ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[2021] 6月22日(火)~6月28日(月)に観た映画 ▶公立中の2年生1クラスを自然に撮った「14歳の栞」が良かった!

2021-07-22 23:47:02 | 最近観た映画の感想と、韓国映画情報など
 韓国映画だけでなく、日本映画、外国映画を問わず最近観た映画の寸感と評点を<韓国内の映画の興行成績>から切り離して、<最近観た映画>のカテゴリー内の独立した記事として連載することにしました。・・・と予告してからずいぶん間隔が空いてしまい、まだ記事にしていない6月22日以降観た映画が計19本になってしまいました。なにぶん数が多すぎるので、3回(?)に分けて書くことにします。

「デカローグ/7.ある告白に関する物語」★★★★★
「デカローグ/8.ある過去に関する物語」★★★★★
「デカローグ/9.ある孤独に関する物語」★★★★☆
「デカローグ/10.ある希望に関する物語」★★★★☆
 6月7~25日、エピソード1~10を順番通り2つずつ5回に分けて全部観ました。10のエピソードは物語の舞台(主人公たちの居住地)がワルシャワの同じ巨大アパート団地で、一部の登場人物が他のエピソードで端役として登場する等多少交錯する場面はありますが、基本的にそれぞれ独立した作品です。各エピソードにはすべて「○○に関する物語」という表題が付いていて、それぞれが「わたしのほかに神があってはならない」以下の<十戒>に対応しているとのことです。ただ、作品の内容がそれと直結しているとは思えず、むしろコジツケといった感もありました。その一方で、ポーランドの人々の生活や倫理観等にキリスト教が深く根を下ろしていることも感じられました。
 当初テレビのミニシリーズを想定して製作されたドラマで、10編とも1時間弱の短い作品です。しかしその分密度が濃く、片時も目が離せません。そして肝心なことは、この連作について観た者(たとえば私ヌルボ)がどう思うかというよりも、逆に映画の方が「あなたはどう考えるか?」と正面から問いかけているということ。パンフを見ると、四方田犬彦さんも「映画の方がわたしを測るのだ」と記しています。また約30年ぶりに「5.ある殺人に関する物語」を観た時、以前とは作品に対する自分の姿勢が変わったことに気づいたとのことです。何の動機もない残酷な衝動殺人を犯した青年の死刑をテーマとした作品ですが、1997年の<連続射殺魔>永山規夫の刑死が作品の観方が変わる契機となったとか・・・。ということで、また機会があれば観てみようと思います。
 全部観た人の中には10作品を順位付けしている人もいます。私ヌルボ、個人的には「1.ある運命に関する物語」が一番衝撃的で、印象に残っています。
 上記の★5つと4つ半の差は、「主人公に共感できるか?」、「物語がわかりやすいか?」が基準です。なお、「○○に関する物語」という表題にだまされないとらわれないこと。「愛に関する物語」だからといって愛に溢れた物語かは疑問だし、「希望に関する物語」といって希望に満ちたハッピーエンドを期待するのもちょっとなー、かもしれません。
「14歳の栞」★★★★★
 旧利根川沿いの公立中学の2年6組の生徒たち35人の学校生活や、一人ひとりの思いをそのまま記録したドキュメンタリー。
 私ヌルボの中学高校時代の写真は、ほとんどすべてが年度当初のクラス集合写真、あるいは文化祭等の行事の時に撮った写真です。まだモノクロの時代で、枚数からして多くはありません。家族の写真も同様。かつては写真というものは特別な時に撮るものと決まっていたように思います。したがって、私ヌルボも両親の日常を撮った写真はほとんど(全然?)ありません。また庶民が動画を撮るとなると、70年代までは8ミリフィルムしかなく、それは一部の趣味人の領分に止ました。70年代半ば頃からビデオの時代に入り、その延長で85年にハンディカム&8ミリビデオが登場して一般庶民自身の動画撮影は大幅に広がりました。ただ、その頃でもやはり子供の運動会や学芸会等の特別の機会に撮ることが多かったのではないでしょうか? ところが近年は小型のデジカメやスマホでも手軽に動画が取れるようになり、YouTubeユーザーも増えて状況は大きく変わってきました。
 このような動画撮影の歴史をたどると、当然ながら半世紀前とは隔世の感があります。とくに痛感したのは、静止画像と音声付き映像の決定的な差。つまり「生々しさ」です。この映画に登場する35人の生徒たちが何年後にこれを観るとそこにはいつも変わらぬ14歳の「生々しい」自分たちがいるのです。それは記念写真とは全然違う感情を呼び起こすのではないでしょうか?
 私ヌルボ、この映画を観ながら、ふと60年近く昔の自分たちを見ているような錯覚にとらわれました。ちょうど(SFファンの間では少し知られている)スローガラスごしに教室を眺めている感じです。
 ※<スローガラス>については→コチラ参照。
 このドキュメンタリーでとくに驚くのは、生徒たちの言葉や生活のようすがとても自然に撮られていること。ある女子が男子にバレンタインチョコを渡したり、男子がホワイトデーに彼女の家の玄関先でお返しのプレゼントを渡して「人生で一番キンチョーしたかも・・・」と語ったりしている場面等々。(→私ヌルボが共感を覚えた→コチラの記事を参照されたし。この2年6組で英語を担当していた→先生のブログ記事も。
 小学生のように子供っぽくもなく、高校生ほど大人っぽくもない中2を対象にしたのも妥当な選択でしたね。また、以前教職にあった立場で考えれば、よく学校側(校長や担任をはじめとする教職員)がこの映画の企画を認めたなあ・・・と、これはほとんどオドロキのレベル。学校社会というところは意義のありそうなことでもリスキーな要素があると見ればまずはやらないのが通例ですから。事前に制作側との綿密な打ち合わせは必須だし、生徒と保護者全員の合意も不可欠だし、生徒中のほとんど不登校の少年に対する配慮も必要だし・・・。そんな舞台裏を考えると、スクリーンに映った35人の生徒の他に実に多くの人たちが関わって出来上がった作品だと思います。50日という撮影日数は学校側としては長く、制作側としては短かったでしょうが、生徒の皆さんの自然な姿を撮ることができたのも上記の人たち相互の信頼関係があってこそというものです。
 多くのレビューに書かれているように、観た人それぞれに私ヌルボと同様自分の中学時代を思い出させてくれる、そんな普遍性を持った映画です。
 ※池袋シネマ・ロサ(右上画像)は1946年創業の歴史ある映画館。約半世紀前に1年ほど西武池袋線で通学していた頃から名前は知っていましたが、場所が池袋西口のワイザツな一角ということもあって品行方正な(?)学生だった私ヌルボは行ったことはなく、結局入ったのは今回が初めて。上映作品の傾向もいろいろ変遷を経て、今は新宿のK's cinemaと共に新進監督を中心としたインディーズ系の作品上映を特色としています。この2館はあの大ヒット作「カメラを止めるな!」のスタート地点ということで<「カメ止め」の聖地>と呼ばれているとか。右画像のように最近(昨年?)文字通り明るいバラ(rosa=イタリア語)になっています。

「ももいろそらを カラー版」★★★☆
 最初のモノクロ版は2011年の第24回東京国際映画祭で日本映画・ある視点部門作品賞を受賞した作品ですが未見だったので、最近公開のカラー版を観ることに。これまた未見の「殺さない彼と死なない彼女」(2019)で注目されている森山啓一監督作品なのですが、まずこれから観ておくかと・・・。
 で、主人公は女子高生で・・・という映画はたくさん観てきましたが、こんな(朝から1人で釣り堀に行くような)高校生がはたしているものかどうか・・・。友人たちとの関係も、大金の入ったサイフを拾った後の対応も少し違和感を感じてしまいました。たとえば何か目標に向かってがんばるとか、学校生活や家族内の問題と格闘するとか、若さゆえの暴走とか、レンアイ物等々のよくある高校生の青春物のパターンから外れている感じで、結局最後まで首を傾げたままで終わってしまいました。
ところが後で<映画.com>で本作のレビューを見てみると、津次郎さんという方が「鬼才じゃないという凄さ」と題した一文(→コチラ)に目が留まりました。
 曰く、「えもいわれない優しさの映画です。日本映画には絶対になかった情感です。血も汗も涙もありません。暴力も堕落も残酷も怒号も痴情もAbused Womanもチンピラも、日本の映画監督たちが大好きな素材がいっさい出てきません。だからかわいいのです。かわいいという言葉が伝える、広汎な意味においてのかわいさを備えていると思うのです。」 あるいは、「映画は何も起こらないのに瑞々しい断片をとらえています。小さな事件は映画的です。無欲で、どやと鬼才感がなく、なんのメッセージもありません。ただちょっとした映画になっている──だけです。その野心を削いだ感覚が、俺俺/私私の巣窟と化した新鋭のなかで、どれほど貴重であったことでしょう。」 ・・・というわけで、★4つ半。
 ふうん、なるほど。そういう見方もあるのか・・・。まあとりあえずは今度「殺さない彼と死なない彼女」を観ることにしますかねー。

「映画大好きポンポさん」★★★
 事前の情報は皆無で、原作漫画の存在を知ったのも観た後。ただ、なかなか評判がよさそうなアニメで、もしかしたら映画業界内のこれまで知らなかった知識とかも得られるのかなと思って観に行きました。が、率直に言って期待は裏切られました。(どうもこの作品についてはかなり少数派のようです。)
 ポンポさんはプロデューサーにして「MEISTER」の脚本を書いた女性ですが、むしろ主役は監督に起用された青年ジーンなんですね。ジーンは撮り溜めた大量の映像を大幅にカットする等の作業に苦心するのですが、ソモソモ作品のキモはどういうことなのか、どういう基準でカットするのか、つまり作品を通じて何を訴えたいのかといったことが全然わからない。どうも「MEISTER」という作品自体どうもありきたりみたいな感じさえ受ける。(よくわからないけど)。監督、PD等々、それぞれ意欲と情熱を持って取り組んでいれば意見の対立・葛藤もあるのではと思うが、とくにナシ。追加の資金調達も意外なほどすんなり解決。そして大きな疑問は、ポンポさんが鉄則のように宣言した「上映時間は90分」という数字。これは「映画を通して表現したい」というクリエイターの意思とは別のこと(たいていの観客は退屈するだろう等々)を優先するということで、それは私ヌルボが望むこととは違うぞとハッキリ思いました。(もしかして、と確かめてみたら、本作の上映時間はちょうど90分でした。やっぱり、ね。) それでもって映画界の最高峰であるニャカデミー賞を受賞というのは甘いし、それ以前にニャカデミー賞受賞が映画を作る目的でもないでしょうに・・・。

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