は縛るものであって、聞くものではない、ぐらいが政治家らの本音だと、国民に思われているのではないだろうか。

 なんでもかんでも国民の言う通りは、うまくないだろうが、状況を説明し、政策についても懇切丁寧な説明をこころがけなければならない。その意味では、安倍・菅政権に比べて、岸田政権はその姿勢が、国民よりにみえて好感がもてる。

 一旦決めたことでも、そのプロセスに問題があったかもしれないが、具合が悪ければ、また、より良いことが考えられれば、変えるという姿勢も、好ましい。一旦決めれば、どうあっても変えないというのは、昔はそうだったかもしれないが、今は、そんな意地を張ることは、害悪である。

 決める前に、できるだけ万全にする努力が必要であり、配慮すべき問題も明らかにすべきだが、不備がわかり、あるいは、より良い方策があれば、行動は、大胆に変えるべきである。権力のメンツにこだわっているだけなら、そんなモノは全く害悪である。

 間違っているとなれば、直ちに変える、混乱を生ずることもあるかもしれないが、そういう姿勢こそこれからの社会にとって必要なことであろうと思う。

 ところが、政権は、憲法9条の改悪に本格的に踏み出す動きをみせている。これは、大変である。戦争をしないために、これ以上ないような憲法9条を変えようというのである。

 戦争やむなし、の姿勢があるということになる。戦争はできればしたくない、だが相手が仕掛けてきたら、やむを得ないという考え方だろう。だが、日本の憲法9条はそうはなっていない。どうあっても戦争はしない、というのだ。

 戦争をしない宣言をしているのである。戦争はしない、というのであれば、この憲法9条は変える必要はまったくないのである。岸田首相がどう考えているのか、先制攻撃についても考えているようであるが、どうあっても戦争はしないという決意はないのだろう。

 ではどうするか。戦争はしないけれども、戦争を仕掛ける国があれば、それは、その国が、大損をすることになるという手立てを考えなければならない。そんなことはできないのだろうか。できなければ人類は滅びる他ないのではないか。

 

 


うそかまことか

2021年12月03日 17時54分39秒 | 思考試行

本当のことを言っているのか、それともウソをついているのか。それがわかれば、世の中よほど住みやすくなる。

ほとんどの日常生活で、あえてウソをつかなければならない時は、ないといっていいだろう。ウソをつくのは、それがばれるとまずいと本人が思っているときであったり何らかの事情でそうした方が、自分のためと言うより、他の人のためであったり、なんらかの意味がある場合であろう。

ウソをついているかどうか、簡単にわかる場合もあるだろう。尋ねる側が真実を知っている場合で、知らぬふりをして、質問をする場合は、相手がウソをつくかどうか、その人物を信頼できる人物かどうか確かめたいときなど典型だろう。

東大の数学科を卒業して、大蔵省に入り、今は政治評論家といえばいいのか、ユーチュブに盛んに登場して、あれこれ意見を表明したり、政治家と対談したり、マスコミを「マスごみ」といい、ほぼ言いたい放題で、魅力的な人がいる。高橋洋一氏である。

幅広い発言内容で、財務省のエリートも「あっ法学部」などと、彼にかかれば形無しである。ある意味痛快だが、かれの発言内容は、すべて信用にたるのだろうか。

マスコミもだめ、官僚もダメ、彼が政治をやってくれないだろうか、と思うのだが高橋氏は政治家になる気はないようだ。多くの政策にかかわり、官僚としての仕事を多くしてきたわけだし、彼こそ、政治家になって大いに活躍してほしいものだ。

だが、自民党に仮にはいったとしても、当選回数やなんかで「雑巾がけ」からなどと言われてはつまらないし、いきなり、党首にはなれないのだから、あれこれ好き放題に言っている方が性にあっているのかもしれない。

彼が魅力的なのは、ウソをついていると思わされる場面がみあたらないことである。明快であり、体験話など非常に面白い。中国のテニスプレーヤーが、政府高官に、関係を迫られたことが話題となっているが、高橋氏が、官僚のときに、中国に行ったときの、ハニートラップを仕掛けられた話などは、非常に面白かった。

まさに、彼の好みのタイプの女性が、ホテルにやってきたというのだ。彼はその誘いに乗らなかったという話をしていたが、この種の誘いをかけられたことなど、まったくないコチトラなど、いちころでやられそうだが、さすが、高橋先生である。そんなハニートラップにはかからなかったというのである。

その高橋先生が、ある政治家と対談していて、中国に10回以上行っているというその政治家にハニートラップはありませんでしたか、と笑顔で尋ねた。

すぐに真顔で「ありませんでしたよ」と件の政治家が答えた。

それ以上突っ込んだ話題にならなかったが、瞬間、ウソだろうと感じた。中国はいろんなことをやってくるという話がある。いやあ大変でした、あれには参りましたよ、とかなんとかの反応を予想したのだが、そうではなかった。

うそかまことか 人間社会は、なかなか大変である。

 

 

 


なんだかなあ

2021年11月07日 22時44分43秒 | 思考試行

 政治家にもいろいろの人がいる。二世、三世の家業化している人、説得されて、立候補した人、自ら発意して政治家を志している人、・・・

 普通に考えて、人前で、演説したり、多くの人を相手に何事か主張し続けることは、エネルギーがいることであり、誰もが憧れる職業とは思えない。

 だが、選ばれた人間として、多くの利害関係を決するキーマンとして、あるいは、特別な力を発揮しうる場面に登場したり、大きな公共工事をふるさとにひっぱってきたり、議員歳費やモロモロの手当てがあるなど、とんでもない魅力的な職業かもしれない。

 現実に、政治は国民の生活に大きな影響を与える。税金で勤労の成果を奪われたり、生活そのものがしにくい環境が作られたり、不公正がはびこり、社会に耐え難い苦しみをもたらすこともある。

 利害関係の存在する社会にあって、政治家の思惑が決定的であり、国民の代表として、最強の立場であり、選挙以外に恐いものはないわけで、政治家は国民生活を左右する強力な立場である。

 政治家を志した人は、そのことを強く意識しているだろうが、なかには、その立場を守ることを目的と化しているのではと思わせられる人がいる。

 こういう人は直ちに、政界を去っていただきたい。正に世のため人のため、に働く、それ以外の目的をもっている人は、政治家にはならないでいただきたい。 

 そして政治家を志した以上、それは生涯をかけて奮闘していただきたい。選挙で落選したとしても、志が折れないのであれば、絶対に諦めないでほしい。 腰掛で政治にタッチしないでもらいたい。

 矛盾するが、一方では、政治は特殊な人が携わるものではなくて、誰もが、参加するものであって、できれば、具体的な政治活動に、全員が参加できるものでなくてはならず、一部の専門家まかせにしてはならない、とも思う。こちらの方が、いいかもしれない。だが、簡単ではない。どうしても代表を通じてとなる。

 声の大小、資力、等々、力関係が、生物である限り、人間社会に付きまとう。恋人を獲得できるかどうかは、この力関係がモノをいう場合もあるが、それだけともいえない面もある。いわく言い難い、相性というものもある。すべてが、合理的に物事がすすむわけでもない。

 この混沌、多様性のなかで、政治はどのように進められていくのか、不公正や弱者無視や驕りから、無縁の、明るい政治を人類は実現しなければならないと思う。ゆくゆくはそうなってほしい。

 ある組織のなかで、強大なカリスマ的人物がいて、絶対無謬の人がいる場合がある。その人が、ある事件を起こし、裁判で訴えられたことがあった。ところで、その人物は、時効を理由に、その裁判に勝利した。その人物のカリスマ性はそれでも衰えをみせない。

 別の組織からは、組織同士の協力をとりつけるのに、このカリスマ人物を国会にきてもらおうか、などと脅す手段をチラつかせることもあった。効果覿面だったという。

 弱み、スキャンダル、人事権、・・・いろいろ駆使して政治家は動き、世の中を動かす。人間社会はまさに、なんだかなあ である。


衆議院選挙結果からの動きをみる

2021年11月05日 10時11分14秒 | 思考試行

 選挙前の報道の動きから、自民党が相当議席を減らすのではないかという見方が多かったのだが、結果は、安定政権の議席を得て、自公政権は、結局今まで通り、「強行採決も可能」な政権となった。

 市民団体も入って、野党連合が不十分ながら、政策協定を作って、政権との対決構造ができたのだが、結果的に、立憲民主党、日本共産党が議席を減らしたことで、さまざまな動きがでてきた。

 労働組合団体でありながら、その実態は、資本の代弁者、別動隊と化している連合は、反共姿勢を隠そうともしない。なにが労働組合だ。労働運動を資本の都合のいい範囲で、とどめ、真っ当な労働運動をやっているふりをする団体であり、労働者のために何かするなど、考えてはいない。労働者を支配、コントロールする役割をになっている組織である。  

 自民党よりも右よりの維新が議席を増やし、大阪では、自民党の議席はゼロとなった。早速憲法を変えよう、などという動きが出てきている。戦争が心置きなくできる国にしたいらしい連中が動き始める。憲法「改正」発意ができる議席数となった。

 彼らは、戦争の悲惨さを知らない。戦争となれば、それがどれほど悲惨なことになるのか、想像力がない連中は、平和の大事さを訴える人を「平和ボケ」などと、簡単に口走ってけなす。どんなことがあっても戦争はしない、とはっきりと宣言している憲法9条をないがしろにしている。

 けったいな選挙制度で、(民意を反映しない仕組み小選挙区制度)多数の議席を得た連中は、はやくも、憲法9条を変えようと蠢きはじめた。

 国民は、賢くならなければならない。わからない、などと言っているうちに、戦争にまきこまれることになりかねない。どうあっても戦争はしない、はっきりと戦争を否定している憲法をもっているにもかかわらず、安倍政権は、同盟国の他国がせめられたという口実さえあれば、日本も戦争できるという、とんでもない法律を作った。

  憲法違反の法律だけでは後ろめたいのだろう、憲法そのものを変え、自衛隊を憲法に明記したがる。

 憲法9条をすなおに読めば、この国は戦争をしないのだな、としか思えない。普通の神経ならば、これを無視はできない。

 憲法は、平和を世界に広げる役割を果たしている。平和を希求するとなれば、まさに、世界を指導する立場といえる。それを馬鹿にし、ないがしろにして、舐める国がはびこるとすれば、それは、間違いなく人類滅亡である。

 ところで、立憲民主党の指導部が、この度の議席減の責任をとるという。政党の指導部がどうあるべきかの問題は、人類の性癖に関わっている。ロシアや中国、北朝鮮などの動きをみても、権力の維持のために必死のようである。権力を維持のための動きは、あきらかに弊害が見える。独裁体制をとり、人民からは、自由を奪おうとする。

 立憲民主党の場合、共産党との共闘が問題となっているようである。マスコミのコメンテーターなども、共産党は「自由がない」世界をめざしているのだからと、ひとことですます反共発言をする者がいる。そんな党と組むとは考えられないなどと、事実を無視する悪意にみちた発言である。あたかも一般常識のように。

 当の共産党は、かつての社会主義国、今の独裁体制は目指さないと、繰り返し言っている。では、どういう政権をめざしているのか。そこには、彼らの主張するような世界はない。彼らは、共産党の主張に、まともに向き合うことはしない。関心を持とうとはしない。知っていても無視を決め込む。

 真に民意を大事にし、人々が生き生きと、助け合って生きていく社会とは、どんな社会だろうか。人類は結局、そこを目指すのではないだろうか。

 ともあれ、野党が合意できる内容で、協力しあい、政権与党と対決することは必要だ。政権与党が何をしても野党が分断状態であれば、これに戦うことはできない。

 維新は、政権与党よりさらに危険な要素をもっている。憲法改悪には、さらに積極的である。彼らは、一生を政治にかけるつもりはない。疲れたら、辞めるつもりだ。現役の期間は、身を切るつもりだが、それがすめば、マスコミに登場してギャラを稼ぐ。

 デマに騙されずに、戦争に巻き込まれないように、しっかりと彼らの動向を監視しなければならない。ますます油断はできない状況となっている。