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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

日本の進むべき道

2021年10月20日 12時38分17秒 | 思考試行

 原発がダメなことは、今現在将来の設計ができないことである。日本は、そのミキリができない。なぜしないのか。

 政権は、現在与党の後ろ盾たる電力業界の意向を受けて、方向転換ができない。世界の動きともマッチしない。

 世界は、主要国が原発にミキリをつけて、方向を変えている。

 しかし、日本が、これを方向転換できるとすれば、原発にとどまらない。日本の成長が止まってしまった原因をみるなら、この「方向転換」できない頭の固さにある。

 はっきりと失敗しているにも関わらず、若者たちの政治不信からの無関心に助けられて、この頭の固い政治を続けることができた。おかしいところは、変えなくてはならない。大胆に方向転換できるのは、若い頭であり、意欲である。

 若者たちの意欲、エネルギーをうばい、科学技術者を冷遇している現政権の罪は深い。

 若者達が投票行動に参加するために、政治がわからないなら、この際しっかりと勉強することだ。自分たちの将来である。しっかりと、現実をみつめ、ごまかしや隠し事をさせない政治の実現のために、若者達がたちあがらなければならない。

 誰のためでもない。自分たちのためであり、それが、全体のためでもある。萎縮して、どうせ私の一票ぐらい、などと考えることが、分断をうみ、格差を広げ、成長できない政治に加担していることになる。


中国の行く末は・・・そして選挙は

2021年10月16日 18時47分05秒 | 思考試行

 香港の事態はその後どうなっているのだろう。大きなニュースになっていないようで、ほとんど中国の思うとおりに進んでいるように感じる。体制ができていて、無理くりでも、彼らの思う通りに立法化して、ゴリゴリ押しまくる。選挙制度もねじ曲げ、民意など眼中にないことは明々白々なやり方には、道理からは程遠いものがある。おそらく相当な不満が住民の間に渦巻いているはずだが、泣き泣き押さえ込まれてしまったということか。

 それでも科学技術の発展具合や、経済活動は明らかに昔の中国ではない。貧しい時代のあれこれを残しながらも、どんどん力をつけてきていること、変化してきていることは間違いないように思う。

 中国国民がどのような不満をもっているか、国の形態が危うくなるほどのエネルギーがあるのかわからないけれども、習近平政権に抵抗せず、言うことを聞いていさえすればいい、ぐらいに中国国民は考えているのかもしれない。

 だが、外からみていて、中国は本当に危ない感じがある。台湾への進攻の可能性や、日本への攻撃も現実的なものに思われる。いやな感じがする。

 戦争など絶対に嫌だが、ジワジワとやられそうで、困ったことである。絶対に戦争はしないとしながら、相手が手出しをすれば、とんでもないことになることを、充分に相手に知らしめる何らかの手段を、いざとなれば講じなければならない。その手段は何か。戦争以外で、どうするのか、知恵をふりしぼらなければならない。

  そんな手段はないのか。であるなら、人類滅亡覚悟の核攻撃合戦なのか。本当に平和を目指さずに、「平和ボケ」だの、攻撃力をつけて先制攻撃など、やっていいのだろうか。人類は滅亡するほかないのか。軽々しく威勢のいいことを言うのはやめてほしい。

 日本には、今や、貧しい人はたくさんいる。炊き出しに並ぶ多くの人がいる。それを放置して、何が政治だ。今度の選挙では、有権者がどう考えるかが問われている。貧しい人々を放置して、何を語るかである。タレントのホンコンが、民主党政権のときにひどい目にあったというが、当時、民主党がどれだけ自民党に邪魔をされたことか、自民党は、民主党政権が、決められない状態に追い込んでおきながら、民主党が、「決められない」政権と揶揄したことを忘れてはならない。政治が回らないようにしておいて、回らないことを非難したのだ。人でなし、とはこのことだ。テレビのホンコンの目つき、態度もいいとはいえない。良心的な優しい人にはみえない。

 原発で福島はひどい目にあっている。安全神話をふりまき、原発を広げ、事故が起こったときは、民主党政権のときだった。このとき、自民党石原幹事長は徹底的に非協力を貫き、何かミスをしないかと意地悪な目で、みているだけだった。

 今、政治家は、なにをしようとしているのか、不都合なことを改める姿勢があるのかどうか、有権者は、自らの目で判断しなければならない。しっかりと勉強しよう。

 


国の借金と個人、企業の借金は違うのだろうか、それとも同じ?

2021年10月13日 20時22分41秒 | 思考試行

借金すれば、期限がくれば返さなければならない。返済期限がきて、返す金がないとどうするか、あらたに借金をして、それで返せばいい。

貸してくれるものがいる限り、ずっとこの繰り返しでいけるという理屈である。

貸してくれる人がいなくなれば、約束違反となり、破産となる。これは、国であろうと個人、企業であろうと同じだろう。

日本国の場合、どうなのだろう。このままでは、破綻するということを財務省の役人トップが雑誌に寄稿したらしい。

ところが、日本の国として、借金はあるが、資産もあるとして、一般会計だけではなく、すべての財布を集めて、貸借対照表を作ると、均衡していて破綻などしない、という人もいる。

そもそも何か事業をしようとすれば、最初から自己資金がなければスタートできないとすれば、金を持たないものは、一切の事業ができなくなる。国もしかりだろう。

まずは、借金なり、投資を募って、その資金を使って事業を起こす。その事業がうまくいけば、借金をかえしつつ、その配当もでき、あらたに事業を展開することも可能になる。

日本国の場合、倹約して、国債を発行せずに借金を減らさなければならない状態なのだろうか。

必要な投資をせず、消費税の増税をしてきたことが、全体の活力を奪い、この30年間成長できなかった原因なのではないか。

そして、富めるものがますます富み、苦しい生活を余儀なくしている人びとが増え続けるという事態は、良くない。

こういう事態を打開することは、当然政治の仕事であるが、その基本的姿勢が、どこに困難の原因があるか、不当なことがあるのかないのか、大胆に改革の姿勢を貫徹しなければならない。

おかしいところは、キチンと調べあげて、今後そういうことにないようにしなければならない。人事権を政権に取られて、全役人が萎縮し、政権の顔色をみるなど言語道断である。やるべきことは、キチンとやるべきである。

正義が通らなければ、世の中ロクなことにならない。

 

 


政治の季節到来…国民の出番

2021年09月09日 15時39分35秒 | 思考試行

 自民党が総裁選挙をやることとなって、野党も黙ってはいられないとなり、政策協定が結ばれた。これで、総選挙が俄然意味のあるものとなってきた。争点が明確になり、国民にとって、政治を考えるチャンスが巡ってきた。

 安部一強政治が何だったのか、振り返り、国民の暮らしが、今どうなっているのか。展望が開けているのか。充分に検討できる機会がやってくる。

 自民党の党内で今、誰を総裁にするのか、それぞれ、信条を述べあい、妥協し、引っ込めるなど、思惑が飛び交っている。桜を見る会や、公文書改竄事件について、再調査するのか、しないのか、こんなことも誰を総裁にするのかに関わってきている。

 岸田氏は、調査を「やる」と言っていたはずなのが、「やらない」に変わった。河野氏の原発廃止についての意見も「今日明日のことではない」と、トーンダウンした。

 支持を受けるために、候補者の妥協が始まる。そうしたときに、野党と市民連合がそれぞれの主張をそろえてきたことは、大きい。政治の何たるかを、国民自身がつかみ、自分の意見を持つことができる機会となった。政治に国民が関心を持つのに、自民党の総裁選挙が、総選挙の直前であるという得難い機会である。彼らが何をしようとしているのか、国民はしっかりと見なければならない。

 資本主義の歪の、貧富の格差が広がり、国民が幸せであるためになにが重要なことなのか、単なる自由競争では、社会に相当な不合理な事態が放置されている。改善すべき点が誰の目にも明らかになってきている。改善がなされる絶好の機会になる。

 岸田氏は、このことに言及している。自民党のなかにも、そういう声があがってきている。菅首相は、就任当時にまず「自助」を言い出していた。かなり状況が違う。本当に国民が幸せになるとはどういうことなのか、今こそ検討されなければならない。

 与党と、野党との接点も出てくるのではないか。与党と野党にわかれて、どうしようもないということではなく、政治のあり方が、国民が主人公であることに本当に立場をすえることができるかどうかが問われている。いよいよ国民自らが、しっかりと自分の意見を持ち、主張し、政治家に国民が主人公であることを認識させ、実行させるときである。


何を隠すことがあろうか

2021年09月05日 16時40分39秒 | 思考試行

 いろんな実態があって、事情があって、ものごとが進んでいく。隠しても不都合なことがあれば、なんとなく、その影響がでてくる。隠さなければならないような事情があれば、不可解なことが原因となって、徐々に、不都合なことが、表沙汰になってくる。

 「コロナ対策に専念したい」と言って、菅首相は総裁選に不出馬を決めたという。実際はそんなことではないだろう。出馬する気でいたことは明らかであり、党内の支持がどうやら得られないとみて、出馬を諦めたのが本当ではないのか。かっこうをつけているだけだ。

 自民党の総裁選挙が行われるとなって、安倍元総理のことが、また問題になりかけているようだ。それはあたり前のことである。いいかげんな解決などあり得ない。官僚の忖度は、彼の官僚に対する人事権の掌握の結果始まった。生殺与奪を握られて、官僚はすっかりおとなしくなってしまった。政治の顔色を伺うばかりとなった。

 権力には適わないことを、もっともよく知っている連中だから、それは仕方のないことかもしれないが、彼らが「主導権」を持っていた時代には、総理大臣が答弁しているときに、国会に詰めている官僚から、「そんなことは主計は聞いていないぞ」と野次がとんだという。

 役人が自信をもっており、政治をコントロールしていた時代もあったということだ。役人であろうと、政治家であろうと、権力を持っているものが強いという時代は、もう終わらせなくてはなるまい。どちらが権力を握ってもその本音が、健全でなければロクなことはない。

 国民、社会を、すべてのことを「良くするために」どうするか、の視点で政治家は動かなければならない。権力闘争にあけくれ、関心がそれだけという連中が誰なのか、はっきり見抜かなければならない。

 自民党のなかに、そういう健全な層があるのかどうかである。安倍氏の問題の再調査を言い出している候補者もいるようだが、はたして、立候補できるかどうか、そして、この国が、本当の民主主義を実現できるかどうか、は今度の総裁選挙でその方向性がでてくるような気がしている。

 議論をはぐらかし、まともに質問に答える気がない、そんな手法を自民党は長期政権のなかで、国会に、それ以外にも、持ち込んできた。議席の多数さえとりさえすれば、好き勝手にできる、と思いこんでいる風である。

 正体が明らかになった以上、あとは有権者たる国民の出番である。無関心であったり、よくわからないままに、平気でいるのは、民主主義の敵である。借り物ではない、自身の意見をもち、実態をよくみなければならない。政治が隠し事をしたり、インチキをすれば、ただちに、見抜く眼力をもたなければならない。その中でこそ、世の中がよくなる方向性がでてくる。

 


関心があれば、動くんだね。

2021年09月01日 11時23分21秒 | 思考試行

 いよいよ自民党総裁の任期が終わりに近づいて、政治の動きが激しくなってきた。総裁に立候補を表明している岸田氏が、自民党役員の任期について、意見を述べたところが、長期にわたって、自民党幹事長の職にある二階氏に注目が集まることとなった。

 それに対して、なんと、あのコロナでは、遅い、後手後手、と言われ続けてきた菅首相が、素早い動きをみせた。コロナでは、記者会見でも、なにやら自信なさげな様子で、記者の質問にも、まともにこたえず、決められたセリフをくりかえす人が、まるで別人である。

 争点つぶしともいわれているが、なんと「大恩」ある二階氏に、退陣をせまったという。エライ決断をしたものだ。それにしても素早い。関心のあることなら動くということだ。

 結局は、権力闘争となれば、真剣になれるということらしい。こんな人が政治をやる資格があるのだろうか。まさに慄然とする。

 ところが、こんなに真剣に自らの権力保持を考えている首相が、立候補すらできないかもしれないという。自民党重鎮がこのままでは、選挙で勝てないとすれば、首のすげ替えを考えているというのだ。

 長期政権で驕りの頂点にいるのだろう。より人気のある河野大臣を総裁にすえて選挙を戦おうとする可能性がでてきたという。そのためには、菅首相は邪魔となる。河野氏は、菅首相が総裁選挙に立つかぎり、出ることはできないということらしい。

 目くらましをくらって、国民はまたぞろ、国民のことなど、なんの関心のもない、貧富の格差を拡大させ続けてきた、自民党政権を選ぶのだろうか。

 非正規雇用が当たり前となり、若者は結婚もできず、日本の人口は減る一方であり、このままでは破滅の道である。こんな政治をいつまでも続けているようでは、日本はうかばれない。国民はもっとしっかりしなければならない。

 

 

 

 


医療崩壊が現実のものに

2021年08月19日 16時38分17秒 | 思考試行

 感染者数が激増して、病院の受け入れができないという事態が現実のものとなってきた。救急車をよんでも病院には入れず、結局自宅療養ということになり、死者もでてきた。入院できていれば、助かる命だったかもしれない。

 日本は、世界でみても医者の数、ベッド数は多いときいている。にもかかわらず、医療界は脆弱で、対応できていないのはどうしてなのだろうか。

 本当に災害級の事態であるのに、政府、自治体、医師会が真剣に対応しているのだろうか。政府の誰がすべてを仕切って、困難に立ち向かっているのか、困難な事象をどう解決しようとしているのか、みえない。

 人の流れを押さえるとか、ワクチンの普及とか、同じことばかりいうが、感染者数の激増をとめることができない。

 本当に、日本の医療資源が枯渇しているのだろうか。効果的な工夫がなされているのだろうか。もう一年も前から、大規模の野戦病院のような施設が必要だとあちこちで言われながら、どういうわけか、いっこうに実行に移されない。病院以外はホテルと自宅療養になる。いつまで、動かないつもりなのだろうか。

 検査についても、症状がなければやらない、とか感染者の近くにいた濃厚接触者のみとか、かたくなに、できるだけ検査をしない方向を選んできた。そうすることは、厚労省、医療界全体のコンセンサスがとられているようだった。検査をどんどんやって、無症状の感染者を隔離するという当たり前にみえることを、絶対にしないという姿勢が露わであった。

 飲食店に対する制限をかけながら、支援の金銭の支払いは極めて遅い。そのチェックがどうなっているのか、単純に人手不足なのか、説明が足りない。打撃をうけている人の身になっていない。すばやい対策がとられない。こんな政権だったのだと思い知らされる。

 立憲民主党など野党連合ならできただろうか。おそらく可能だと思う。これほど、わかりやすいことは、できるはずである。福島原発事故の際には、自民党は、言語を絶する嫌がらせ、非協力を貫いた。もともと、この事故の原因には彼ら自民党政権の責任が大きいのだが、当時野党であった自民党の非協力ぶりは非人間的であった。決めさせない妨害をしておきながら、「決められない民主党」といった。

 本当の困難な事態になったとき、彼らは、右往左往するばかりだ。効果的な、感染者のことを考えた温かい対処ができない。そんなことを考えたこともないからなのだろう。親身の政治は、付け焼刃ではできない。 


弱みをつくというやり方

2021年07月15日 11時47分41秒 | 思考試行

 勝ち負けを争うときに、相手の弱点を見つけるとそこを攻めるというやり方がある。西村大臣の発言が問題となり、結局金融機関からの締め付けねらいや、酒のおろし業者を通じての締め付けは、相次いでとりやめとなった。

 金融機関は政府に弱く、飲食店は、銀行に弱い。政府は金融機関に圧力をかけ、飲食店の弱みをつくつもりであったが、世論の反発をうけて、政権与党からも賛成しない動きが出てきた。 

 これは、いかにも筋が悪い。充分な支援策を講ずることをせず、力ずくで飲食店を政権の意のままに動かそうというのだから、そもそもが無理なうえに、「弱み」をつくというやり方そのものが明け透けで、これでは怒らない方がおかしい。

 西村大臣が、独断でこういうことをやったわけではなく、政権内部の意思統一は当然あったと思われるが、菅首相は、当事者の顔をしない、あたかも西村大臣が単独でやったかのように、「朝から晩までコロナ対策で頭がいっぱい」などと、言うのである。よくも恥ずかしくないもんだ。

 そして、卸業者への締め付けは、すぐには取り消さず、本当にやる気であったことがあきらかとなった。

 卸業者は、そんなことを飲食店に言えば、どうなるかは自明のことであって、本当に自殺行為になりかねない。それでも、卸業者への政権側の力は絶大で、言うことをきくだろうと軽く考えていたふしがある。

 飲食店は、充分な補償があれば、当然店を休むだろう。それがないから、しようがなくて、店を開けることになる。そうしなければ、生きてはいけないのだから当たり前の話である。

 この事件があって、急に卸業者への支援の話がでてきている。しかし、これは急にでてきたことではなく、すでに先月に出ていて、そこには、なんと飲食店への締め付けが条件になっていたという。そして、今回その条件を消して、支援金を出すことを、急に出すという形になったという。一寸恥ずかしすぎる。


基本姿勢

2021年07月13日 14時23分17秒 | 思考試行

 政治家の姿勢がどうなのか。国民のことを本当に真剣に考えているか。政治家としての自らの地位を守るために、努力しているだけではないのか。口を開けば国民のために、と言うが、本当だろうか。

 マスコミにはさまざまな人が登場している。野党批判をする連中は、支配者側に立っていることを自覚しているはずだ。結構なギャラをもらい、現在の世の中、仕組みに恩義に感じているのだろう。しかし、その立ち位置は、あくまで弱い立場の人間のフリをしている。目くらましの一アイテムであり騙し要員である。

 国がどのような姿勢であるべきかは、国際情勢のなかでは重要なことである。とりわけ中国の拡張主義的な傾向をみれば、平和主義などは論外の扱いとなる。相手が攻めてきたらどうするか、といいながら日本は軍隊を整備してきた。自衛戦争なら、当たり前に戦争できるように憲法の解釈も変えてきた。集団的自衛権では、他国と協調して戦争できるまでに、解釈を変更してきた。 もし、あからさまに相手国が攻めてきたなら、直ちに、戦争する構えである。だが戦争は絶対にさけるべきである。その姿勢を貫徹すべきである。

 歴史は、強い国が弱い国を利用し搾取し、食いものにしてきた。単に食いものにするだけではない面もあったろうが、それは限定的であり、弱い国は泣き寝入りの他なかった。 だが、そのままでは終わらない。時間をかけながら、不合理な面は徐々に糾されてくる。そのような力学が作動する。

 それは、自然に起こるのではなく、不合理な位置におかれている国なり、民族なり、改善を望む人々のエネルギーが作動の起点となるはずである。ただ一筋縄ではいかない。弾圧され、あるいは、内部崩壊を起こすなどして、果てしない悲劇が続くけれども、長い時間がかかろうともあるべき姿になるはずである。でなければ、人間社会は滅びる他ない。強国の姿勢が問われる。

 我々は今プロセスのなかにいる。政治家と官僚のあり方が、政治家が官僚の人事権を一手にしたことから、証拠が充分にあっても、検察は動かず、官僚も声をあげられず、裁判官まで政権の顔色を伺うという病的な状態になってしまった。

 病的な状態が明らかになっているにも関わらず、当事者達はうろたえる風もなく、堂々としている。これは、彼らをとりまく周辺が病的に彼らを恐れ、あえて鈍感をよそおい続けているからに他ならない。

 こんな状況がいつまでも続くとは思えない。指弾される前に、おかしな連中自身が自ら反省するなど期待すべくもないが、恥じを知るなら、この病的な状態を、いかに正常化していくかに腐心するべきだ。見るべき人が見れば君たちのおかしさは、誰の目にも明らかだ。

 

 

 

 

 


ポーズではなく本当に国民のことを考えているかどうか

2021年07月12日 23時14分51秒 | 思考試行

 コロナですっかり生活が変わった。出かけるところは、医者と食料品等生活用品の買い物ぐらいで、近くのスーパーへ出かけるだけ、本などは、ネット経由で買うことが増えた。

 政治のことも、観察の機会が増えて、政権の動向や、マスコミの傾向、そして評論家の言動などなど、聞く機会が多く、状況に詳しくなったような気がする。そのなかで、興味のある事象も増えてきた。

 コロナ対策で、医療の現状、病院の実態、為政者の本音などが垣間見えた。本当に、必要な対策が打たれているのかどうかや、飲食関連の補償や、その他打撃を受けている人びとに対して必要な政策がとられているのかどうか。

 国は、国債を発行することで、金を刷ることができる。非常時だから必要なところへ、惜しみなく供給することができないのだろうか。

 これは、かなり大胆にできることのようだ。日銀は日本国の子会社だから、日銀への利払いは最終的には、国へ戻ることとなり、問題はないという。個人や企業が金を借りるのとは大違いであるという。世界との関連で無制限の国債発行はできないだろうが、世界もそうせざるを得ないから、とりわけ日本だけが不具合なことになるわけではないようだ。

 であるならば、弱者に対して、政府がとるべき対応は迷うことなどない。そもそも、弱者について、為政者はどう考えてきたかということである。富者に媚び、富者が不利になることには、消極的である。基本の姿勢がどこにあるかが、明白になってきた。


どうするか、が大事

2021年05月09日 16時54分19秒 | 思考試行

 コロナで病院に入院できない人が大阪で一万人を越えるという。病院は満床だからといって、うけいれない。そうなると、患者は、自宅にいるしかない。そのまま亡くなってしまう人も続出している。

 これが医療崩壊でなくて何だと言うのか。医師がたくさんいて、ベッドもあるけど、担当者がいない、という。専門の医師に教わりつつやることはできないのか。どうしたらいいのか、相談しているのだろうか。

 厚生労働省の顔がみえない。医薬品の許認可等、国の医療行政の全般について、絶大な権力を有しているらしいが、コロナ問題で、全然顔をみせないのはどういうわけだ。一体何をしているのか。

 病院が、救急車をうけいれないから、病院に詰めかける人々の姿はない。各家庭で患者はうなるばかりだ。保健所に人を配置しても、受け入れる病院がなければ、なにもできない。救急車も動けない。

 訪問する動きもでているらしいが、それは、国だったり、自治体が主になってやっているものではないようだ。総合的な動きになっていない。見るに見かねて、動きだした人びとの動きだろう。

 患者があふれている、この問題をどうするのか、テレビも報道しない。どうなっているのか、何をしようとしているのかを取材せよ。報道で流せ!料理番組や健康番組、ピント外れの番組ばかりだ。

 西村大臣は見事に喋る!大阪の今のこの問題をどうするのか、何とか言うべきである。どうするつもりなのか。国から、看護婦を200人送った、それでいいのか。どれだけ患者がいて、どのように手分けをして、ことにあたっているのか、それを話すべきだ。どうしていくのか、それを決めて実行しなければならない。それは吉村知事も同じだ。松井市長は何をしているのか。

 このさなかでも大阪市の権限を、大阪府に移管する作業を議会で決めたという。彼らは、いったい何をしたいのか。そこに、溺れている人がいて、救助を待っていると言うのに、どうするのか、という姿勢がみられない。

 ステージがどうのこうの、という解説などいらない。具体的に、今、今、待っている人びとをどうするかである。マスコミも政府も、医師会も、自民党もいったいどうするのか、言うてみい!はよせんかい!


改善すべきこと・・・政治・医療・財源

2021年05月04日 23時20分41秒 | 思考試行

 政治家が、コロナ禍のなかで何を考えたか、考えているか、何を反省したか、それともうまく抑え込んだと自慢をするのか。現在のことはもちろんだが、落ち着いてから、彼らが何を言うか、注目しなければならない。

 病院の廊下が広いのは、災害時にベッドを置けるようにしてあるのだ、と聞いたことがあるのだが、間違いだろうか。ベッドがあっても、人員がいないともいう、それは本当だろうか。医師は、常に専門家のみでやるというのはおかしい。全般的な医学的知識があるのだから、緊急時には、専門医のアドバイスを受けながらであれば、手分けをすれば、できないはずがない。というか、それは、医師しかできないことではないか。

 病院でうけいれをせず、自宅で患者を死なせている現実は、医療の敗北のみならず、政治や行政や、社会の仕組みそのものがやるべきことをしていないことを意味する。病院が救急車を門前払いするのは、言語道断である。決して拒んではならない。その姿勢があって、全体の医療全体が機能する。どこもがマイペースの日常体制を崩さないのであれば、それは楽だろう。死ぬのは患者だけだ。医療はなんの不都合もない。

 政府が金を出さない。これも、国債をだして国の借金にすることは、何の不都合があるというのだ。高橋洋一氏が言うように、国の借金というのは、なんの問題もない。金がいるときには、どんどん出すべきである。国の借金というのは、個人の借金と同じではない。

 


いろいろ事情がみえてきているのではないか

2021年05月04日 17時29分39秒 | 思考試行

 コロナに感染したら、大阪の場合は、自宅で死ぬのを待つほかないのだろうか。もうすでに、病院はイッパイだし、救急車で何時間も待たされている人もいる。

 コロナに関わっている医師や看護師は大変だけれども、大病院の場合、どこもかしこも大変のようにはみえない。担当部局以外は、平時の業務が滞りなく行われているようにみえる。

 開業医は、基本的にコロナをうけいれていないから、いつもと変わりない。

 だが、コロナ患者は前記のとおりである。自宅待機となって、家族に感染。たいへんな思いが渦巻いている。

 病院の廊下が広いのは、急激に患者が増えた場合、対処するためだと、ベッドを置くためだと、子供の頃に聞いたことがある。なるほどと、さすがは大人だ、と感心したものだ。外国では、病院がごった返しの状態だ。日本は救急車を受け入れないという。廊下は広々している。

 あちこちの現象は、我々の社会の実状を示す。

 生活のことだって、コロナで失業した人、商売が成り立たない人、困った状態に陥っている人がたくさん出てきている。その対策は、どうなっているのか。誰がなにをすべきか。

 どこで、誰がこの状況を打開するために動いているのか、どこに救援する組織なり、場所があるのか、どこで、何を、やっているかをマスコミは知らせたらどうだろうか。

 意味のある報道をするべきだ。適切な報道になっているか。困った人々がどうすればいいのか、みちしるべを提供しているのだろうか。

 そもそもそんな道しるべなどないから、報道のしようもないのかもしれない。かくして、みんなマスクをしろ、自粛しろ、手を洗え、密にならないように、ばっかり。

 この最中にも、憲法改正の準備を政治家はしているそうだ。戦争のできる国にどうしてもなりたいらしい。戦争はしないと決めて、もし侵略してくる国があるとするなら、どんな抵抗手段があるだろうか。思い切り、抵抗するほかない。ありとあらゆる手段を講じて、抵抗する。戦争はしないと決めたのだから、そうするのだ。

 


何故・何故・何故の追求

2021年04月22日 17時38分54秒 | 思考試行

 コロナ対策がワクチン頼みと、人の流れの制約に、集中しているようにみえる。医療体制は簡単に増えない、ベッドがあっても、人の態勢ができないという。人の流れを止めるといっても、生活補償がないではないか、飢え死にするほかないではないか。という問題がある。

 医療体制は、金だけの問題ではないのだろうか。本当にどうにもできないのだろうか。医師がたくさんいて、看護師資格を持つ人がいるというではないか。なぜできないのか。

 国に金はないのか、手だてはないのか、国債を出して、必要なところに、そして、国民に金を配ればいいではないか、そうすることでなにか支障はどう生ずるのか。そもそも国の借金とはなにか。国際的にはどうなるのか。

 国民の税金で、国の借金を払わなければならないものなのか。そういう人もいる。だが、そうではないという人もいる。どちらが正しいのか。本当に、国債で、金を用意することは、いけないことなのだろうか。国民から税金を徴収するのは、早いのに、国から支出するとなれば、なんで遅いのか。

 コロナ騒ぎで、対処するのに、国の財政的役割、本当のコロナ対策の総合的な司令部がどこにあるのか、がみえない。首相が単独で、思いつきで、何かいうと、間違える恐れはもちろんあるが、組織的にスムースに問題に対処する真のセンターがみえない。そのセンターと首相が密接に絡んでいないといけない。

 政治家、官僚が、自分の役割分担のことだけをやって、総合的に問題対処する真の司令部がない。検査を充実して、感染者を保護する。中国が成功したやり方であるが、どういうわけか、日本では頑なに、それはしない。首相が言ってもすすまないという。では誰が止めているのか。議論がチャンとなされているのか。テレビ朝日など、相当前から、なぜやらないのかと悲憤慷慨の体である。なぜ、どんどん、取材攻撃がかけられないのか、取材を拒否しているのか、誰に取材すればいいのかわからないのだろうか。わからない。

 どこがセンターになって、具体的な手立てを打っていくのか、システムがみえない。首相は専門家の意見を聞くと言い、専門家は政治家に、中途半端に意見具申をする。経済のことがあるから、学者としていえることは、ここまで、などという。こうしてみると、やはり政治の責任は免れない。政治がセンターを構築しなければならない。滅茶苦茶頭の良い政治家を配置すべきだ。頭がいいという条件は必須である。本当に頭のいい人を、中心的役割に据えなければならない。彼は、いずれ、国の中心となっていく人である。政治家と書いたが、そう限る必要もない。どこの分野であろうと、そんな人材がいるのなら、大胆に起用すべきである。

 方針を明確にして、実行するということがなければ、物事がすすまない。なにをやっても、中途半端であり、確信がもてないのは、責任をもって、事態に立ち向かうという本気の態勢ができていないからである。

 首相が何か言っても、その通りには動かない。とすれば、そこは司令部ではない。止めているのは誰で、どこがそうしているのか、詰めなければならない。放置しているところに、問題がある。責任は私にある、とだけ言っても意味はない。実際に事態に対処する俯瞰的な視点から、全体を動かさないとならない。

 医療体制をどうするかについて、本当に、あるべき姿を議論しているのだろうか。政治、医師会、専門家が事態に対処する動きがあるのだろうか。誰が中心になって、やるのか、センターがなければ、組織は動かない。人の世の仕組みというのは、どうやって決めたのかが、明確にならなければならない。独裁政権なら、国民に、なにも知らすことはないのだが、民主的国家であるなら、その決まる過程が、周知されなければならない。

 日本の場合、敗戦によって、はじめて民主主義に触れたわけで、国民が勝ち取って民主主義国家になったわけではない。おそらく、多くの民主的でないやり方、感覚が残っているのかもしれない。議論をしない、空気で決めるなど、おかしいところがモロにでてきているのではないか。部分部分にとんでもないボスがいて、邪魔しているのではないだろうか。一つひとつおかしいところを、何故、何故、何故で追い込んで、明らかにしていくべきである。


どれだけ真剣に考えるか

2021年04月20日 19時19分27秒 | 思考試行

 テレビに出ているアナウンサーが、生活の心構えを述べているのを聞いた。それは、たとえば、人がいないと思われるところでも横断歩道の信号を守る、という。それは、社会的に良くないとされることはしない覚悟を述べているのであり、仕事上、常に人に見られているのだから、決して見られて困るようなことはしない、という決意である。

 言わば当たり前の話だが、ものの考え方として、人が見ているかどうかは関係なく、自らの判断が自分の価値観のなかで、正しいと思うことを貫くということは、大事なことである。

 政治家の本音が、議席確保にあるのならば、そんな政治家は直ちにやめてほしいものである。ビジネスとして旨味があって、やっている政治家もそうである。政治家こそ、国民のくらしを守るために、否、自国民ということだけでなく、地球規模での生きとし生けるもののための政治でなくてはならない。でなければ、自国民さえ守れはしないし、本音が何処かほかにあるような政治家は、ただちに、引退してもらわなくてはならない。

 人間がいかなる動物か、いつも他者のことを考え、自己利益を後回しにするような動物かどうか、通常の動物の世界は、まさに弱肉強食であり、どうやって自分の食料を獲得するかに真剣であり、食われる方も、いかにして我が身を守るかに、懸命である。獲物を狩るために協力したり、食われる側も、対抗して食べられないように、様々に工夫する。

  全体としては、餌をとりすぎれば、食料が不足し、獲物を捕る側も繁栄はのぞめないし、獲る側の力が落ちれば、餌側はその勢力を伸ばすことができる。そうしたなかで、バランスが生まれる。動きながら、できてくるバランスである。

 国と国との関係はどうであろうか。中国の振る舞いは、国力の増加に伴い、明らかに拡張的であり、自国の権益を伸ばすことに懸命である。アメリカとの間で、対立構造が明確になりつつある。台湾などで、実際の戦闘が始まるかもしれない。尖閣についても、日本との間で、双方の言い分がまったく相容れない形となっており、話し合いで解決のつきそうな雰囲気がない。

 日本が憲法で、絶対に戦争はしないという決意を決めているにも関わらず、もはや、自衛のためには、交戦も厭わないという姿勢が明らかな、勢力がむしろ強くなってきているようで、彼らは、平和を求めるなどといえば、平和ボケなどと、非難の言葉をはいている。真剣に平和を考えるというより、戦争はいやだけれども、といいつつ、戦争をしないとは言わない。いざとなったら、戦うのはあたり前だという姿勢を隠さない。そこには、いかにして、戦争をしないためにどうするかという工夫など、頭にはないようだ。

 何度も、人間は戦争をしてきたし、今もなお、している。戦争を無くそうと本当に真剣になっている人がいるのかどうか、とくに各国のリーダーがそうなっているかどうか。おそらくは、自国内部での権力争いや、外に対しても、疑心暗鬼の状態であり、また、そうでなければ、たちどころに他国にやられる、あるいは、自国内部の権力闘争に負ける、と考えているのではないだろうか。

 どうせ殺しあわなければ解決しないのならば、とんでもない毒薬を開発して、自国民は解毒方法を学ばせておき、侵略者には、気付かれることなく、触れさせ、反省するのなら助けることもできるが、・・・てな物があれば、これは強いかもしれない。お互いそれが常識となれば、敵対的な行動はとれないこととなる。国際的な問題リーダーも、この方法で、改善をせまってみるというのはどうだろうか。彼らはだいたい頑固だし、そう簡単には反省してはくれないだろうが。    

 あるいは、ものの考え方、理念でもって、国際常識を確立し、これに反するような特異な考え方については、自ら改善するほかないと思うことができ、個人は、必ず改善できて、全体として、なかよくやっていける社会を構築できはしないだろうかなどと夢想する。