ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

最近観た映画の感想と、韓国映画情報など ►ホントに良かった「在りし日の歌」 ►「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」と韓国映画「野球少女」の共通点

2020-06-24 21:49:40 | 最近観た映画の感想と、韓国映画情報など
▸本ブログ内で韓国内の映画の週末興行成績についての最初の記事は2009年の→コチラ。その後現在まで10年以上続けていますが、その間だんだん字数が増えて、今ではデータもさることながら前書き(??)がずいぶん長くなってしまいました。そこで今回からその部分と、後半のデータ部分を分割することにしました。

▸王小帥(ワン・シャオシュアイ)監督の「在りし日の歌」は4月3日公開で、私ヌルボは毎日新聞の同日夕刊の→<シネマの週末>、5日の→<藤原帰一の映画愛>を読み、これは観なければ、と思いました。しかしちょうど新型コロナ禍の真っ只中に入り観ようにも観られず。6月に入ってから油断してる間に気がつけば神奈川で上映館は2館のみ。(大阪・兵庫・愛知等では1館。) あわてて22日(月)109シネマズ川崎に観に行きました。客席数87で観客は9人でしたが、期待以上の、ホントに良い映画でした。今日を入れて今年上半期はあと7日だけですが、もしかしたらその間の外国映画のベストかも。

▸この半世紀。1970年頃から今までの歴史をふり返ってみると、韓国では朴正熙の独裁政権、1980年の光州民主化運動を挟んで全斗煥の独裁政権、そして1986年の6月民主抗争と、それ以降現在に至るまでの政治・社会の大変貌の道をたどってきました。
 中国でも、文化大革命の後、70年末実権を握った鄧小平による改革開放政策、1989年の六四天安門事件以降の江沢民・胡錦涛・習近平の下での経済発展と共産党の統制強化等々、韓国同様(それ以上?)の激動を経て今に至っています。
 その時代を生き抜いてきた多くの庶民の人生もドラマチックなものだったと思います。そんな長いスパンで庶民の人生を描いた作品は、それだけで観客たち個々の記憶や過ぎた昔の労苦を思い起こさせ、感動をよびます。たとえば、韓国映画では「国際市場で会いましょう」。主に進歩系からは<クッポン映画>、国策映画、朴正熙政権への批判的視点がない等の批判があり、それもうなずけますが、韓国で歴代3位の1425万人という観客を集めたのも多くの人々の共感を得たからでしょう。
 近年の中国映画では「芳華-Youth-」や「帰れない二人」も長い時代の流れを背景にしていますが、「在りし日の歌」は80年代から現代までの30年間の、主に同じ国営工場の職場仲間だった2家族がその後たどった道と、両者間の友情の物語です。
 その30年間の物語が時間軸通りに進むのではなく、冒頭は94年ですが、90年代後半から86年に遡ったり、2011年からまた94年に戻ったりしてラストは現代にと、行き来する構成になっている上、場所も一定していないので、途中まではわかりにくいですが、ジグソーハズルが組みあがっていくようにだんだん全体像が見えてきます。
 観終わって痛感したのは、「国際市場で会いましょう」等でも同様ですが、国の政策が庶民の生活をいかに大きな影響を及ぼすかということ。いや、生活への影響どころか、家族や個人の運命、人生を変えてしまうというレベル。中韓のこうした映画を観ると、日本のこの半世紀はもしかしたら世界史の中でも至極平穏無事だったと言えるのでは?と思わざるをえません。この作品に即して具体的に言えば、一人っ子政策。1979年から実施されたこの政策が二人っ子政策に切り替えられたのは2015年とのこと。その間、国の方針の外で「産まれてしまった」子供たちは「黒孩子(ヘイハイツ)」と呼ばれ、国籍を持たないため学校にも通えず医療等の公共サービスも受けられず暮らさざるをえなかったとか。(→コチラの記事参照。) また私ヌルボが以前聞いた話では、東南アジアの観光地でそんな無国籍の中国人を見かけるとか。つまり人身売買の犠牲者ということ・・・。
 なお、この作品は昨年の第69回ベルリン国際映画祭で最優秀男優賞と最優秀女優賞をダブル受賞しました。十分以上にうなずけます。
 また、作中何度も時代が切り替わる時に「螢の光」のメロディが流されます。日本では卒業式の歌というイメージが強いので、私ヌルボも大晦日のTVやパチンコ店の閉店時等で流されると違和感を覚えたりしますが、本来はスコットランド民謡「Auld Lang Syne」で、旧友と再会し、思い出を語り合いつつ酒を酌み交わすという友情を歌ったもので、中国では「友誼地久天長」のタイトルでほぼ同様の歌詞なのだそうです。とくに文革の終息後下放政策で遠い農村に送られていた学生たちが都会に帰る際に別れの歌としてよく歌われたとか、映画の中でも語られています。そしてこの映画の原題も「地久天長」。この長い時代を背景とした友情の物語に見合ったタイトルです。
   
【「在りし日の歌」の中国版ポスターと、「友誼地久天長」の歌詞 】

▸「在りし日の歌」に行数を費やし過ぎたため18日(木)に観た「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」についてほとんど書けなくなってしまいました。が、アカデミー賞作品賞にノミネートされるだけあって、これもオススメの秀作。あの「パラサイト」と比較すると品格が感じられます・・・って「パラサイト」を貶めているわけじゃないですけど、全然(笑)。
 ところで、たまたま韓国で上映が始まった韓国映画「野球少女」について情報を集めていてふと思ったのがこの「ストーリー・オブ・マイライフ」との共通点でした。タイトル通り中学・高校時代<天才野球少女>として注目され、プロ野球選手をめざす少女の物語です。(主演は人気の韓国ドラマ「梨泰院クラス」でマ・ヒョニを演じたイ・ジュヨン。) つまり国や時代が違っても、女性に対する根拠に乏しい通念や偏見と向かい合ってがんばる女性を主人公にしているということで、あの「82年生まれ、キム・ジヨン」(小説&映画)等々とも軌を一にした、女性の人権に対する世界的潮流の中で作られた作品ということです。
 この「野球少女」の主人公チュ・スインには、やはり実在のモデルがいたのですね。1997年に女性として初めて高校野球部に進学し、韓国野球委員会(KBO)主催の公式戦で先発登板をはたしたアン・ヒャンミ選手(1981~)です。初等学校5年の時に野球を始め、高校には教育庁の特別推薦(?)を得て高校に進学し野球部に入学しますが、なにかと疎外されたり、また男子との体力差という壁にぶつかり、高校2年の時1塁手から投手に転向したとか。そして1999年大統領杯全国高校野球大会で準決勝で先発投手に。しかし高校卒業後は所属チームがなく1人で運動していましたが、→コチラの記事(韓国語)で経歴を見ると2002年に日本の女子野球チームのドリーム・ウィングズに入団とありますが、日本でも本格的な女子野球組織が定着する以前の時期だったためか、検索してもよくわかりません。アン・ヒャンミ選手はその後04年に韓国最初の女子野球チーム<ピミルリエ>を創設、07年には第1回全国女子野球大会に<サンサイズ>球団の監督兼選手として出場し、打撃賞・本塁打賞を受賞。10年代に入ってオーストラリアのチームで活躍しているとの情報もありました。
  最近の韓国の女子野球選手としてはキム・ラギョン選手(2000~)が注目されているようです。(→<ナムウィキ>) 女子として初めてリトル野球チームに参加し、2017年高2の時には女子野球の国家代表チームに最年少で抜擢されて話題となったとのことです。
※関連で日本の女子野球の歴史と現状についても少し見てみました。
 1991年に日本野球機構が「不適格選手」の項目から「医学上男子ではないもの」の項目を撤廃し、協約上は女子選手がプロ野球に参加することが可能となった。同年、さっそく2人の女性がオリックス・ブルーウェーブの入団テストを受けるなど、これまで数名がプロ野球チームの入団テストに挑んできたが、現在までのところ合格した女子選手はいない
 また→日本女子プロ野球リーグの公式サイト等を見ると、京都フローラ、愛知ディオーネ、埼玉アストライア、育成チームのレイアの全4チームで構成され、またジャパンカップでは高校・大学やクラブチームも出場してトーナメント戦で優勝を競っています。

▸20日(土)にようやく待望の韓国映画「はちどり」公開。しかし上映館はまだ渋谷のユーロスペースだけで、近所のシネマ・ジャック&ベティでは上映期日は未発表。いつになったら観られるのか・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国内の映画 週末の興行成... | トップ | 韓国内の映画の興行成績 [6月... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

最近観た映画の感想と、韓国映画情報など」カテゴリの最新記事