日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
群馬県は岩鼻県と呼ばれていたって知ってました
「インフルエンザ」に罹る数日前、群馬県立自然公園・「群馬の森」周辺の史跡めぐりをしてきました
県立公園・「群馬の森」は、「旧東京第二陸軍岩鼻製造所」の跡地に整備された公園ですが、この辺りは戦後日本火薬製造所(現日本化薬〈株))として多くが払い下げられ、社有地として現存しているのが多い状況のようです
江戸幕府の時代この地は幕府直轄の天領として統治されており、現在往時の史跡として、岩鼻代官所跡が小さな丘状の天神山にあります
芝生状に綺麗に整備された代官陣屋跡地 (奥が天神山で神社が祀られています)
陣屋跡は、一部が住宅地内の広場となり、土居と堀が僅かに残るのみでした
当代官所は、江戸幕府が上野国内六郡の天領を統治のため、寛政5年(1793)に岩鼻陣屋を建てたものです
陣屋は幕府の関東取締出役の活動拠点となり、 慶応元年(1865)、木村甲斐守なるものが関東郡代役として、上野、下野、武蔵の三カ国の幕府直轄地五十万石を管理しました
郡代の木村甲斐守は、慶応4年東山道総督府の進軍を期に罷免となり、高崎藩が陣屋を接収し、業務を引き継ぎました
その後明治政府の発足により、上野国内と武蔵国西北部の旧幕府領、旗本領は、岩鼻県と呼び変わり、明治4年の廃藩置県による群馬県の発足と共に岩鼻県は廃止となりました・・・この時点では県庁は高崎城内に移されたそうですから、現前橋に移るには更に変遷があるのですね)
往時のいわれが、代官所跡地の片隅に看板として立てられていました
とにかく江戸幕府が崩壊した際、群馬県になる前の3年間、この地に県庁が置かれ、「岩鼻県」と呼ばれた事があったというのはなんか興味が持てました
跡地のある「天神山」には天神様が、小山の上に祭られています
ところで「天神様」とは、本来「天神(雷神)」に対する神道信仰のことで、特定の神の名ではなかったが、菅原道真が死後、火雷天神と呼ばれ雷神信仰と結びついたことなどが由来となり、道真の神霊に対する信仰もあわせ、天神様信仰となったそうです
社の下、石段の左側に、大きな牛が伏せているのが見えますか?