ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

3冊(+α)チェーンリーディング① 卞宰洙(ピョン・ジェス)「朝鮮半島と日本の詩人たち」

2016-05-15 23:19:53 | 韓国・朝鮮に関係のある本
 チェーンリーディングという言葉がどれくらい一般的かわかりませんが、同じ著者の本を続けて読んだり、あるいは読んでいる本に載っている人物や事柄で興味を持ったことがあればその関連書を次に読み、さらにその次も、とチェーンスモーキングのように続けていくこと。
 考えてみれば私ヌルボ、読書歴を振り返ってみるとそういう傾向が強いなと思います。
 最近もそう。 まず発端は4月27日中野にセウォル号関係のドキュメンタリー映画「ダイビング・ベル」を観に行ったのがそもそもの発端。※この映画については→コチラの記事に説明と監督インタビューあり。
 で、その場で配られたチラシの中に、この新刊書(今年2月刊)の広告があったのです。

 卞宰洙(ピョン・ジェス)「朝鮮半島と日本の詩人たち」(スぺース伽耶)。明治時代~現代の日本の詩人・歌人たち90人の、朝鮮・韓国をテーマとした作品を集めたものです。
 この卞宰洙さんの本は、2006年1月から隔週で<朝鮮新報>で114回にわたって連載されていた〈朝鮮と日本の詩人〉シリーズをもとにまとめられたもので、そのウェブサイトで観ることができるので、私ヌルボもこれまで全部ではないものの、しばしば目を通してきました。(実は今も読めます。記事一覧のベージは→コチラ。要会員登録。)
 ※シリーズは初回のアイサツと1人のダブリを除いて112人分。その中になくて本のみに掲載の詩人も若干いるので、本には載っていない詩人も30人近くいます。

 90人の顔ぶれを見ると、A=石川啄木高村光太郎といったチョー有名な人から、B=名前だけは知ってるレベルの人、そしてC=私ヌルボがぜ~んぜん知らなかった人までいろいろ。で、Cがおよそ4割くらい。うーむ・・・。
 ※「アンタが知らんだけやろ」と言われそうなので、9n-1番目の10人拾ってみました。→鹿地亘・新井徹(内野健児)・沢村光博・吉野弘・栗原貞子・関根弘・柾木恭介・鈴木比佐雄・濱口國雄・結城哀草果
 また、有名人でも抒情詩人もいればプロレタリア詩人もいて実に多様。卞宰洙さんは執筆にあたっていろんな詩集・全集・同人誌等を渉猟したそうで、なるほど、その苦心が推察される内容です。
 全体的な紹介は<朝鮮新報>のサイトにある佐川亜紀さんの記事(→コチラ)と、<レイバーネット>の牧子嘉丸さんの記事(→コチラ)を参照されたし、ということにします。

 で、肝心のこの本なのですが、どうも版在庫切れのようで、アマゾン等でも入荷時期未定が続いています。さいわい図書館にあったのでさっそく借りてきてイッキ読みしました。一言で言って、良い本だと思います。これまでに類書も(たぶん)ないし、たくさんの詩人・歌人のたくさんの作品と出会って新鮮な気持ちを味わえます。

 多様なのは作者の顔ぶれだけではなく、作品も同様。
 あの石川啄木
  地図の上
  朝鮮国にくろぐろと
  墨をぬりつつ秋風を聴く

とか、中野重治「雨の降る品川駅」のようなよく知られた詩は当然収録されていますが、著名な詩人にもこんな詩があったのか、という意外なものも少なからずあります。
 たとえば三好達治「丘上吟」(→コチラ.彼も扶余に行ったことがあるのか)とか、萩原朔太郎が関東大震災の時の体験を基に書いた「近日所感」という三行詩(→コチラ)。
  朝鮮人あまた殺され
  その血百里の間に連なれり
  われ怒りて視る、何の惨虐ぞ


 通読してヌルボが感じたことを略述すると・・・

①日本の統治期や(韓国の)戦後の軍事独裁の時期を批判する内容のものが多い。朝鮮総聯の機関紙<朝鮮新報>としてプロレタリア詩人多く取り上げているのは当然ですが、それ以外の詩人の作品も含めて。以前→コチラの記事で紹介した「朝鮮風土歌集」(1935年刊)の生活感や自然情緒に満ちた短歌の雰囲気とはエライ違いです。(社会意識とかイデオロギーとかのなんと厄介なことか・・・。)
②上記のような「植民地」朝鮮の自然と風土の中で「ふつうの」日本人として育った人が敗戦後日本の統治の実態を知って罪責感を持つようになったのは理解できるような・・・。そうでなくても、1950(~60?)年代までの戦後民主教育を受けた世代も贖罪意識を抱いている人が多いように思われます。
 シリーズ最後の記事(→コチラ)で卞宰洙さん自身が「114編すべての詩に通底しているのは、各詩人によって深浅の差はあるものの、日帝の朝鮮侵略に対する悔恨の情と罪己の念であり、圧政に苦しむ朝鮮民衆への同情と友誼の意志である」と書いていますが、相当程度までは意図的にそういった作品を集め、またある程度までは朝鮮をテーマにした作品を集めるとそうした傾向を帯びたものが多くなるということでしょうか。
 ③より<朝鮮新報>らしい点は「金日成主席賛歌と朝鮮への共感、在日同胞の帰国運動の支持を明示した作品」が12編収められていること。
 たとえば真壁仁「ペクトゥの峰」(→コチラ)は次のような詩句で始まります。
 白頭の峰は雪にかがやき/けだかい白銀の頭を/三千里江山にめぐらしているだろうか/私はその峰があなたの顔に重なって見える/それはどんなに離れていても見える高さだ/あの山ふところが国土をうるおす水のみなもと (以下略)
 これには「金日成首相還暦慶賀詩」という献辞が付されています。
 あるいは、金日成が還暦を迎えた年に15人の短歌を集めて「万壽無彊」という文集が出版されとのことですが、その中の結城哀草果の作品が次の3首を含む9首(→コチラ。)
  世界平和の為六十年前昇りし太陽常若く今朝も輝く金日成首相
  金日成首相の還暦よろこぶ歌合唱が世界の山河大きくゆすぶる
  還暦の首相の額なごましく民族愛に蔭一つなし

 ・・・このような作品が、「皇国日本」の時代の天皇を称揚する詩歌とどう違うのか、私ヌルボにはわかりません。半世紀あるいはそれ以上前、このような作品を発表した人たちは今存命ならどのように振り返っているのでしょうか? あるいは、厳しい言い方ですが卞宰洙さんは(本心では)どのように思っておられるのか? 何の疑問も抱いていないのなら問題だし、本心を偽っているのならそれも問題です。

 上述した以外に、個人的に興味を持った詩人その1は郡山弘史(1902~66)。(→コチラ。)
 横浜生まれで、1924年東北学院専門部英文科を卒業後に朝鮮京城府立第一普通高等学校教師となる(~1928)。その間1926年詩集「歪める月」出版。1930年代にプロレタリア詩人として活躍。・・・ということですが、横浜の図書館にも関係の書籍・資料は未だ見つからず。
 2人目の詩人は中浜哲なのですが、彼については続きで書くことにします。

☆この本の90人の中で、ヌルボが好きな詩の1つが吉野弘「韓国語で」(→コチラ)です。冒頭部分は次の通りです。

  韓国語で
  馬のことをマル(말)という。
  言葉のことをマール(말)という。
  言葉は、駆ける馬だった
  熱い思いを伝えるための-。

  韓国語で
  目のことをヌン(눈)という。
  雪のことをヌーン(눈)という。
  天上の目よ、地上の何を見るために
  まぶしげに降ってくるのか。


 「素直な疑問符 吉野弘詩集」は横浜市立図書館ではティーンズ向けの書架にある本ですが、平易な表現の中に深い思索と豊かな感性が込められた作品集です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国内の映画 NAVER映画とシ... | トップ | 韓国内の映画 NAVER映画とシ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

韓国・朝鮮に関係のある本」カテゴリの最新記事