日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
群馬・前橋「群馬フラワーパーク」では、今アザレアの花が満開です
昨日に続いて・・・
群馬・前橋にある「群馬フラワーパーク 」では、季節に応じて花まつりがおこなわれています
丁度今は、園内イベント温室で「アザレアまつり」 が開かれていました
一体何本あるのかわかりません…、温室の中は、アザレアの花で埋め尽くされていました
その数は約150品種、3000株のアザレアコレクションです
アザレアは、ツツジ科ツツジ属に分類されるツツジで、別名を「西洋ツツジ」、「オランダツツジ」などと言います
アザレアは、もともと台湾のタイワンツツジをケラマツツジやサツキの園芸品種などと複雑に交雑させて園芸品種群として成立したもので、半耐寒性です
挿し木で殖やすことも容易なので、広く栽培されていますが、南方系が原種なので寒い日本の庭植えには適さないようです
常緑性の低木で、倒披針形の葉は厚みを持ち、両端が尖り毛があります
花は5弁の合弁花で、花色はピンク・赤などさまざまで八重咲きも多く見られます
開花は春(4~5月頃)、11月頃から2月頃と、冬に咲くこともあります
イベント温室内は、アザレアの花が満開です
アザレアは19世紀初頭に、ベルギーを中心としたヨーロッパで、室内観賞用の鉢物として改良された常緑性ツツジの総称です
前述しましたが、江戸時代から交配親であるヤマツツジの品種改良が盛んに行われ、サツキ、クルメツツジ、江戸キリシマなど、数多くの園芸品種群が作出されました
これらのうち、ケラマツツジ、サツキ、大紫、白琉球などと、中国から導入されたタイワンヤマツツジが、江戸末期から明治時代にイギリスに渡って、ベルギー、オランダを中心に大規模な交配がなされ、現在のアザレアが誕生しました
沢山のアザレアが温室の中で咲いていました中で、上の画像向かって右はアザレア原種のツツジで、タイワンヤマツツジ(トウツツジ)です
八重咲の大輪や、色合いの複雑さはとても多様です
花容も豊富で、仕立て方もスタンダードバラ樹ように育っているものや、ボール仕立てのものもあり楽しめました
一見バラの様にも見えるほど、艶やかな花姿のアザリアもありました
名札が付いていれば分かるのにと思いながら見てきましたが、名前もバラにちなんで「ローズネット」というアザリアもあったようです
後で知ったのですが、ガイドさんがいて詳しく説明してくれたようなのですが、さっと見てたせいか聞き逃しました・・・慌ててはいけないですね
アザレア全般の花言葉は、「 節制 」、「 禁酒 」、「 恋の喜び 」、「 あなたに愛される幸せ 」 です
群馬フラワーパークに行って来ました
やっと2月の声が聴けました
まもなく立春です
でもまだまだ春遠しの感じの寒さです
春がどのくらいかなと思い立って、「群馬フラワーパーク」に行って来ました
「ぐんまフラワーパーク」は、群馬県前橋市にある群馬県立の植物園で、日本百名山の一つ赤城山の裾野に広がって造られています・・・標高300~350m
アクセスは、関越自動車道前橋ICより約40分、北関東自動車道駒形ICだと約30分位のところにあります
総面積18.4haの敷地には、フラトピア大花壇(約6,000m²)、その横に高さ18mのパークタワーが設置され、園内は温室エリア、庭園エリア、ガーデンエリア、キッズエリアに分かれて、年間を通じ色々な花々が育て咲いています
今の時期は最も花が少ないのだろうと思いながら見てきました
フラトピア大花壇前からの眺望 ( 向かって右:パークタワー、 奥:赤城山系、 正面手前:パンジー )
フラトピア大花壇はイベントも兼ね、季節の花が植えられるようです
春は20万球のチューリップを咲かせ、冬は、数十万~100万個のイルミネーションを花の代わりに飾るようです
和庭園に廻ってみました 下画像
回遊式日本庭園は、どこを模したのか分かりませんが、きれいに雪囲いされ、周りの木々は少し芽吹きが始まってきていました
池の水が温み、梅の木が少しつぼみを膨らませているのが分かりました
イングリシュガ―デンは、まだ寒々です
ちょっと寂しい風景ですが、陽射しを見ると、春近しです
この奥 はロックガーデンがあり、覗いてきましたが、スイセン原種が咲いているのが見られました
この原種スイセンは、「ペチコートスイセン」 と云うようです・・・??
バラ園から群馬の池、パークタワーを眺めました
バラの花はいつごろ見れるのでしょうか!?
芽が出はじめるのも、間もなくでしょう
群馬の「こんにゃくパーク」に行って来ました
昨年、富岡製糸場が世界遺産に登録されて以来、群馬は観光が盛り上がっています
世界遺産・富岡製糸場を訪ねた後、観光客が最近よく訪れるのは、2014年4月26日に従来あったこんにゃく博物館がリニューアルオープンした“こんにゃくパーク”です
こんにゃくパークは富岡製糸場のある富岡市の隣町・甘楽町にあります
とにかく群馬は、絹と並んで、「コンニャク」が県の特産物になっています
「コンニャク(蒟蒻)は、サトイモ科の夏緑多年草植物、あるいはその球茎から製造される食品総称です
コンニャクを食用としている地域は日本、中国、ミャンマー、韓国の各国で、コンニャクの原料となるコンニャクイモの日本での収穫量は約7万トン・その主産地群馬県がやく90%をしめています・・・全国の約95%は北関東で生産
こんにゃくパークは、上信越自動車道富岡ICを下り約10分、上信電鉄だと上州福島駅下車しタクシーで約10分です
冨岡製糸場からだと約15分です
こんにゃくパークに来ました (向かって正面;コンニャク製造工場、左:コンニャク販売、無料コンニャク食べどころ 右:駐車場)
「コンニャク」の地下茎は「コンニャクイモ」と呼ばれ、原産地はインド、インドシナ半島で東南アジア大陸部に広く分布しています
「コンニャク」は扁平な円形の地下茎をもち、茎(実は葉柄)は高さ1mほどに伸び、先端は平らに開いて鳥足状に小葉をつけます
小葉は柔らかくてつやがあり、楕円形をしています
株は次第に大きくなるが、ある程度大きくならないと花はつきません
栽培下では5~6年で開花します
開花するときには葉は出ず、また開花後に株は枯れてしまいます
花は全体の高さが2mほどにもなり、いわゆる肉穂花序の付属体は円錐形で高くまっすぐに伸び上がり、仏縁苞は上向きにラッパ状に開き、舷部(伸び出した部分)は背面に反り返っています
花全体は黒っぽい紫で、独特の臭いを放ちます
こんにゃくパークの施設内は、こんにゃく・白滝製造ライン、ゼリー製造ラインの製造工場見学と、バイキング・お土産ゾーンに分かれており、楽しく、美味しく味わいながら、「コンニャク」について学ぶことができました
パーク玄関入口に巨大コンニャク芋が置かれていました ( 下左 向かって左画像)
途轍もなくでかいです
触らないでくださいとありましたので、眺めるだけですが、外径は優に50cm以上はありそうでした・・・10kg以上かな
コンニャクは、食物繊維豊富なヘルシー食材ですが、そんなこんにゃくの魅力を、見るだけでなく味わってほしいと無料バイキングが開かれていました
食べ放題の試食ですから、とても賑わっていました 上右 の画像で様子を見てください (手前は;コンニャク土産コーナーです)
お土産コーナーの奥には、こんにゃく料理やゼリーが食べられるバイキングコーナーがあります
味噌田楽や玉こんにゃく、さしみこんにゃくなどスタンダードなものから、ラーメンやマカロニ風、カレーに至るまでと、様々なこんにゃく料理がずらり…、デザートまであってどれを食べようか迷うほどでした
これではお土産をつい買ってしまいますね
話が前後しますが、生のコンニャクイモはシュウ酸カルシウムのエグ味が強く、食用とするためには茹でるなどの下処理を行う必要があります
生では食べられません
シュウ酸カルシウムは、日本の法令では毒物及び劇物取締法により「劇物」に指定されているほどで、体内に入ると針状結晶により、口腔や喉、胃の粘膜を刺激され激痛を引き起こします
ひどい場合は、細かい針を飲み込んだような刺激と出血をともなうことに生りますから用心です
こんにゃくパーク駐車所からの風景 向かって手前 :妙義山山系 、 向かって奥 : 浅間山
世界文化遺産に登録された富岡製糸場から車で15分ほどの所にあるので、群馬の観光の際にちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか!?
お薦めです!!
群馬・藤岡の「諏訪神社」に、初詣してきました
今年の初詣は、群馬・藤岡の「諏訪神社(すわじんじゃ)」に行って来ました
「諏訪神社」は、長野県の諏訪湖近くの「諏訪大社(旧称:諏訪神社)」を総本社とする「諏訪」を社名に持つ神社です
諏訪神社を中心とする神道の信仰を「諏訪信仰(すわしんこう)」と呼び、日本全国に広まっており、社数は約25,000社もあるそうです
「諏訪信仰」は特に北条氏の所領に多く広まったため神社の数も集中しているとみられます
「諏訪大社」の祭神は、諏訪大明神ともいわれる「建御名方神」とその妃・「八坂刀売神」で、他の諏訪神社もこの2神を主祭神とするほか、「諏訪大神」と総称するようです
「諏訪大社」より祭神を勧請する際には薙鎌に神霊が移され、各神社ではこれをご神体としています
中世には狩猟神事も執り行っていたことから、狩猟、漁業を守護する神社としても崇拝を受け、これらは諏訪大社の山神としての性格を表しています
群馬・藤岡の「諏訪神社」の初詣景
拝殿
向かって奥:本殿 、右:拝殿横
諏訪神社由緒
神社神楽殿
由緒によると、藤岡の諏訪神社は上の社、下の社を合祭祀したもので信濃の諏訪大社から剣と鏡を請受し、神霊として、近隣町村の総鎮守となっているそうです
藤岡の地は、関東管領が置かれた要地であったため、交通網が発達しておったので、周囲が絹の産地で養蚕・絹の取引があったことから、盛んな時は月に6回もの市が建つほどにぎわったそうです・・・1684年代の記録です
最も栄えたのは、江戸時代・安永9年(1780年)で、三井越後屋は取引の繁栄を祈願して諏訪神社に、諏訪様、八坂様と呼ぶ男女一対の大御神輿を奉納しました
イチョウのご神木
奉納された御神輿 … これは 八坂様です
御神輿の概容は
木造金箔朱塗り、黒塗り (雌雄一対) ・ 方4尺2寸、二重高欄延屋根形 ( 仏師:安岡良運&安岡忠五郎作 )
お正月から、身近にいいものを見つけちゃいました
群馬・高崎・新町宿にある「諏訪神社」の鳥居を見てきました
先だって(今月初めですが)、群馬・高崎の新町に行って来ました
旧中山道の宿場町だった新町(旧笛木村、落合村が合併)には、結構史跡があっちこっちに見られます
その一つ、藤岡大胡線を大胡方面に向かい、新町郵便局付近を右折した新町五区(旧笛木村中心街かなとも思えます)に「諏訪神社」があります
新町宿の「諏訪神社」の創建は不明のようですが、笛木村の鎮守として笛木村本屋敷(現新町駅周辺)に奉られていた諏訪神社が、1708(宝永5)年遷座され、現在地に祀られたものだそうです・・・御祭神は、「建御名方命」です
旧街道から、30mほど参道を入ったところに「諏訪神社」はありました ・・・参道から入って
鳥居を潜って境内は、晩秋一杯でした
本殿、拝殿の概容・・・本殿、三方には楠正成・正行、新田義貞、児島高徳の勇壮で精緻な武者絵が彫刻されていたようですが、今度気をつけて見てみよう
鳥居奥:拝殿 ・・・狛犬が迎えてくれます
「諏訪神社」の石製鳥居は二度にわたって氏子の浄財によって建て替えられています…現鳥居は三度目の鳥居ですが、古色一杯です
二基とも高崎市の指定重要文化財として、神社の北裏に半分埋め込まれ保存されています
1基は元禄15(1702)年の銘のある古い鳥居で、もう1基は享保16(1731)年に建造されたものです
ともに明神鳥居の特色である笠木の曲線が美しく、江戸時代前期の石製鳥居の形態をいろよく残しているといわれています
二基の鳥居
新町時代の指定文化財の看板
黄葉・紅葉に埋まる感じの鳥居は、格好良く見えました
木曽街道・新町宿の大イチョウを見てきました
今月初め、群馬高崎・新町(しんまち)に行って来ました
「新町」は、群馬県多野郡にあった町で、現在は高崎市の一部になっています
地形は烏川、神流川の氾濫原にあり、かっては洪水の多いところだったと云えそうです
1640年代加賀藩前田氏により、当地を通る街道(加賀街道)が開かれ、後に中山道(木曽街道)となって、1651年街道の中で最も遅い宿場・新町宿がおかれ栄えたそうです ・・・(1654年加賀街道が中山道となりました)
「新町宿」は、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて11番目の宿場です
歌川広重による(木曽街道六十九次・新町宿)浮世絵 ・・・ネットから拝借しました
多野郡新町であった時は、面積3.74km²で群馬県内最小自治体だったそうです
隣接地は藤岡市ですが、2006年高崎市との合併成立で飛び地の自治体になっています
新町が高崎に合併となって、今まで新町にあった文化資産が高崎市の文化資産となり、看板が建て替えられたりしています
新町には、以前から「浄泉寺の大イチョウ」が天然記念物としてありました
1574年浄泉寺は開山されたと縁起はあるそうです
1582年本能寺の変が起こり、織田信長の配下滝川一益は北条氏と「新町」横を流れる神流川で合戦をしていますから、歴史的には随分古いお寺と云えます
大イチョウの黄葉が見事なので、今年も見に行ってきました
イチョウ(銀杏)の樹は、中国が原産の樹高20~30mにもなる落葉高木です
樹木としてはとても長寿で、各地に幹周が10mを越えるような巨木が点在しているようです
高崎市指定文化財 「浄泉寺大イチョウ」 指定年月日:昭和55年1月10日
建て替えられた案内板
幹を覆い尽くすほどの黄葉です
樹高約25m、 幹回り約5.2m、 樹齢約400年とありました
これからいうと、植えられたのは1600年代だと考えられますが、と云う事は「新町宿」と共に育ってきた樹木と云えます
イチョウの葉は、落葉前鮮やかな黄色に黄葉します
黄葉樹の代表樹と云えます
並木道などが各地にあり、その地では風物になっています
植物分類上は奇異な位置で、たとえば広葉樹、針葉樹で区分すると、特殊な針葉樹に入るそうです
イチョウは雌雄異株で、北半球の温帯では 、4 ~5月に新芽が伸び開花し、風媒花で、1km程度離れていても受粉が可能とされています
裸子植物なので、受粉様式は被子植物と異なり、受粉した花粉は、雌花の胚珠端部の花粉室に数ヶ月保持され、その間に胚珠は直径約2cm程度に肥大し、花粉内では数個の精子が作られます
9~10月頃、精子は放出され、花粉室から造卵器に泳いで入り、ここで受精が完了して胚珠は成熟を開始し、11月頃に種子に熟成します
被(果肉)は軟化しカルボン酸類特有の臭気を発します
足元にはイチョウの実があまり見つかりませんでした
雄なのでしょうか!?
それとも臭気があるので、毎日の掃除で片づけているのでしょうか!?
そんな事はともかく見事な黄葉が堪能できました
群馬・新田のジョイフル本田・ボタニックガーデンに行って来ました
何となく思い立って、一週間ほど前ですが、群馬・新田にあるジョイフル本田内の「アンディ&ウィリアムスボタニックガーデン」に行って来ました
北関東道太田藪塚ICを下りて、20分くらいのところに、ジョイフル・本田はあります
「アンディ&ウィリアムスボタニックガーデン」は、イギリスの大きなカントリーハウスに付随する伝統的で歴史のある庭を再現した、我が国では数少ない本格的イングリッシュガーデンで、2002年の開園だそうです
「ボタニックガーデン」には、「彩り」と自然美」のテーマパークを自称した総面積約2万へーべの敷地に、いくつもの雰囲気異なるイングリッシュガーデンが造られています
それぞれのイングリシュガーデンは、季節ごとの自然を色々の表情で見せてくれます
「ボタニックガーデン」の入り口はビィクトリア調のエントランスガーデンで、華やかなカーペット状の模様花壇となって、色鮮やかな一年草とカラーリーフや多肉植物とのコントラストを活かして、季節ごとにデザインを変えて迎えてくれます
「ウェルカム(WELCOME)」の刈り込み文字が目立っていました
ビィクトリア調エントランスガーデン (中央正面が、ボタニックガーデン入口)
入口を潜れば自然な風景の広がるガーデンがいくつも見る事が出来ました
入口近くには、「ダウコートガーデン」と呼ぶガーデンが造られていました
ダウコート(Dove Cote)とは鳩小屋の事で、鳩小屋をフォーカルポイントに置き、幾何学模様に小路をめぐらせ、植栽スペースを背の低いヘッジで取り込み、フォーマルな雰囲気を演出するというのが狙いのガーデンだそうです
黄葉が始まり、咲き残ったバラの花が秋の深まりを教えていました
「ダウコートガーデン」 ・・・(向かって右に「ダウコート(Dove Cote)」あります)
入り口正面からは、メインパスが貫いています
細長い形の池を真ん中に、両脇にさまざまな季節の植物が植栽されたガーデンで、「ジョイフルガーデン」と名付けられ、ボタニックガーデン全体のほぼ中央に造られたメインガーデンとなっています
ウィンザーティールームが以前ありましたが、訪ねた時は閉じていました
ティールーム前のテラスから「ジョイフルガーデン」の黄葉を眺めました
池の姿は見えませんが、晩秋の彩りがとても綺麗です
「ジョイフルガーデン」の秋 (中央モミジの向こうに池があるのですが・・・)
「ジョイフルガーデン」を越えて奥深く広がって進むと、そこはより自然な風景を持つガーデンへと繋がってゆきます
そこにはちょうどイギリスのカントリーサイド(行ったことないのですが…)を思わせるような豊かな空間が存在し、そこでは数多くの趣ある樹木やシュラブ(=バラの仕立、剪定をいいます)、宿根草や球根、その他思いつくあらゆる植物が育てられています
イングリッシュガーデンといえば、本来雄大な風景式庭園がモチーフです
ボタニックガーデンには、ガーデン全体の約半分の面積を占め、大きな湖を模したガーデンがあります
「ウッドランド&レイク」と呼ばれ、ボタニックガーデンの中で憩いの場所になっているようです
ウッドランド&レイク」の秋 (➝この森と湖は18世紀の英国の風景庭園をイメージしたそうです)
模された湖周りを散策しました
紅葉一杯、鴨が泳いでいましたが、私の姿を見て隠れちゃいました
ウッドランドの奥に、「コニファーガーデン」と名づいたガーデンがあります
コニファーとは、針葉樹の総称ですが、全てが常緑樹ではなく、黄葉するものもあるようです
「コニファーガーデン」には様々な色や形のコニファーが植えられて、他のガーデンよりも寒いときが一番美しいガーデンとして、「ウインターガーデン」とも呼ばれているそうです
「コニファーガーデン」 (手前:植栽はハイマツ群です)
ボタニックガーデンの中で特徴あるガーデンがあります
「サンカンガーデン」といい、日本語に翻訳すると「沈床花壇」・つまり低い位置から花を見るようになっている花壇をいいます
「サンカンガーデン」 (中央の池は水生植物は見られませんでした)
池の中央には噴水があるようなのですが、なぜか水は出されていませんでした
階段を下りて石畳を踏む感じは、ちょっぴり英国貴族の感じを味わいました
「シールズパレード」と呼ばれるガーデンがあります
「シールズパレード」という名前の由来は、アンディとデヴィッドのシールズ、兄弟が造り上げたパーゴラなので、この名前が付いたのだそうですが、厚さ2cmのテコラッタタイルをらせん状に積み重ねて造った柱が見事な造形として見られました
「シールズパレード」 に晩秋の陽射しです
バラの咲くシーズンは、ツルバラのゲートとなってさぞや見事のようです
バラの花が咲いていない今の季節でも、十分その美しいシルエットが楽しめました
「シールズパレード」 の秋を見ました (向かって右:パンパスグラスが今が盛りです)
ガーデン最奥・二本の路の交差するところには、「センテッドガーデン」と呼ばれる小さなガーデンがあり、全体のまとまりを現わしているところと云えます
中央に日時計があり、フォーカルポイントとされています
「センテッドガーデン」 ( 向かって左: タイル柱 、奥:テンプル)
「センテッドガーデン」の広がる芝庭の奥には、ドーム状の建物と彫刻があります
この場所はテンプルローンと呼ばれているようです
ドーム状のテンプルは、ゲートからも目立って見えます
踏み込むのが気が引けるほどのエバーグリーンの芝生庭は、広々し、入ると庭の広がりが美しい空間として迫ってきました
「ビーナス」はちょっと雨風で汚れちゃっていました
せっかくなんだから少し綺麗にお化粧してほしいなと思いましたが、汚れているのもイングリシュ的なのでしょうか
上野の国・国分寺の秋を見てきました
一週間ほど前の晴れた日、群馬・前橋市元総社町と高崎市東国分町・引間町にある 史跡・上野国分寺跡 を訪ねてきました
秋がすっかり深まり、辺りの山々は黄葉一色でした
上野国(こうずけのくに)と云うのは、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つです
古代関東には「毛野(けぬ)」および「那須(なす)」と呼ばれる二分政治勢力が存在し、「毛野」は更に上下に二分されて「上毛野(かみつけぬ)」「下毛野(しもつけぬ)」となったと言われています
後の『大宝律令』の制定時において、上毛野は「上毛野国(かみつけぬ/かみつけの)」として令制国の1つに定められ、国名を「上野国」と改められました・・・和銅6年(713年)諸国郡郷名著好字令(好字二字令)の一環と想定されているそうです
この時「かみつけぬ」の「毛」の字が消えたのですが、呼び名は「こうずけのくに」として「け」が残り毛野の名残があるとみられます
この時代東国を抑える要の国として、上野国と常陸国、上総国の3国には国守として親王が遥任される親王任国となっていました
このため都の文化がいろいろ伝えられたとみられます
上野国・国府は群馬郡にあったとされており、場所は現在の前橋市元総社町付近と推定されていますが、遺跡の所在は未確認だそうです
奈良時代・聖武天皇の御代に国分寺を各国に造り、仏教の教えによって人心を落ち着かせ律令制の浸透を図ったようです
都には東大寺を造り、上野国には旧碓氷郡や旧勢多郡の豪族の協力により、750年頃に主な国分寺を完成させたと云われています
これは全国の国分寺の中でも、最も早い時期に姿が整ったものといえるようです
発掘復元された築垣 ( 正面の築垣の間の空間に、南大門があったとみられます)
南大門をくぐって、伽藍のあったと思われる地を歩いてきました
広々とした跡地は晩秋一色でした
七重塔基壇(復元)から大イチョウ越しに築垣を見ました
晩秋の陽に輝く大イチョウ(正面:基壇床柱後)
復元された南へり築垣
復元された金堂基壇 ( イチョウの葉が散って、秋深まりを感じました)
国分寺跡の発掘調査によって、色々が分かってきています
これらの資料が「上野国分寺館」に納められています
「上野国分寺館」の秋
館内を見てきました
創建時の上野国分僧寺の想像図 (館内の展示図をパチリしましたので、画像がゆらいでます
)
朱塗りされた七重塔模型(➝20分の1だそうです)
国分寺跡想像図
発掘された瓦
発掘された陶器
発掘された瓦にしろ、彩色された陶器は、1000年前の文化を知らせてくれています
彩色の技術、瓦の文様に、とても興味を覚えます
尚、歴史資料から、仁徳天皇の御世に新羅と戦い捕虜を得たとされ、またその後天智天皇の御世には百済が新羅に攻められた際、百済を軍事的に支援するため朝鮮半島に進駐したそうで、この間推古天皇9年(601年)9月8日には新羅人の間諜者である迦摩多が対馬で捕えられ、上野国に配流したとされております
これらから上野国と朝鮮半島が古い時期から深く関わりを有していたことが覗われます
群馬・高崎の「少林山・達磨寺」の秋を訪ねてきました
数日前テレビ情報で、今身近の秋が一杯と、各地の紅葉報道があリました
見逃してなるかと、行ってないところを選んだ先が、群馬・高崎「少林山・達磨寺」です
久しぶりに出かけた少林山・達磨寺は菊花展が開かれ賑わっていました
まずは境内の紅葉がとても綺麗でしたので、見て下さい
山号「少林山・達磨寺」は、群馬県高崎市にある黄檗宗の寺院です
明治における火災で創建などの詳細については不詳となってしまいましたが、資料によると戦中供出した煩鐘の鐘銘に、「正徳2年壬竜猛夏仏生日洞山卅六世少林二世天湫出撰」と記載があったとの記録があり、正徳2年(1712年)には成立していたと考えられています
縁起では、昔、碓氷川のほとりに観音様を祀るお堂があり、ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から香気のある古木を引き上げて霊木として観音堂に納めておいたところ、延宝八年(1680)この地に訪れた一了居士【いちりょうこじ】が一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂に安置したのが起源となっているようです
以降「達磨出現の霊地・少林山」として近隣より参詣が絶えません
尚、黄檗宗【おうばくしゅう】は達磨大師の教えを受け継ぐ三禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)のひとつです…中国福建省から渡来した「隠元禅師」が開祖とされています
達磨寺・瑞雲閣 (本堂からみる寺内紅葉)
「瑞雲閣」は、禅の教えを広め、精神文化の向上と発展に寄与するため、昭和50年に建設されました
2階(画像正面)には、坐禅室があり毎日早朝坐禅会が行われ、また結婚式や茶会など儀式や各種行事も行う事ができるそうです
紅葉が丁度盛りで、古色を盛り上げていました
紅葉隙間から見えた達磨寺・大講堂甍
「大講堂」は青少年の修養の場として、昭和2年に完成した禅の道場との事です
主に禅の生活を体験する研修の場とされておるようですが、各種法要、茶会や句会、講演会やシンポジウムさらに展示会など多目的にも活用されているようで、この日も県内の建築家の発表会が行われていました
寺内にあるブルーノタクトの住まいが建築家とのつながりになっているのでしょうか
寺内に安置された「百庚申」の周りには、黄葉が敷き詰められているかのようでした
「百庚申」とは、観音堂の周辺にある130体程の庚申塔をさしています
安置された庚申塔は、観音堂に観音様が祀られた寛政4年(1792年)以降に建てられたもので、文化年間に建てられたものが多いようです
尚、庚申信仰は、庚申【かのえさる】の日の晩に眠りに就いている間に体の中に入る「三尸【さんし】の虫」が天帝(帝釈天)にその人の罪過を告げて、人間が本来生まれながらに持っている120歳という天寿からその罪過の分だけ差引かれ早死にさせられるという中国道教の説が元になっているものだそうです
達磨寺庭園 …秋一杯でした
達磨寺庭園の錦秋
少林山・達磨寺の裏山は、展望台があり、榛名山系、赤城山系等々の山々が眺望できます
お天気良ければ、谷川は勿論、白根山等なども見られるようです
少林山展望台から ( 眼下手前:達磨寺・本堂 ・ 向かい中央:高崎市街地 ・ 向かい奥:榛名山系 )
秋が一杯の少林山でした
まだまだ楽しめそうですよ!!
ドウダンツツジの紅葉が見事でした・・・何でこんなに紅くなるのかな!?
昨日に続いて・・・
群馬・「渋川市総合運動公園」で見つけたドウダンツツジの紅葉です
ドウダンツツジはツツジ科ドウダンツツジ属の植物・落葉広葉樹です
「ドウダン」の名は、枝分かれしている様子が夜間の明かりに用いた灯台(結び灯台)の脚部と似通っているとして、「トウダイ」から転じたものだそうです
樹高は3m程で耐寒性あるが、温暖な岩山に多く野生種が見られます
ツツジ科の特徴で根が浅いので、若干乾燥には弱いようです
ドウダンツツジは新緑、花期、紅葉と、見時が多いので、公園の生け垣や、庭園樹として人気があります
葉が出て、約1週間後くらいから花期(=4月上旬~5月中頃)となり、紅葉は寒冷地で10月中旬~11月中旬盛りになります
運動公園・テニスコートから水沢山をみる ( 手前紅葉:ドウダンツツジ、上方紅葉:桜 )
子供運動公園の土手に植えられたドウダンツツジの群落です
実に綺麗な色の紅葉です
どうすればこんなに綺麗に染まるのでしょう
調べてみました
葉が緑色に見えるのはクロロフィルが含まれるからですが、寒くなり日照時間が短くなるとクロロフィルが分解されます
そして葉柄の付け根に離層という特殊な水分を通しにくい組織ができ、葉で作られた水溶性のブドウ糖や蔗糖などの糖類やアミノ酸類が葉内に蓄積し、光合成によって糖から新たな色素が作られ、葉色は赤や黄色へと変化し、紅葉が起こります
その後、落葉します
紅葉、黄葉、褐葉の違いは、それぞれの色素を作り出すまでの葉の中の酵素系の違いと、気温、水湿、紫外線などの自然条件の作用による酵素作用発現の違いが、複雑にからみあって起こる現象とされています
葉の赤色は色素「アントシアン」に由来します
「アントシアン」は春から夏にかけての葉には存在せずに、秋に葉に蓄積したブドウ糖や蔗糖と、紫外線の影響で発生してきます
何故紅葉するのか明らかではないようですが、アブラムシの寄生が少ないと紅葉の色が鮮やかになると云う事が分かってきたそうです
樹木がアブラムシへの耐性をした証明に、紅葉で誇示しているのでしょうか!?
テニスコートの土手周囲に植えられたドウダンツツジ林
駄句1句・・・川柳ぽいかな!?
「 紅葉の 色鮮やかに 児等歓声 」 ( ダッペ )
「群馬・渋川市総合運動公園」の秋を堪能してきました
榛名の山がすっかり紅葉しているのが遠くから分かります
数日前、山麓にある「渋川市総合運動公園」に、紅葉を見に行ってきました
素晴らしい紅葉でした
黙って鑑賞です
尚、「渋川市総合運動公園」は昭和51年4月、榛名連峰の一つ水沢山懐に設置された、標高600m、総面積57.2ヘクタールの公園です
遠くに谷川連峰を望み、正面に雄大な赤城山等々、空の青さと自然とのさわやかなコントラストを織り交ぜた自然の中に、緑豊かな健康都市を目ざす渋川市の象徴として造られました
陸上競技場上からみた紅葉風景 ( 向かいの山: 子持ち山(標高:1296m)、 小野子山(標高:1208m) )
トラック400メートル×6コース サッカー用ゴールが置かれています
トラック横のモミジ競演
テニスコート上から遠望: 向かいは、赤城山系
陸上競技場から見た水沢山 (標高:1194m )
水沢山の麓は今が紅葉盛んです
テニスコートの向こうは赤城山です
公園全体は秋一色でした
訪ねたこの日は県下の高校生が大勢陸上練習をしに来ていました
丁度お昼も過ぎ三々五々休憩しながら、周りの紅葉を眺める姿がありました ( 下画像 )
黄葉はメタセコイヤの樹です
長野・軽井沢の「星野温泉・トンボの湯」周辺の秋です
先週の土曜日(10月26日)群馬側からR18号を北上し、「碓氷峠」を越えて、長野・軽井沢に行って来ました
「 碓氷峠」の中腹あたりから、紅葉 はぐっと深みを増してきていました
「碓氷峠」は、群馬県安中市松井田と長野県北佐久郡軽井沢との境にある峠で、標高は約 960 m・信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺です
700 万 〜 200 万年前には利根川水系の碓氷川上流地域で噴火活動があり、以後の溶岩噴出で碓氷峠付近は平地化しましたが、30 万 〜 20 万年前に霧積川(碓氷川に流れ込む)によって東部で侵食があり、急峻な地形が形成されました
現在の「碓氷峠」東部は直線距離で約 10 km の間に標高差が 500 m 以上に達する片勾配となっています・・・(➝群馬県側の麓・横川の標高 387 m に対し、長野県側の軽井沢は標高 939 m と峠 (960 m) との標高差が殆どない)
その為気象変化が激しく、気温差も横川と軽井沢では5度は違うようです
気象学的にも、碓氷峠は関東地方と中部地方の境界にあたります
長野・軽井沢はすっかり紅葉が始まっていました
峠を越え、軽井沢の西側の中軽井沢地区から「鬼押し出し」の方面に向かうべく、R146号に入り約1.5km北上すると、「星野温泉エリア」の標示があります
ここには「星野温泉ホテル」に併設されているリゾート気分満喫できる入浴施設「トンボの湯」があります
「トンボの湯」は、江戸時代から強酸性の草津温泉で湯治した後に肌を休ませる「仕上げの湯」とされ、秋に何百匹ものトンボが舞うので「トンボの湯」と名付けられたのだそうです
R146号を上りながら、「トンボの湯」周辺の秋を覗いてきました
トンボの舞う姿は見られなかったけど、真っ赤に色づいたモミジが一杯見られました
「トンボの湯」周辺の紅葉 向かって奥:「トンボの湯」
紅葉季節に「星野温泉エリア」を訪れる観光客は多いのですが、ここ「トンボの湯」もたくさんのお客でにぎわっていました
紅葉の季節の星野温泉エリアの光景 :「トンボの湯」裏 ・・・幾組もの家族連れが、紅葉の下を散策していました
星野温泉・「トンボの湯」の奥には軽井沢・野鳥の森があり、森の奥から流れ出している湯川の渓流と、谷を覆うような見事に紅く染まった紅葉は素晴らしかったです
湯川の渓流 ・・・ この光景は日光竜頭の滝にちょっぴり似てないかな
野鳥の森の足元にも、草々が紅葉して深秋を感じさせてくれました
落ち葉の中で、マムシ草の果実が、紅く熟していました
マムシ草は和名で、天南星(テンナンショウ)とも云います
山野の林の下などに自生する多年草草本で、茎は、多肉質・多汁で、大小2枚の葉をつけ、7~15枚の鳥足状の複葉です
茎頂に仏焔苞の緑か紫褐色の白條のある花をつけます
花の内側に肉穂花序があり、花軸の先端は棍棒様をしています
肉穂花序は、紅く果穂(果序)となり実を沢山つけます ( 下 にアップしました )
紅葉の元で、テンナンショウの紅い実が射し込む陽光で輝いていました
群馬・榛名湖秋の周景・・・紅葉は今が見ごろです
先日(=10月26日)秋探索で、榛名湖周辺を走ってきました …と云っても 🚙 でです
土曜の午後で、木漏れ陽が紅葉から差し込み、明るくてらしていました
観光馬車が親子連れを乗せて、ポッカポッカと榛名湖周遊観光していました
トテ馬車で、湖観光です (➝湖畔一周1時間だそうです 4名~2500円)
榛名湖湖畔マップ
榛名湖湖畔から周囲の山々紅葉をレンズからお知らせします ・・・マップを見ながら見てくださいね
撮影時間は午後2時ごろです
向かって正面:掃部ヶ岳
向かって左:鬢櫛山 右ちょっと顔を出しているのは、烏帽子ヶ岳
「榛名富士」全容です
春の「榛名富士」 とは、また異なる美景です
「湖畔の宿」の歌が、とても似合って聴こえました
向かって右手前から、天目山、三峰山、相馬山
湖畔紅葉越しで見えた相馬山
榛名の山々は、秋たけなわになってきていました
浅間・鬼押しの紅葉を見てきました
二三日前思い立って近隣の紅葉探索をしてきました
R18号を碓氷峠を越えて軽井沢に入り、浅間鬼押し園にやってきました
久しぶりに群馬側の浅間・鬼押しの紅葉です
浅間・鬼押し出しとは、1783年(天明3年)におきた浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩で、膨大な量の溶岩が風化した結果形成された奇勝地です
浅間山は安山岩質の標高2,568mの複合火山で、円錐型をし、世界でも有数の活火山として知られています
駐車場は沢山の観光客がやってきていました
鬼押し出し園駐車場から見た浅間山 (向かって右:浅間隠し山 ・・・浅間山頂火口に噴煙が見えます)
鬼押し出し園外容 (向かって右:レストラン)
ハイウェーから見た鬼押し出し園 (後方:四阿山?)
鬼押し出し園には、浅間山噴火の犠牲者を弔う目的で、1958年に勧請され、東京上野の寛永寺の別院である浅間山観音堂が設置されています
上の画像で、観音堂が見えます
ハイウェーから見た浅間山山容です
紅葉は、8~9分と云ったところでしょうか!?
ヤクシソウ の向こうに、浅間が見えます ・・・ ヤクシソウだと思うのだけど…?
浅間は今が見ごろです
キノコもイグチが少しだけど、採れました
群馬・伊香保温泉の初秋堪能
先日榛名の山に駆け上がって秋を見ての帰り、群馬「伊香保温泉」の秋を覗いてきました
榛名山中腹にある「伊香保温泉」は「草津温泉」と並んで群馬県を代表する名湯で、群馬の郷土かるたの「上毛かるた」では、「伊香保温泉日本の名湯」と歌われています
「伊香保温泉」の発見は、1900年前とも1300年前とも言われ、万葉集にもその名が登場しています
現在の温泉街が形成されたのは戦国時代で、長篠の戦いで負傷した武田兵の療養場所として、武田勝頼が当時上州を支配していた真田昌幸に命じ整備され、温泉街名物の石段もこのとき造られたと云われています
そんな往時を偲ぶ風景があっちこっちに見られます
「伊香保温泉」には、明治時代以降、竹久夢二、徳富蘆花、夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情など文人が多く訪れ、文豪達がひいきにした老舗旅館も現存しています
文豪たちの愛したのは、榛名に抱かれた伊香保の湯の泉質とその自然の豊かさにあったといえそうです
伊香保温泉の湯元源泉を見ようと、伊香保神社奥へ車 を廻しました
「伊香保温泉」の湯元付近にある紅色の太鼓橋・「河鹿橋」は、毎年春は深緑、秋になると紅葉が楽しめる名所となっています
10月下旬になると、紅葉に併せライトアップされ、「伊香保温泉」の観光スポットになっています
「河鹿橋」初秋 ( 撮影10月18日 )
「河鹿橋」周辺はいくらか紅葉が始まってきていますが、これからが本格的な秋の訪れのようです
「河鹿橋」を渡り、湯元源泉を訪ねました
湯元源泉に向かう坂道 ( 向かって左 飲泉所 )
坂道の石垣の袂には、ホトトギスが、沢山咲いていました
ホトトギスはユリの仲間、開花は8月末から11月の中頃までの秋の花で、日陰で多く見られます
花の斑点模様が、鳥のホトトギスの胸にある模様と似ていることからこの名になったそうです
但し漢字で書くと「杜鵑」と書き、鳥のホトトギスは「不如帰」と書きます・・・徳富蘆花の「武雄と浪子の愛の物語」は『不如帰』ですが、咲く花のイメージも重なって見えます
ホトトギスの 花言葉は、「 秘めた意志 」 です
「伊香保温泉飲泉所」 です ( 向かって左:万葉歌碑 奥:飲泉所 )
万葉歌碑 ( 上毛野 伊香保の沼に 植ゑ小水葱(こなぎ) かく恋ひむとや 種求めけむ 巻14-3415 作者未詳 )
歌の直訳は、『上毛野の伊香保の沼に植えた子水葱の成長するのが、こんなに待ち遠しくてたまらないのなら、いっそのこと子水葱など植えるのではなかった』
意を解するなら、『今の苦しみの元になっている恋焦がれの種など、始めから求めるのではなかった・・・なんと苦しい事だろう』ということなのでしょうか
尚、「伊香保の沼」とは、一般的に榛名山上の榛名湖をさすとされているそうです
飲泉所内の様子 (向かって左から温泉、右:冷たい湧き水)
絶え間なく流れる出る温泉を、若い二人が飲み交わしているのが見られました
但し味は鉄分多くとても多くは飲めませんね
飲泉所を上がった奥には、「伊香保温泉」湯元源泉があります
湯元源泉 (2号源泉)
源泉・露天風呂 (料金450円)
まだ緑多いけど、充分秋を感じた日となりました
« 前ページ | 次ページ » |