ソ連の核は、ウクライナにもあった。それを、すべて国外に移した。核をなくして、そのかわり、国家の安全は守られるという国際的な約束があった。
だが、今ロシアに、ウクライナは攻め込まれ、武力による進攻を受けながら、武力に関しては約束は守られず、誰も助けようとしない。戦力が明らかに違い、一方的に破壊され、ただ敗北を待つばかりの状態である。これを見殺しという。
交渉にはいったとしても、ロシアの言い分が強く主張されるだろうし、ウクライナ国民の意志など顧みられるわけもない。明らかな不正義であっても、世界はただただ眺めているだけである。
経済制裁などが検討されているが、ただいま現実の事態をただ眺めているという姿は、実際に不条理な現実が展開されている。とんでもない権力者が現れたときの対処が、まったく用意されていなかったことが露呈した。
これから、プーチンがどうなり、ロシアがどうなっていくのかが、将来の人類の行く末を決める。ロシアの言う通りのことが現実化されるならば、中国は現状変更に、踏み出すことに躊躇しないかもしれない。
あるいは、ウクライナが落ち着いたとして、各国の制裁が効果を発揮したとして、プーチンがその責めをうけ、権力者の地位を、追われるようであれば、人類社会はようやく健全な方向へと舵をきったことになる。
ところが、地球上には、プーチン流の権力者がヤマほどいる。こういう連中を根絶するためには、個々の人類がよほどしっかりしなければならない。
日本のマスコミは、ウクライナの問題を掘り下げて、とりあげてはいない。日常的な娯楽番組を平然と流している。
この時とばかり、日本の憲法9条に焦点をあて、自分で自分を守らなければ誰も守ってはくれない現実を訴える政治家がでてきている。
日本が自ら戦争を起こせないとしても、進攻を受けた場合にどうするか。憲法解釈にはいろいろあるが、自衛権はあるとすれば、自衛隊が死にもの狂いで頑張り、国民もこうした理不尽な進攻を許さない戦いに立ち上がる他ないだろう。
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