日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
初秋の群馬・榛名山・・・秋情報です
ここ数日一気に朝晩冷え込む日になってきています
数日前、テレビで群馬の紅葉 情報を聴き、各地の紅葉が、始まったと聞きました
昨日、(群馬)榛名の山に、秋見たさに、車 で上がってきました
情報通り、榛名全体の はまだ少しですが、榛名・沼の原はすっかり秋の装いを見せ始めていました
沼の原から見た「榛名富士」正景・・・富士の山肌は、やや色づき始めています
ススキの穂がたなびき、榛名・沼の原は秋が深まろうとしていました
沼の原からの「榛名富士」は、何時に増して大きく見えました ( 上 画像 )
「榛名富士」の山腹近くで、マユミの樹が実をつけているのが見えました ・・・
アップ 成功!!
" マユミの葉はまだ紅葉はしていないようですが、果実は色づき割れてきているように見えます
山頂のケーブル駅には何となく人の動きが見えました ( 上画像 向かって右上建物が山頂駅です )
榛名・沼の原のススキの草紅葉です ・・・向かって正面奥は、榛名山系の一つ「掃部ヶ岳」です
沼の原・足元は、すっかり色づき秋の装いでした
ススキが生い茂る中に、色づいた多くの山野草が見えました
上の画像で、紅葉しているのはトウダイグサだと思えます
中央の種子は、ノアザミかなと思います
「沼の原」での花はほとんど咲いていませんでしたが、マツムシソウとヤマラッキョウの花は秋を迎えていました
柔らかい日差しに咲くマツムシソウをご覧ください
マツムシソウ(松虫草)は、マツムシソウ科マツムシソウ属の越年草で、「マツムシ(スズムシ)」が鳴くころに咲くことが和名の由来だそうで、開花時期は、8~10月・秋を感じさせる花ですね
マツムシソウの 花言葉は、「 不幸な恋 」、「 わたしはすべてを失った 」、「 風情 」、「 健気 」 です
木道の足元で、ススキの株もとで咲くヤマラッキョウの花を見つけました
ヤマラッキョウ(山辣韮)は、山地や湿原など比較的湿潤な草原に生育するネギ属の多年草です
草丈は30~50cmになり、初夏から中空の花茎を伸ばし、茎頂に9~11月にかけて紅紫色の球状花序をつけます
花の1つ1つは、雄しべが長く突き出し、花弁(合花弁)は6枚です
ヤマラッキョウの 花言葉は、「 つつましいあなた 」 です
榛名は秋がどんどん深まっていました
群馬県立自然公園・「群馬の森」の屋外彫刻・「うつろい」を見てきました
秋が深まろうとしてきています
先日群馬県立自然公園・群馬の森(=群馬県高崎市にある県立の都市総合公園)に行ってきました
しばらくぶりの「群馬の森」です
園内をのんびり緑鑑賞すべく、あっち行ったりこっち行ったり・・・
「群馬の森」には、群馬県立近代美術館があり、園内各所には野外彫刻がいくつか飾られています
美術館前にある池の中には、ちょっと変わった作品がありました
ステンレスワイヤーを使った彫刻で、見る角度によっていろいろの模様を見せてくれます
この作品は、抽象彫刻家・宮脇愛子の「うつろい」シリーズの一つだそうです
作品タイトルの「うつろい」とは、「移ろい」、「虚ろい」、「映ろい」、「空ろい」、「写ろい」…と色々あり、四季を様々に表現しているのだそうです
美術館前の張り出したテラスの下のワイヤー曲線
池の周りをまわりながら、秋の移ろい、映ろいを眺めてみました
この「うつろい」に使われているワイヤーは、22台のベースから伸びる29本のステンレスロッドで構成されており、水面から色々の方向にカーブを描いて設置されています
周囲の風景と、時折の光の反射で、見る位置を変えると様々な「うつろい」の姿をみせてくれました
ワイヤーの太さは何種類かあるようで、風が吹くとゆらゆら動くワイヤーもあるようで、作者の意図は時の「うつろい」と森の空気に併せさわやかな旋律を醸そうとした野でしょうか!?
秋がもう少し進んで、紅葉が進んだらまた来てみようかな!?
小紫の魅力的な果実を見つけました
大分秋めいてきたので、先日近くの山に、秋を探しに行ってみました
車を走らせ、群馬・藤岡にある庚申山総合自然公園に寄りました
庚申山は、群馬百名山の中で最も低い山です…標高189mですから、山というより丘陵と云えます
園内は幾本かの散策コースと運動諸施設があり、市民憩いの公園になっています・・・この日も運動公園では、子供サッカー大会が開かれ賑わっていました
混んでいた駐車場の隅に車を停め、雑木林の中を散策してきました
林の縁で、色々の秋がありました
小紫(コムラサキ)が、きれいな実を一杯つけて生っていました・・・『はい!!』 『パチリ!!』
小紫は、熊葛(くまつづら)科ムラサキシキブ属の落葉低木で、初夏(6月~8月初旬)に薄紫色の花を咲かせ、秋(9月~12月初旬)に垂れた枝に紫色の小球形の果実を多数付けます
小紫の名は、「紫式部を小さくしたもの」という意味でつけられたようで、やや紫式部より小ぶりの実が付くためでしょうか!?
別名は、小式部とも呼ばれています
林縁で、谷渡りをするように実をつけた小紫
小紫の果実は、 幹に近いところから枝先に向かって追いかけるように固まってついていきます・・・紫式部の果実はバラバラにつきます
実は緑色から綺麗な赤紫色に色付き、この頃になると小鳥達の恰好の好物となります
小紫の緑色の葉は、対生につき、葉縁の上半分に鋸歯が見られます・・・紫式部には葉の全縁にギザギザが見られます
上述しましたが、小紫の別名は小式部です
小式部は、平安朝の有名女流歌人・和泉式部と最初の夫(橘道貞)とのあいだの娘で、母親譲りの豊かな才能を持っていたようです
平安時代の女流歌人、小式部内侍(999 - 1025 )の歌は、百人一首で詠われています
大江山 生野の道の遠ければ まだふみもみず 天の橋立
母を恋いる歌で、歌の意味は、「大江山を越えて、近くの生野(京都府亀岡市内の古地名)へと向かう道のりですら行ったことがないので、まだ母・和泉式部のいる遠い天の橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙もまだ見ていません」
母娘ともに恋に奔放な理知的で魅力的女流歌人であったようです
紫式部と和泉式部は、一条天皇の中宮・彰子に使える同僚であったようですが、紫式部は母娘の奔放ともとれる恋情に快くは思っていなかったようです
紫式部は、あまり美女ではなかったのかもしれません
小紫(小式部)の 花言葉は、「 愛され上手 」、「 上品 」、「 聡明 」、「 知性 」 です
平安朝の雅な女流歌人を想いださせてくれました
県境「三国峠」を眺めてきました
秋が足元だなと思ったら、どっかに秋がないかなと思っていました
何を言ってるかわからないでしょう!?
先週の事ですが、週末の買い物をしながら、秋を探しに三国峠に向かってみました
三国峠(みくにとうげ)と云うのは、新潟県(南魚沼郡湯沢町)と群馬県(利根郡みなかみ町(旧新治村))を越える県境峠で、近世江戸時代に中山道の高崎(群馬県高崎市)から分かれ、北陸街道の寺泊(新潟県長岡市寺泊地域)へ至る主要街道(=三国街道)の要所です
三国街道は、関東と越後を結ぶ交通路としてきわめて古くから利用されてきました
三国峠は、上杉謙信の関東遠征の際には、雪解けを待って新緑の中進出し、雪の降る前に紅葉の中帰国する要地です
往時は相当な難所だったと思われます
そんな峠をどんな気持ちで行き来したのでしょう
群馬・水上・猿ヶ京温泉を過ぎて、三国峠に入る三国鉄橋です
江戸時代に至ってからは、参勤交代に利用されたりと重要視されました
長岡藩、与板藩、村松藩などの諸大名や佐渡奉行、新潟港巡検の関八州取締出役などがこの街道を利用したと云われています
昭和になり、三国街道は国道17号(三国トンネル)の開通により物流の大動脈となり、つづら折りの山道の通行は少なくなりました
尚、近年は、更に関越自動車道の開通により国道17号自体の交通量も減少しました
とは言え、燃料や一部の薬品などの危険物を搭載した車輌は関越トンネルの通行が禁止されているため、現在でもこの峠を経由しているのだそうです
現在、三国トンネルの老朽化などに伴って新三国トンネルの建設が計画されているそうですが、どうなっているのでしょう
群馬・猿ヶ京側から見た三国連山です
峠越えしてやってきた観光バス
三国峠の山々
紅葉はやっと始まりだしたばかりです
日々これから秋は深まりを増すことでしょう
紅く、黄に染まった頃、また来てみましょう
群馬・榛名山系中腹からの眺望を見てきました
秋らしい季節になってきました
先週群馬・榛名山中腹を走ってきました
行き先は伊香保にある「県立伊香保森林公園」です
「県立伊香保森林公園」は、伊香保の南西にそびえる榛名山の二ツ岳(=雄岳・雌岳)(標高1345m)を中心とし、南端の相馬山(1412m)の間の標高差450m、面積224haの地域にできた史跡、景勝に富んだ緑豊かな自然公園です
通常の行き方は、 関越道渋川伊香保ICから国道17号、県道33号経由し20分です(➝約8km)
ネットで森林公園の案内図を見つけましたので、見てください
上案内図を見ながら、画像を眺めてください
この日、高崎・箕郷方面からつづら折りの路を走り上がって、二ツ岳中腹のつつじヶ丘展望台より眺望しました
秋始まろうとしていました
凄い風景ではないけれど、優しく、とてもさわやかな景観でした
つつじヶ丘(➝標高1140mとありました)展望台からの展望 ( 向かって右横山塊は、水沢山 ・ 眼下は、渋川市 向かい正面奥は、赤城山山系 )
この辺りの地質は、相馬山・二ツ岳が石英安山岩の溶岩円頂丘、他の地域は火山岩屑、凝灰角礫岩などを含む火山噴出物からできており、二ツ岳と相馬山の間の凹地は爆裂火口で6~7世紀のものと言われていま
この凹地は、オンマ谷と呼ばれていますが、オンマとはどいう意味なのでしょう…調べてみたのですが、陥没と云う意味のようだけどまったく定かではありません
6~7世紀は日本歴史は古墳時代です
つつじヶ丘一帯はツツジ、モミジ、カンバの群落など、緑豊かな自然で、榛名山系の各所への登山起点コースになっています
つつじヶ丘を下がって、スケート場近くの上の山公園の見晴らし台から、眺望しました
眼下は、伊香保温泉市街地です
向かって正面は、小野子山、子持ち山です
この日は煙って見えませんでしたが、上州穂高、日光白根、谷川連峰も見えるようです
すこ~し紅葉が始まろうとしています
紅葉はさぞ見事になるだろうなと思いながら、帰ってきました
長野・佐久市にある「駒場公園」に行きました➝「市立近代美術館」に立ち寄り、美術鑑賞です
昨日に続いて…
R254を通り過ぎ、佐久市に入り「佐久市駒場公園」に行ってきました
駒場公園は、佐久平のほぼ中央に位置し、樹木を多く植栽し緑溢れる安らぎの空間が創出されています
この創造の森を作る駒場公園は、広さは約10ha、地域の貴重な文化を伝承しつつ地域住民の芸術文化水準の向上と、新しい文化の創造に役立せるための社会教育や健康づくりの広場として整備されたものです
公園内には、創造館、多目的ひろ場、プール、美術館などが設けられ、佐久地方広域圏における住民の文化・芸術の拠点としておおいに活用されているようです
公園を覗き見しました ➝ 林間の園内各所に銅像が見られます
右奥のレンガ造りは図書館です
カラマツ林の中には、マレットゴルフ場が造られ、年配層の運動公園の役割も果たしているようです
「マレットゴルフ」は、日本で生まれたスティックとボールを使って、少ない打数でゴールホールへカップインさせることを競うスポーツです
国内各所で広まってきていますが、長野県が最も盛んで、老若男女問わず大勢のプレイヤーがいるようです
「マレットゴルフ」を楽しむ老人
松の樹の下には、乙女の銅像がありました
キノコが生えていました…秋が始まっています
多目的広場の芝生には、母子の立姿銅像がありました … この手前では、同じくらいの親子連れがお弁当を拡げていました
多目的広場の奥は、「佐久市立近代美術館」が建っています
現在「近代美術館」では、日本芸術院会員で、二紀会常任理事の山本文彦の画業が、70点ほど集められ展示されていました
山本文彦は佐久市ゆかりの洋画家です
鋭い感性で自然と人間を、美しい女性の裸婦絵を通して描かれているのが多く見ることができました
「人と自然の織り成す、生命の叙情詩」ーと、キャッチフレーズがなされていましたが、絵にはエログロさは全く感じられず魅入ってしまいました
山本文彦展は、2014年9月15日まで開かれています
開館時間 9:30~17:00 観覧料 600円 です
お薦めです
長野・佐久の「コスモス街道」を走ってきました 🚙
先日久しぶりにと云うか何年かぶりに長野・佐久にあるコスモス街道を走ってきました
コスモス街道と云うのは、群馬県境の内山トンネルを長野・佐久に抜けて走る国道254号沿いにあるフラワーロードです
国道254号線は、東京都文京区を起点として、埼玉県川越、群馬県藤岡、長野県佐久を経由して、松本(長野県)に至る全長224kmの一般国道です
フラワー・コスモス街道は、周囲奇岩怪石の内山峡に守られるように延々9kmほど続いています
コスモス街道に行くには、上信越自動車道 佐久インターチェンジから中込・佐久穂方面に向かい、中込から国道254号線で内山・群馬県境方面へ向かいます
佐久インターチェンジから約20kmほどです
コスモス街道にコスモスが植えられたのは1972年(昭和47年)のことで、地元の老人クラブがボランティアでコスモスを植えたことがきっかけだそうです
今では毎年9月に地域ぐるみのイベントとして「佐久高原コスモスまつり」が行われていると聞いてきたのですが、この日県境内山トンネルを抜けて走っても、期待したコスモスの花が見えません
以前ほどには、植える本数が減ってしまったのかと思いましたが、どうやらまだ咲き初めたばかりで、盛りはこれからのようでした
コスモス街道に咲くコスモス (国道254号:佐久側から群馬方向をみる)
晩夏から秋にかけて、桃色、白、赤の鮮やかな花を咲かせるコスモス
国道両端に咲くコスモスを見ると、秋がやって来たことを実感出来ました
コスモスの原産はメキシコで、日本には明治時代半ばに入ってきたという比較的歴史の新しい花なのだそうですが、とても日本の叙情風景に似合っています
コスモスの花言葉は、「少女の純真」、「真心」 です
昭和52年(1977年)発表の狩人のヒット曲「コスモス街道」のモデルになった佐久のコスモスですが、きっと花言葉のイメージで歌われたのかもしれません
街道脇は千曲川に流れ込むであろう川が流れていました
コスモスの花名は、ギリシア語の「kosmos」です
意味は、「 美しさ 」、「 調和 」、「 宇宙 」などに、由来しています
私は、コスモスの呼び名には、とても叙情を感じます
群馬高崎・榛名湖畔・「沼の原」の植物達
昨日に続いて・・・
先日、群馬・榛名湖湖畔の「沼の原」傍を、ちょっと走ってきました
車を停め、道傍の花をパチリ!! です
沼の原を横切る自動車道より、「沼の原」を一望しました (向かって正面:相馬山)
「 沼の原」はすっかり草原化しています
遠くに見える白い花は、シシウドの花です
ユウスゲの花が凋んでいますが、まだここかしこに見られました
ちょっと近づいてパチリ!!した「沼の原」植物 ( 手前ツボミは、ユウスゲ、右は、チダケサシ)
ホタルブクロ(=キキョウ科の多年草)
タカトウダイ(=トウダイグサ科の多年草)
チダケサシとアヤメ
チダケサシの花アップ
アヤメの花アップ
ウツボ草(=シソ科ウツボグサ属の多年草)
暑いこの日(先月末)、高原の花をみて、ちょっと涼味を感じて帰ってきました
榛名湖畔の湿原・「沼の原」に咲くチダケサシ
先だって群馬榛名湖周辺を走ってきました
榛名山体は、二重式火山で、外輪山は輝石(きせき)安山岩で構成され、円錐型をなしており、底面の直径20kmの大型成層火山で、山体は二重式火山です
外輪山は輝石(きせき)安山岩で構成され、円錐型をなし、侵食が進んだ輝石安山岩の主成層火山の頂部に、小型のカルデラがあり、東西4km、南北2.5kmの楕円形をし、火口原の「沼ノ原」、火口原湖の「榛名湖」でなっています
「沼の原」は、湿原と呼ばれていますが、ほとんど草原化し、最近では熊笹や、ススキの姿が大幅に増えて植物形態が変わってきているのは残念な限りです
道路わきで車を停め、道傍で咲いていたチダケサシをアップしてきました
咲き始めたチダケサシ (熊笹に混じって咲きだしていました)
チダケサシは ユキノシタ科チダケサシ属で、草丈50~70cmほどになる多年草です
夏に花茎をほぼ垂直に立て、花茎の下部から順に上部に向かって枝分かれさせ(全体として円錐塔状の花序に)花を咲かせます
分岐した花茎のまわりには、小さな花をびっしりとつけます
花の色は、しばしば淡いピンク色になりますが、白い小花を密につけます
葉は、2~4出(2から4回葉軸が枝分かれする)の羽状複葉(葉軸に沿って小葉が並ぶ)で、小葉の縁には荒い鋸歯(葉の縁のギザギザ)があり、葉先は尾状に伸びません
花びらは5枚、 雄しべは10本あり、先が赤くなっています
雌しべの先は2つに裂けています
「沼の原」に住む虫たちが、色々チダケサシを訪ねてきていました
チダケサシの歌をネットで、見つけました
『 チダケサシ すっくと立ちて いたりけり 何とはなくて 信じたくなる 』 ( 鳥海昭子)
意味: チダケサシはまっすぐ伸びた長い茎が印象的です。チダケサシのようにすっくと背筋を伸ばした姿勢のいい人には、理由もなく信頼を寄せられます。
チダケサシの 花言葉は、「 まっすぐな性格 」 です
湖畔で見かけたウバユリの花
数日前、ふと思い立って、榛名山に上ってきました
久しぶりに高原の夏を味わいたくなったのです
榛名山は、山頂にある榛名湖(➝古名は、伊香保沼)の周囲を取り囲む一連の山々の総称です
山々の中で一際目立っている形のいい山・榛名富士は榛名湖中央のシンボル的山です
榛名湖は、榛名外輪山の噴火によってできた湖で、満々と水をたたえ周囲約5キロメートルの火口原湖です
湖畔には遊歩道があり、トテ馬車やサイクリング車が往き帰るようになっています
遊歩道から見た湖畔の風情です ( 向かって右:榛名富士 左:烏帽子岳 )
湖畔の周回道を走ってきました
道路脇で、ウバユリの花が咲いているのを見つけました
ウバユリ(姥百合)は、ユリ科ウバユリ属の多年草で、山地の森林の中や、縁に多く自生しています
日本固有種で、草丈は50cm~1mほど、株中央から花茎をぐっと伸ばし、茎の上部に長さ12~17cmの緑白色の花を横向きに数個つけます
茎の下部には、輪生状に5-6枚の葉をつけます
葉は卵状楕円形で長さ15~25cm、幅7~15cm、先はとがり、基部は心形で、網状の葉脈が見られます
花期は丁度今咲き始めたばかりのようで、7~8月だそうです
湖畔周回道の脇で咲くウバユリ・・・ 直立して、まるで行き交う車の信号のようです
ウバユリの花の花被片は、内側に3枚、外側に3枚あり、筒状になっています
花被片の内側は緑の色が深みを増しています
雄しべは6本、葯は淡褐色をしていました
受精してできる果実はさく果(=熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)で、種子は半円形で扁平、周囲に膜質で半透明の翼があり、長さ1~1.3cm、茎が直立した状態で越冬しているのをみることがあります
ところでウバユリの語源は、牧野日本植物圖鑑(北隆館)での、「花ノ時、歯(葉)既ニ無シトテ之レヲ姥に譬ヘ此称ヲ得タリト云ウ」が定説のようです
即ち「花が咲くとき、すでに葉(歯)がないというしゃれからつけられたという」ということですが、見る限り、花が咲いて葉もしっかり残っています
この説はもしかしたら別なのではと思いますが、でも漢字で書くと、ともかく「姥」だからやはり名づけた人はそう思ったのかもしれませんね
花の時期は葉も大分傷んできていますから、「葉(歯)が無いから老女である」ではなく、老いて葉(歯)が痛んできたが、尚花が盛りとなり色香を保つ「老女(姥)」に例えたのかもしれません
ウバユリの意味は「花盛りの時期に、すでに老女のおもむきを持つ花」がいいと、ネットで紹介ありましたが、なるほどと私も感じています
ウバユリを詠った歌を見つけました
「 木漏れ日を 浴びて静かに 花開く 姥百合の色 落ち着き見せて 」 ( 作者不詳 )
「 どことなく 大人の色気 漂わす 木々の間に 姥百合は咲き 」 ( 作者不詳 )
なかなかいい歌だなと感心しています
ウバユリの 花言葉は、「 威厳 」、「 無垢 」、「 純潔 」 です
湖畔の静けさにとても似合って咲いていました
ヤマアジサイの咲く群馬の山里で、「カナカナ」の声を聴いてきました
先日群馬・倉渕にある倉渕川浦温泉・はまゆう山荘に行ってきました
「はまゆう山荘」は、榛名山と北軽井沢の間に位置し、四季折々の美しい大自然に囲まれた公共の宿です
実は「はまゆう山荘」付近のヤマアジサイが今が盛りだと教えてもらい出かけたので、山荘のヨーロピアン風建築を横目で見ての自然林を散策でした
時間があれば、温泉に入ってもよかったかなと、ちょっぴり後悔です
この日は梅雨の合間のやや曇りの日でしたから、昼なお暗く感じる杉木立の中で咲いていたヤマアジサイは深山の風情がありました
深山幽谷の感のヤマアジサイ
ヤマアジサイは、アジサイ科アジサイ属の1種で、山中で沢によく見られることから、サワアジサイとも呼ばれます
ヤマアジサイの花は、6~8月、枝の先に散房花序を出し、多数の両性花と周辺に装飾花をつけます
樹高は1~2m位で、サワアジサイの別名があるように、ブナ林などの夏緑広葉樹林の谷筋などに多く生育しますが、はまゆう山荘周辺では杉樹林の中で咲いていました
ヤマアジサイの葉は対生し、長さ10~15cm・楕円形で柔らかいかんじですが、縁にははっきりした鋸歯があります
葉柄は長さ1~3cmくらい、葉には表面脈上と縁には短毛があり、裏面の脈と主脈脈腋には毛があり艶がないのが特徴です
ちょっぴり艶やかなヤマアジサイ
花形は、ガクアジサイなので周辺に4枚の花弁状の萼を持つ装飾花が、中心部に多数の普通花があります
花の色は薄く紅色を帯びるものから白色、紫色を帯びるもの、青色のものなど多様ですが、ここで見られたヤマアジサイは白がほとんどでした
但し装飾花の1枚に、ちょぴっと紅をさしているのが、とてもかわいい感じです
時期的に早いのか、普通花はまだ咲いていませんでしたが、普通花は5枚の三角形の花弁があり、雄しべは10本です
ヤマアジサイの葉上で、「ヒグラシ」が留まっているのを見つけびっくりでした・・・「ヒグラシ」の声を聞くと夏の終わりと思っていましたから
「ヒグラシ」は、セミの一種で、日本を含む東アジアに分布する中型のセミです
「ヒグラシ」は俳句では秋の季語とされており、晩夏に鳴くセミのイメージですが、実際には(地域にもよるが)成虫は梅雨の最中の6月下旬頃から発生し、「ニイニイゼミ」同様、他のセミより早く鳴き始めるそうだとしり納得でした
まだ出たてのせいか、逃げもせずじっとカメラアップに耐えてくれました
耳を澄ませたら、ヤマアジサイの向こうで、カナカナの声が聞こえていました
アジサイの花があっちこっちで咲いています
7月に入りました
梅雨はまだ終わりません
この時期の花の主役は何といってもアジサイですかね
しとしとと降る雨の中で、アジサイ”花のしっとり濡れた姿は美しく、梅雨ならではの風情です
アジサイはもともとは日本固有の植物で、古来から親しまれていた花木です
アジサイという呼び名も、語源には諸説ありますが、最も有力なのは、藍色が集まったものを意味する「集真藍(あづさあい/あづさい)」がなまったという説が有力とされています
尚、他の資料として、『万葉集』の中では、「味狭藍」、「安治佐為」とあり、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」と書かれているとありました
「紫陽花」という字があてられたのは、唐の白居易が別の花につけた「紫陽花」を、平安時代の学者が「アジサイ」にあてたからだといわれています
現在 アジサイは沢山品種改良され、世界的にもよく知られています が、この源は、長崎に来たシーボルトが、恋人のお滝さんにちなんで「オタクサ」という名をつけ、海外に紹介し、以来、西洋でも親しまれ、様々な品種改良を経て日本に逆輸入されるようになったものです・・・これらは「西洋アジサイ」と総称されます
よく見かける手まり状に咲いているものが「西洋あじさい」、日本原産の「額あじさい」は、額縁のように周囲にだけ花(実際にはガク)が咲きます
最近はどこの公園でもアジサイが植えられ、和洋折衷で楽しむことができます
先月後半、群馬・渋川総合公園に行った折、水紫色のアジサイが松林の中で遊歩道の街路樹然に沢山植えられていました
この路は、園内のアジサイ遊歩コースとして、楽しまれているようです
渋川にはこのほかに 「アジサイ公園」 が市内にあり、賑わっているようです
数日前、群馬県立自然公園・群馬の森に行ってきました
遊歩道のところどころの一画に、多様な色・形のアジサイが植えられていました
松林の中で咲くガクアジサイ
真っ白なガクアジサイの装飾花は八重咲きでした
ピンクや青紫色の八重装飾花もありました
装飾花の真ん中にあるのが、アジサイの真花です
アジサイの花が咲く頃と云うのは、本当はこの真花が開花してことを言います
紅い装飾花の中で、水色の真花が咲いていました
ガクアジサイの両性花です (雄しべ雌しべの花粉がないのは中性花だそうです)
松林を背景に、色とりどり、多様な形の紫陽花”が、咲いていました
緑とマッチし、梅雨の風情も時代感覚が変わって感じられます
スイレンの花が咲きました
先だって、梅雨の切れ目・ある晴れた日ですが、群馬・渋川総合運動公園に行ってきました
園内の池に咲くスイレン花が目当てです
ハスの花とスイレンが共生しているこの池は、毎年楽しみに見に来ています・・・スイレンの花期は6月~8月です
昨年でしたか、水が少なくなりすっかり干上がって、住んでいた鯉が死んでしまいました
ひび割れた池に辛うじて幾つかのスイレンが、咲いていたのがとても悲惨な感じで記憶に残っています
今年は生き返ったように咲いていました
スイレンはスイレン科の水生植物で、世界の熱帯~亜熱帯が原産の多年草です
スイレンは、漢名で「睡蓮」と書きますが、これはこの花が夕方に閉じる(睡る)ことを表しているといわれます
また、未(ヒツジ)の刻(午後2時)に花が開くことから、和名では「未草(ヒツジグサ)」と呼ばれます
スイレンとハスは混同されやすいのですが、葉の形と、花の咲き方で見分けます
葉に切れ込みがあるのがスイレン、切れ込みがないのがハスです
また、ハスの花は水面より高く上がり咲き、スイレンは水面近くで浮いているように咲きます
花開くスイレン ( スイレンの葉の隙間から、ハスの葉軸がのびています )
スイレンは、朝に花を開き、夕方に花を閉じる事から太陽のシンボルとされ、古代エジプト時代から装飾や神話に多くあらわれています
スイレンというと、「モネ」のスイレン画を思いだします
自然の光の表情に関心を持った「クロード・モネ」は、スイレンの花を描写して自然の外光を追求したのが知られています
印象派の画家であった「クロード・モネ(1840-1926)」は、同じモティーフを時間毎に描き分け、光と色の変化を追った連作を木や葉の影の反射、風による水面のさざ波などで丹念に描きこんでいます
これらを描くため「モネ」の後半生で熱心に取り組んだのは、「睡蓮」の連作で、自宅の庭園にスイレンの池をつくり、制作に没頭したそうです
倉敷にある大原美術館には、モネの描いた「モネの庭の睡蓮」が株分けされて所蔵されているそうですが、見てみたいと思っています
スイレンの 花言葉は、「 清純な心 」、「 信頼 」、「 信仰 」 です
スイレンの学名は 「Nymphaea (ニンファー)」というのですが、これは、「水辺の妖精(ニンフ)」が由来です
水面に浮かぶ花の姿は、とても神秘的・・・見てるだけで、「清純な心」が取り戻せそう・・・と思われます
小栗上野介の菩提寺・東善寺に行ってきました・・・群馬・倉渕の春です
先だって、群馬・高崎の倉渕に春探訪しました
実は倉渕は、司馬遼太郎が「明治の父」と表した「小栗忠順(おぐりただまさ)」・即ち「小栗上野介」終焉の地で、曹洞宗・東善寺が菩提寺になっています
「小栗 忠順」は、江戸時代末期の幕臣で、安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、日本人で初めて地球を一周して帰国した人物です
多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行って、日本の産業革命の礎を築きました
明治維新の折、奉行を罷免され、領地である上野国群馬郡権田村(群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁し、東善寺を仮住まいとしていたが、薩長西軍の小栗追補令で家臣と共に斬首されました
逮捕の理由としては、大砲2門・小銃20挺の所持と農兵の訓練が理由であるとする説や、勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説(徳川埋蔵金説)などが挙げられているそうですが、これらの説を裏付ける根拠は現在まで出ておらず、地元民の敬愛を知るにつけ、維新を妨げるとして、小栗の才をやっかみ恐れた為かもしれません
東善寺の開創は寛永10年(1633年)・今から約360年前と云われています
そして1704年倉渕・権田村が小栗家の知行地になった時から小栗家との縁が始まったとされています
今では小栗の業績と見識の広さが知れると共に、東善寺は倉渕の観光スポットになっていました
国道R406 沿いからの、東善寺入口 (向かって左の牡丹が見事です)
坂道を上がると、境内になります
簡素な寺院は小栗の清貧さを偲ばせました
向かって右 本堂 (➝住まいと共用みたい?)
境内の奥は、斬首された家臣が祀られていました
家臣たちの祀られた墓所には、大きなツバキの樹が茂り、ちょうど花が咲いて死を悼んでいました
境内奥に、小栗忠順(上野介)の胸像が祀られていました
幕末には色々な人材が輩出されましたが、小栗もなかなかな人物です
かって、小栗が見本で持ち帰ったネジの展示品をみた事がありますが、ネジが鉄を造る発想の原点になったと知ってとても愉快さを覚えたのを思いだしました
境内の一角に、黒葉のモミジが茂り、花開いていました
ところでクロモミジなんて品種があるのでしょうか!?
ちょっと調べた限りでは、見つかりませんでした
葉の形も随分縮れ、黒と云っても濃い緑で、離れてみると黒っぽいからそんな名前がついたのかもしれません
花も咲き、とにかくめずらしい品種がみれました
上州・倉渕の春は今一杯です
昨日に続いて…
群馬・榛名湖畔の春を見るため、榛名山麓・旧倉渕村を抜けて行ってきました
倉渕村(くらぶちむら)は、群馬県の西部にあった村ですが、2006年1月に高崎市へ編入され現在に至っています
旧倉渕村の権田は、横須賀製鉄所をつくるにあたり尽力した小栗忠順の領地で、終焉の地でもあります
小栗忠順を祀った東善寺は後で紹介します
倉渕は利根の支流・烏川が流れており、途中車を停め、川辺の春を探索してきました
権田近くの橋からの烏川展望 (向かって:下流・高崎方面)
釣り人が糸を垂れているのが見えました・・・今の季節は何が釣れるのかな!?
オイカワかな!?
近くの山辺には、ヤマブキが咲き、マムシ草が咲き出しているのが見られました
足元近くには、群生した チゴユリ の花が咲いていました
紅花ドウダンツツジが、丁度見ごろになって咲いていました (東善寺境内で見たものです)
倉渕の春はまだまだ・・・
でも緑が増してきており、まもなく夏近しです
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