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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

わからないまま享受していること

2022年10月21日 23時24分38秒 | 思考試行

いつの間にか、完全な高齢者となり、肉体的にもさまざまな事象が起きてきている。特に今年になって、あれこれの病名がつき、ペースメーカーも入った。心電図にも、機械が働いた痕跡が見られるという。ほとんど、自前のもので鼓動が打たれていると思っていたが、発作が起きたときの徐脈状態が、時々はあって、その都度、ペースメーカーが助けてくれているということらしい。

9月のある日突然の発作であった。経験したことのない全身の異常状態。汗がでるし、突然の熱中症かと思い、妻に氷など用意してもらうも、とてもそんなことではダメだということを直感、直ちに救急車を手配してもらった。意識ははっきりしているものの、脈拍は正常の半分だという。この気分の悪さ。結局、病院に担ぎ込まれて、ただちにペースメーカーをいれなければならないとなった。

一瞬のことで、身体障碍者となった。体に小さい機械が埋め込まれた。レントゲンでは機械の中の部品が写っている。睡眠中も機械の動作をみるための別の機械を枕元において、ほぼ常時監視つきである。

体感的には、これが入ったからといって、日常生活には変わりはない。凄い世の中になっていることがわかる。

心臓に直接電線が接触しており、パルスを送るのだが、心臓が正常に鼓動を打って居れば、機械はなにもしないという。異常があれば動作するというのだから、まったく恐れ入る。

まさに現代医学の成果によって、直接に生かされているのだが、これはこれとして、小生にはさらに癌もある。この治療も始まっている。再発の癌である。そこへ古傷のヘルニアも徐々に対処しなければならない状態もでてきている。結構忙しい。

仕事をやめたのは、癌による入院となったときだったが、まさに、仕事をやるヒマは完全になくなってしまった。このようにして、老後の暮らしに移行するのだな、という実感がある。

それにしてもctrl+uと打てば、このブログのページのソース表示がされる。このおかげで、この駄文が書けているわけだが、世の中わからないことがどんどん増えて、多くの方々のお力をいただいて生きているのだと実感するばかりである。


考え方を考える

2022年10月18日 17時43分25秒 | 思考試行

自分自身や子供や、大切に思っている人が、病気をしたり、何か不都合があった場合、どう考えるかが問題となる。生死にかかわる場合はむろん平静ではおれないかもしれない。

そこで、自分の行いが悪かったのではないかとか、他人のことを恨んだことがとか、その他神仏の罰を受けたのではなどと、考えがちである。そこへ、悪徳宗教がチャンスとばかり、忍び込んでくる。

あたりまえの常識的な良心的なことを言いつつ、それと、へんてこな理屈をつけて、奇跡だの神仏のおかげをもちだしてくる。そこを入り口にして、入信させるための手だてが始まる。

旧統一教会をめぐって、政治家がその活動にお墨付きを与え、政治家は選挙運動に絶大な支援を受ける。この援助なしには、当選できない議員もいる。安部さんに今回は宗教団体の支援をうけられないと聞いて、出馬を諦めた現職議員もいた。ズブズブの関係である。

病気や、困難な事象は、生きているかぎり無縁ではありえない。病気になる原因は、すべてを把握することはできないが、コロナのように、人類にとって未経験な感染症があったりする。ご本人の健康を害するような、暴飲暴食や、過労など、その他、心当たりのない疾病もあり得る。

世の中の経済事象や、為政者の失政があったり、ウクライナのように突然攻め込まれることもある。どこから、困難が事象がふりかかってくるかもしれない。それには、いろいろな条件が重なる場合がある。

だが、神仏にその原因をもってくるのは、まずそれをタネにする「宗教家」がいたりするから、ご用心である。証拠もいらないし、奇跡で片づけられるから、これは簡単である。もっともらしい演出が重なれば、疑うことをしない人は、だまされる可能性大である。

「宗教家」はこれで、大儲けをし、大神殿を建て、優雅な暮らしをすることになる。

病気になろうが、災害に会おうが、そこそこに対応しながら、なんとか生き延びていこうと決意し、寿命がくれば、それに従うとして、それでいいではないか、と思っている。それまで、自分がいいと思うように行動し、ごまかさずに生きていくことにして、道を外さぬように心がけ、もしか間違えばこれを正して、心のなかで、神仏がいるかもしれないので感謝していけばいいのではと考えている。神仏にはまかせるしかなく、たよるべきものではないと感じている。

 

 

 


人類の運命やいかに

2022年10月14日 18時27分31秒 | 思考試行

プーチンの価値観がどういうものであるのか、まったく知らない。

ウクライナは、そもそも国家ではなく、本来ロシアであるべきで、今は「ありえない」状態であるとでも思っているのか。

さもなくば、こんな無茶苦茶な進攻などありえない。平気でウソをつくし、ロシア外相や、ロシア日本大使についても、考えられないほどのウソをついている。

ロシア国民の力のある連中は、国を離れているし、脱出が続いているようだ。だが、制度的に独裁制度は盤石のようで、表立って公式な批判勢力はないかのようにみえる。プーチンに効果的な反対勢力の運動はみられない。

そんなことをすれば、ただちに、「合法的」に粛清されるだけであり、どうにもできないと思っているようだ。あるいは、もうすでにそうした人がいて、人知れず粛清されているのだろうか。

反対勢力が、まったく声をだせないというのは、本当に不健全なことである。権力を握った者が、不健全極まりない価値観を持った場合に、これを糾す手段がなく、そうはさせないための、仕組みが完璧に作られており、これを壊すためには、どういう方策があるか、人類はまだそれを獲得しておらず、あるいは、今、ウクライナで、その壮大な実験が行われているのかもしれない。

プーチンに続きそうな、指導者は、まだまだいて、独裁体制の国家もある。これらの国は、どのように変遷していくのだろうか、かれらが人類滅亡の引き金を引き、人類の歴史の幕引きをするのだろうか。

人類は、そうとういいところを歩いていると思うし、もっと良くなるべきだと思うのだが、果たせぬ夢になってしまうのか。人類が、ここまで来るには、大変な努力もあり、幸運にも恵まれてきたようにも思う。それが、本当にしょうもない連中のために、壊されてしまうのは、本当に情けないことである。


ありえない不法行為を国家が実行していることについて

2022年10月01日 18時26分48秒 | 思考試行

ロシアのウクライナ進攻は、どういう理屈でそうなったのか。ロシアの言い分は、無茶苦茶な理屈である。それでも人間社会は、この不法行為をただちに止めさせることができないでいる。

プーチンのような人物がいるかぎり、人間社会は成り立たない。ところが中国、インド、ブラジルなどの態度は、このプーチンのやり方を、非難しない。

彼らも、それだけですでに大罪である。こんな国が大国として、ふるまい、人類に不安を与えている。考えられない事態である。

こういう状態で、人類は生存を継続できるのだろうか。これではいつ人類が滅びても仕方がない状態である。

なにも知らない、子供たちや、奇跡のような多種多様な生き物が生きている、地球そのものが破壊され、破滅しようとしている。

この期におよんでも、この滅びへの道を歩むロシアを、その指導者プーチンを、効果的に止めようとしない世界の動きには深い思慮があるのだろうか。すでに大罪を犯している指導者をいつまで甘やかすつもりだろうか。


旧統一教会をめぐって

2022年08月06日 18時09分12秒 | 思考試行

旧統一教会はとんでもない集団である。名称を変更している今もなお、人々を洗脳して、多額の献金をさせ、霊感商法を思うさま展開しており、日本に多くの被害をもたらしている。

旧統一教会が、名前を変えたいと言い出したのは、悪行が知れ渡り、なんとかこれを隠そうとする、ミエミエの魂胆であり、悪評をごまかすためであることは明白であった。

狙いを見破った心ある官僚は、名称変更を長きにわたって、認めない立場をとってきた。

ところが、書類が整っていれば、認めざるを得ないと言い出すものがいる。統一教会が何をしてきたのか、問題にすることもなく、名称変更を認め、今や統一教会の雲隠れを是認している現状となっている。

なんでこんなことになるのか。名称が変わって、中味は変わらず、今も被害が続いている。名称変更により、統一教会とは知らなかった、などという、国会議員もいる。名称変更の効果がでているということだ。

カルト宗教をどう扱うか。選挙のときに無報酬で手伝ってくれるとか、まとまった票をくれるからとか、政治家にとって、有難い存在であり、利用価値は高い。その政治家は、彼らカルト教団の広告塔となって、お互いウインウインの関係だと思っている。

騙されて被害をこうむっている国民のことは、眼中にないようだ。こんな宗教集団は当然ながら、解散させるべきだろう。社会に大きな害悪をもたらしているのだから、当然のことである。

眼が節穴かといいたい。外国では、この宗教集団の本質を見抜いて、然るべくとるべき措置をとっているところもある。日本では、なんとウインウインの関係だ。

ロシアの進攻も嘆かわしいことだが、安倍元首相の銃殺事件によって、明らかになった、政治家とカルト宗教集団との関係も恐るべきものである。

これが、選挙にどう影響していくのか、国民の目が、多くの人々が、どう考えるのか、これに反応するのかどうか、選挙でドッと状況が変わることにならないものだろうか。しっかりと反応する国民であってほしいものだ。

自由と民主主義と共産主義は、決して矛盾するものではないと思うが、共産主義をいいつつ、中味は権力闘争にあけくれ、専制主義に落ち着いていくようでは、来るべき社会はどうなっていくのか、なかなか先がみえない。

人と人が助け合い、気持ちよく暮らすためにはどうすればいいかと考えあう社会になるようにしたいものである。世界をみれば、その方向性は、徐々に、てきているようにみえる。日本もしっかりしていきたいものである。

 

 


誰が正しくて誰が悪いのか

2022年06月28日 12時38分59秒 | 思考試行

昔、ソ連という国があって、それはそれは、力があった。ウクライナもソ連の一部だった。それがあろうことか、今や西側に完全に行こうとしている。

これは我慢できない。プーチンはそう思ったのだろうか。

時代は変わる。いつまでも同じ場所にはいられない。すべては変化し、姿を変える。ロシアもその姿を変える。プーチンが思う昔の世界にもどる可能性はゼロに近い。

いま、大激変の入り口にいて、世界は、大きく変わらざるを得ない現状となっている。ウクライナは自前の武器が不十分であるが、西側の支援が続く限りは、降伏せずに頑張り続けるだろう。引くに引けない戦争である。だが、西側の援助が続かなければ、滅亡しかない。となれば、降伏しかない。

西側の援助は、小出しの感じがあり、戦闘の状況をみながらの、覚めた雰囲気があるようにみえる。怒涛のように援助するのかと思えば、さほででなく、ウクライナはどんどん支援をと叫び続ける。

ロシアの核威嚇によって、西側は腰を引き気味である。こわごわの支援になっているのではないか。ウクライナの犠牲を思えば、一刻も早い勝利をウクライナに与えなければと思うはずだが、そこでも、冷徹な計算があるようにみえてしまう。

長引かせて、ロシアの力を減らそうという狙いかもしれない。だとすれば、日々のウクライナの人々の犠牲をなんと思っているのだろうか。プーチンに負けず劣らず、西側も、冷徹な政治家揃いではないか。

じわじわと騙しだまし、プーチンの意向を探りながら、核を使わないギリギリの線を狙って支援しているようである。

今のこの状況こそが、人類の実態を示しているのだが、黒白をつけようとする人間が多くなれば、あるいは、超人間的な考え方で、人類の歴史を終わらせようとする人物があらわれ、決意するならば、人類は、その歴史を終える時代を迎えているのかもしれない。

明らかに共生を目指す社会がある一方、弱肉強食を是として、勝利の快感に浸っている人物がおり、自らの信念のためには、いくら多くの人が犠牲になろうと平気という人物もいる。貧富の格差をなんとも思わず、これをどうにかしようという意欲など、まったくない人々もいる。

人類は、全体として、今あるべき姿へ向けて、歩みを進めているのか、それとも、迷い続けているのか、それとも、迷いなく滅びへの道をまっしぐらに落ち込んでいるのか、それは、誰にもわからない状態なのか。わかっていても、止められないのか、結局はなるようにしかならないということか。

 

 

 

 

 

 

 


最低賃金をあげるしかないのだろう

2022年06月23日 12時41分26秒 | 思考試行

企業主からすれば、自分の報酬と賃金の関係は、まさに利益相反になるわけで、中小企業であっても、企業主の力は圧倒的に強く、労働者の賃金は低く押さえつけられる。

制度的に労働者が流動的に動くことは、労働者のサイドで不利に働くという思い込みもあり、また、あまり職業をかえることについて、良い評価が得られないというような、「常識」もあって、労働者は低賃金を我慢してしまう傾向がある。

企業主サイドは、文句があるなら、かわりはあるんだよと、強気である。そこまでいかなくとも、できるだけ賃金は低い方がいいと思っていて、そのように実行する。世のため人のため、働く人の賃金はできる限りあげようと思っている経営者はほとんど皆無なのだろう。

かくして、先進国の中で、日本はこの30年間、賃金は横ばいであった。他の国は例外なく賃金はあがっており、日本の賃金の横ばいは、いかに、企業側が利益を出していても賃金にはまわさないという実態を、はっきりと数字で示している。

労働者は当然怒るところだが、強い者にはまかれろ、的な考えがあるのか実に大人しい。選挙をしても、保守的な動きであって、劇的な変化を求めようとはしない。これでは賃金など上がるわけもない。労働組合が消失して、あっても事実上、経営側の別動隊のような労働組合だから労働者の要求にかなうものにはなりえない。

しかし、賃金をあげないでは、消費もふえないし、企業主サイドにもその不利益が及ぶ。限界まで、賃金を押さえ込んだ副作用が、これだけ顕著になっても、経営者側が賃金をあげないのならば、これは、最低賃金をあげるしかない。

法的に、賃金の最低線を決めるわけだから、経営側もこれには従うほかはない。これをやれば、エライことになるなどと、騒ぎ立てるが、韓国の例をみると、日本の半分ぐらいの賃金水準であったのが、今や、日本を追い越している。

日本よ、いったいどうなっているのか。労働者が大人しすぎるのも考えものということだ。


アフガニスタン、ミャンマー、ウクライナ・・・

2022年06月17日 23時09分36秒 | 思考試行

ウクライナから難民として受け入れている人数が増えている。さまざまに施策がとられて、それがウクライナの難民の力になっていることは、誇らしいことである。他方、ウクライナ以外の国の場合、扱いがかなり違うらしい。

どうして、そんなことになるのだろうか。もともと、日本の難民受け入れについては、相当厳しくて、簡単には難民指定がされないという。ウクライナが突然進攻されて、困難に陥り、この事態を迎えて、日本の援助の手が差し出されたことは、当然のことだと思うが、国によって依怙贔屓があるのだとすれば、おかしいことだ。

だいたい、日本の歴史は、制度的に弱者に対する思いやりがない。歴史的に、支配者の都合のいいように運営されてきたのではないか。本当に庶民の立場にたって、政策をすすめるならば、違うやり方になるだろうし、日本の今のような成長ができない国にはならないだろうと思う。

弱者の犠牲をなんとも思わないような政権など、早く変わってほしいものだ。

 


共有知識

2022年06月04日 23時06分37秒 | 思考試行

日本の道路では、車は左側を通る。これは、皆が皆、そうすることについて、例外なく、そうしているからであり、誰もが、そのことについて、なにも疑いをもっていない。こういう知識を共有知識と言うらしい。

人類共通の共有知識があるのだろうか。人を殺さない、といっても現実に殺人事件はあり、ロシアは、ウクライナに進攻し、多くの人がなくなっている。人を殺さないことが、人類の共有知識とはなっていない。殺しあうことが現実である。命でさえ、おたがい大事にすることさえできない。

このような、基本的なことさえできない人類は、これからどうなっていくのだろうか。さきざきの展望は暗いと言わざるをえない。

悲劇がなくなることはなく、国家間の争いはもちろん、小さな単位でも、個人間でもその種が尽きることはなさそうである。他方、真反対の現実もあり、自らの命を捨てても、他者の命を守ろうとする人間がいる。

人類にとって、何がもっとも大事なのだろうか。何か一つというわけではなさそうだが、争いのもとは、しぼることができそうにも思う。

どうやら、「力」がキーワードのように思える。他者よりも、優位に立ちたいと思う人間や、組織は、その力を維持したくて、あるいは、さらに強くしたいと思うのではないか。それが、諸悪の根源のようにみえる。

権力を必要としない、あるいは権力を否定するような社会組織ができれば、相当多くの争いごとが消滅するのではないか。民主主義は、かなりそのことを意識している。全体主義、権威主義的な国と比較した場合、見かけの社会の混乱状況とは別に、本質において、人類一人ひとりの暮らしにとって、のびのび暮らせるかどうかについて、大差があると思う。

日本の場合、敗戦によって、民主主義がもたらされたが、国民自らが、意識改革を行って、勝ち取ったものではないため、本質的には、危ういものではないかと感じる。コロナ騒ぎでマスクの定着ぶりが話題となっているが、ここに、日本の他者の目を気にする傾向が強いことが指摘されている。

個人が自らの意見をもって行動しない傾向があることを意味しているのではないか。力の強い者にやすやすと牛耳られてもかまわないという意気地のなさがみてとれる。

多様性の大事さが言われているが、没個性では、多様性は生れない。自分の好み、意見をしっかり持つことが重要と思う。


何を言っているのか、わからない本がある

2022年05月24日 20時54分05秒 | 思考試行

日本語で書かれている。しかし、新しい知識を与えられた感じがまったくない。コンピュータの計算ついての本なのだが、どこからどうとりつけばいいのか、さっぱりつかめない。

計算に関することだが、世界が全然ちがっていて、アプローチがまったくできないのである。そもそも、数学の世界では、まったく歯がたたない分野があることについては、うっすら気付いてはいたが、今や身近なコンピュータをめぐって、こんなにわからなくていいのだろうか、と思う。基礎力がないのである。

ゼロかイチかの区別ができれば、コンピュータは仕事ができる。二進法を使えば計算はできる、どうやって?電気回路でそのやり方を示すことができる。だが、具体的に素子をどうつないで、どうしているのか、頭で理解できるようにはなっていない。

そもそも世の中謎だらけである。テレビだって、どのようにして画面がみられ、音声が聞けるのか、知らない方は結構いるのではないか。小生だって、放送局から放たれた電波が、映像情報や音情報によって、変調されて、受信側で、その情報を再現しているという位は知ってはいるが、細部に至っては、とても知っているとは言い難い。

これは、誰かが、細部にわたって知っている人がいて、大量生産の仕組みを用意しているのはまちがいなく、大事な部分を、熟知している人物は、確かにいるのだが、それ以外のほとんど大多数の者は何も知らないでいる。

専門家は、さまざまな分野にいて、冒頭の計算の話にしても、いろいろな分野に、その学問分野の力が、影響していて、これをしらなければ、成立しえない分野がある。

ということは、天才と言われるような人々の努力の成果が、積み重なって、現実の世の中ができているといってもいいかもしれない。できることなら、それらの仕組みをすっきりと理解したいところだが、それはほぼ不可能だろう。

それでも、この精緻な世界の実態を感じるとき、プーチン氏のような連中が、いることはまことに嘆かわしい。彼一人が意志をもって、行動したことで、ロシアが今度の進攻事件を起こしたのか、どういう構造で、可能となったのか、これは必ず解明されなければならない。政治の形態がどうであり、国民はどのように考えてきたのか、なぜ、このような蛮行をなしえたのか。

ロシアの在外高官が、プーチンのやり方に我慢できなくなって、辞任する者がでてきた。あからさまなウソをつき続ける連中のいよいよ終わりの兆候がはっきりとでてきたということではないか。

プーチンの論理は、西側からみれば、無理筋であることは、はっきりしているが、ロシア国内では報道統制がきいていて、簡単ではないらしい。

冒頭に書いた計算理論の話は、本当に理解の範疇から遠いが、それに比べれば、プーチンのいうことは、なんと馬鹿げているか、ということは、はっきり理解できる。

自然科学技術の人類の到達点を、プーチンは知っているだろうか。彼は、ロシアの歴史を研究しているらしいが、もっと理系分野についても勉強すべきである。核や化学兵器の使用をちらつかせるなど、話にもならない低レベルである。

 


あの世があるのか、ないのか

2022年04月27日 18時37分07秒 | 思考試行

 あの世があって、この世との関係が「調整」されているとすれば、この世でいくら理不尽な目に会おうとも、あの世に期待することができる。逆に、我ながら、悪事を働き、この世での成功を勝ち取ったと自覚できる人は、あの世の存在があるなどとは思わないかもしれない。あの世でひどい目に会うのはまっぴらごめん、と思うことだろう。

 この世で、はっきりとあの世の存在が証明できるとは思えないから、あると思っても、ないと思っても、それはこの世のことには、直接関わらないことではある。だが、あの世があると思って、他人のことを思いやり、できるだけ自己利益の追求を控えている人は、結局のところ、他者にとって、好ましい人物であり、この世での成功の可能性の高い人であるといえる。ただ、あの世の自己利益の追求ということであれば、少し寂しい気はする。

 この世かぎりと、この世での戦いに全力を挙げている人は、厳しく、苛烈な自己中心主義者となるのかといえば、ただただ、あの世があろうが、なかろうが、懸命に努力し、その結果この世での成功を得たとするならば、それは、非難すべきことではない。

 他者を騙し、突き落とし、あらゆる手段を講じて、自己の望みを満たそうとする人は、周辺の人々に、おおいに迷惑をかけている。この世で素晴らしい成功を収めたとしても、こういう人こそ、あの世でひどい目に会ってほしい、と誰しも思うだろう。

 さて、どうなるのか。それは死んでみないとわからない。いずれにしても、あの世があろうが、なかろうが、関係なく自ら正しいと思うことを、実行することにすれば、悩むこともない。

 あの世をあるとして、怪しい説に惑わされることもない。あの世があるかないかは、私にはわからない、という立場でこの世にのぞむということである。「神」が存在するかしないか、も同様である。神の存在は、わからないけれども、宗教者の言う、良いと思う点は、とりいれ、神が、いてもいなくても、自ら信ずるところを生きるのみである。

 多くの騙しのテクニックは、あの世があるとして、さまざまな手練手管をこうじてくるのだから、豪華な装飾や、構築物に騙されることはなく、まっとうな暮らしを続けることができるのではないか。


約束が守られない・・・ウクライナの気持ち

2022年04月26日 22時40分34秒 | 思考試行

 アメリカ、イギリス、そしてロシアも入って、ウクライナを守ると約束していたのに、もろくも約束は、反故になってしまった。

 当事者となって、ロシアの進攻を止める戦いには参加しないとなった。もしかウクライナが、NATOにはいっていたなら、進攻を受けることはなかった、と言われている。

 もっとも、NATO対どこかの国という戦いが起こったことはないのであるから、実際にどうなるのかは、わからないことだが、それにしても、ロシアは簡単にウクライナには、進攻しなかっただろう。

 当初ロシアは、進攻に対して、ウクライナは、すぐに降伏するに違いない、と思っていたといわれている。

 それは、たいへんな認識の相違ということになるが、さらに、ロシアは、西側がウクライナに武器の援助や、情報提供などの、肩入れをすることで、戦いは容易ではないものとなっている。ウクライナは最後まで戦う姿勢を明確にしているから、西側も途中で援助をやめるわけにはいかない。

 かくして、戦争は簡単には終わらない。たいへんなことになったものだ。プーチンのような権力者が現れたことで、この状況がうまれたと言えると思うが、言論の自由を奪うところから始めるのが、こういうタイプの権力者の常套手段である。

 住民の立場でいえば、平穏な日常生活が欲しいだけであって、とにかく戦争をやめてほしいということだろう。どちらが勝とうが、そんなことはどうでもいい、と言えば言い過ぎだろうか。

 戦争をどうしてもやりたがる考え方というのは、どこから出てくるのか。人類は、この兆候を正しく見抜かなければならない。言論封殺をし、そこまでいかなくとも、権力に阿る傾向があるとすれば、敏感に対処できなければならない。

 当ブログにしても、いつの間にか、「検索」では、到達できなくなっている。今まで、書いた内容は、それほで過激ではないと思っているし、理不尽なことは書いていないと思うが、権力の目からみれば、そうではないのかもしれない。それにgooが反応して、何らかの「処理」がされたのかもしれない。

 無料で、こういう場を提供してもらっているのだから、文句を言える筋合いではない、ということかもしれないが、いつのまにか、抑圧されているのかもしれない。

 

 


久しぶりのカテーテル治療

2022年04月24日 15時54分29秒 | 思考試行

 少し胸が苦しいような気がしてはいたが、まあ日常的に左程の支障がないという感じなので、家内にも黙っていた。ところが、布団の上げ下ろしに、しんどさがあり、ついに問い詰められて、しんどいような気がする、と言わされた。

 前歴のある身でもあり、早速、病院に電話することとなり、翌日、診察を受けた。医師は、当日の諸検査の結果をみて、カテーテル検査を勧めた。前回の手術から、もう7年も経つ。

 そう言えば、前回のカテーテル治療の結果は、万全の合格ではなく、いわばスレスレの合格であったことを、思い出す。

 今回、自転車漕ぎなどでも、あまり異常を感じなかったので、検査は合格だろうと思っていたが、さにあらず、やはり異常はあったらしい。

 7年も経つと、治療のやり方など変化していて、僅か2泊3日で退院となった。

 腕からのカテーテル検査の結果ほとんど心臓の冠動脈が2本つまりかけているという。これから治療に移ります、となった。術中は、かなり胸が苦しく、手術は、ほぼ2時間を要した。これはかつて経験しないことだった。

 技術の進歩もあるのだろう、医師は全部通りました、と明確に、いい、さらに明日、退院です、の声を、直後の手術台のベッドのうえで聞いた。

 安定剤を飲んでいるし、先ほどの痛みの余韻もあって、さらには腕には大層なガードががっちり巻かれていて、これで明日退院できるのかいな、とぼんやり思っていた。

 だが、時間が経過するうちに、胸の痛みは徐々にひき、点滴の管が外され、ウデのガードも外されると、退院の実感ができてきた。

 7年前はこうはいかなかった。まず、検査のカテーテルをやって、対策が決まってから、治療に移る。一度に検査と治療はしていなかったから、日程的にも負担だった。

 手術後、体感は相当変わった。今まで、しんどかったことが実感できる。新しい命をもらった感じである。それにしても、徐々に体調を崩していたことをまったくと言っていいほど、気付いていなかったことに驚く。

 いつも手術前には、「五蘊皆空」を思い、それなりに覚悟を決めているのだが、ウクライナの人々のことを思うと、命を大事にされていることの有難さを感じるとともに、プーチンの「価値観」の所為で、多くの人々の命が、実に粗略に扱われ、その扱いの残虐さに、あらためて怒りを禁じえない。

 


「命をかけて」の実際

2022年04月22日 12時31分56秒 | 思考試行

何か、するのにいちいち「命がけ」でやるつもりだ、という人は、口には出さないけれども、案外多いのかもしれない。

些事であればあるほど、こういう覚悟で、取り組んでいる人がいるとすれば、それは本当にいい仕事になるだろう。

ロシアのウクライナ進攻は、人間とは何だろうか、明らかに攻める側と攻められる側に分かれた戦争であるが、否応なく命がけの「できごと」が今、展開されている。

普通に考えて、ロシアに「正義」があるとは思えないが、プーチンの頭の中には、どうしてもひくことのできない事情があるのだろうか。彼があるべきと思う「我が国」の現状には我慢がならないのだろうか。

その実現のためには、自分の命だけではなく、国民の命をかけてでもなしとげなければならないものなのだろうか。

しかしながら、客観的にみて、こんな戦争を誰が望むだろうか。兵器産業の資本家はホクホクかもしれないし、戦争があって、大儲けできる人々がいることも確かなことだし、人類の戦う本能が満足されるということもあるのかもしれない。

現実に命をかけた戦いが行われていて、この決着はどうなるか、見えていない。ロシアが勝ち続けることは、戦いがやむ事態を招来するとは思えない。ロシアが負けるまで、この戦争は続くと思う。

そうなれば、ロシアが、というよりプーチンが負けるときに、いよいよ核を使ってしまうかもしれない。使い方にもよるが、本格的な核戦争となれば、これはいよいよ人類の滅亡となる。

ロシアのない地球なんて意味はない、などとプーチンが言っているらしいが、プーチンがいなくなれば、ロシア国民がそうとは思わない可能性が強い。

彼がたとえ核のボタンを押そうが、それは直接核ボタンでないとすれば、最後の最後のひとが、ボタンをおさなければ、いいのであるが、世界の核ボタンの最後の人々が、示し合わせて、絶対にボタンを押さないようにしようと、決意していたら、人類はまだ生存できる。

独りのとんでもない人間のために、多くの人々が生存の望みを絶たれるのを許してはならない。人が集まれば、悲劇がおこり、喜劇があり、様々なことが起こる。すべてが心地いいものだけではない。

だが、生きるということには、すばらしい喜びもある。人類の歴史は、このような事件で、終幕とするには、まったく割にあわない。

人類はこの問題をどう解決するのか、「命がけ」で考えなければならない。

 

 


信じてはいけない人々、国

2022年04月14日 11時08分51秒 | 思考試行

個人一人ひとりは、信じられない人がいることは、理解する。が、ロシアの外相、国連大使や、在日ロシア大使など、要人と言われる人々が、口を揃えて、真っ赤なウソをつく姿には驚かされる。在日ロシア大使は、流暢な日本語でテレビキャスターの質問に平気な表情で、明らかなウソをついていた。論理的に破綻していようと、「それはあなたが信じているんでしょ、私は信じません」という調子である。

インタビューしているテレビキャスターは、驚きと不快感を隠さないが、そんな表情にも、平然としている。激昂することもなく、(そこまで芝居はできないか?)怒りを表すことはない。表情のない眼が印象的である。これが、嘘つきの人間の眼の実例である。そんなはっきりした場面に出会うことなんて滅多にないから、よくよく見ておくべきである。

情報統制下のロシアでは、プーチンの支持率が上がってきているという。これだけ科学技術が発達して、世界の事情を瞬時に理解できるようになっているにもかかわらず、大勢の国民を騙し続けることが可能だということに、驚きを禁じ得ない。

ために、ロシアの軍隊は、ウクライナの国民の命をうばい、力で領土を奪おうとし続けている。国民の支持を背景に、戦争を続けることが可能である。国民が事実を知ったとき、プーチンは支持を失い、戦争遂行勢力は勢いを失うことは明らかである。

外部からの、情報提供の努力はなされているのだろうか。

一般に独裁政権が内部から崩壊するのは、非常に困難なことで、その技を人類が獲得することは、人類が今後、克服すべき課題だろうと思う。とんでもない独裁者がでてこないような、情報伝達の仕組みを人類は構築しなければならない。

結局国民一人ひとりが、賢く、良く眼がみえていなければならない。プーチンの歴史観、国家観に引きずられて、他国の平和に暮らしている人びとが理不尽に命を奪われ、暮らしを壊される事態を招いていることを知ってほしいものだ。