今年に入って、古書店で「朝鮮文学」(全12号)を入手しました。1970~74年に刊行された、文字通り韓国文学の紹介や韓国語の研究等のさきがけとなった文芸誌です。
ネット古書店では48300円もの値がつけられていいますが、はるかに安く買えた(3分の1くらい)のは幸運だったと思います。
(5月31日の記事で紹介するつもりが、同じ「朝鮮文学」でも、つい北朝鮮の文芸誌の記事になってしまいました。)
この文芸誌についてネットで調べてみると、さすがに川村湊先生、「日本人による朝鮮文学研究(五人十一人)の始まり」と題し、さまざまな説明を付して紹介しています。
その文中にもあるように、「朝鮮文学」は1970年12月、次の5人の同人でスタートしました。
大村益夫・梶井陟・石川節(後に石川節子)・山田明(後に田中明)・長璋吉。
朝鮮文学や朝鮮語に以前から関心を持ってきた人にはおなじみの、<先覚者>ともいうべき顔ぶれです。
当初季刊としてスタートした「朝鮮文学」ですが、その後不定期発行となり、結局1974年8月、12号で終刊となりました。
しかし、4年足らずとはいえ、日本人が朝鮮・韓国文学に対して、戦後初めて(=歴史上初めて)主体的に取り組んだ意義は大きいものがあります。
この「朝鮮文学」の内容は、(詳細は上記の川村先生の紹介にお任せするとして・・・)
①60年代以降を中心とした韓国の中・短編小説の翻訳 ②韓国・朝鮮の文学関係の状況や資料紹介等 ③同人による論文・エッセイ等
に大別されます。
①の中には、たとえば私ヌルボがたまたま原書を読んでいる途中だった金承鈺(キム・スンオク. 김승옥)の「霧津紀行」があり、溺れかけている者が投げられた浮き輪に飛びつくように、さっそくコチラで読了してしまいました。
③の例は、長璋吉の「私の朝鮮語小辞典」が連載されているのですね。いうまでもないですが、河出文庫になっている名著です。
この文芸誌が刊行されてから40年。今、この12冊に目を通すと、この70年代の前半という時代に、この人たちが、朝鮮文学とそれを取り巻く状況についてどう考えていたか、ということ自体が考察の対象となるなー、ということを強く感じます。
その興味深い具体例もあるのですが、それは近々別記事にします。
※山田明改め田中明さんは第5号でとくに理由を告げることなく離れていったそうです。
思想的・政治的傾向を考えると、わかるような気もします。(当たってないかもしれませんが・・・。) 今「韓国の民族意識と伝統」などを読むと、田中明さんは早くから北朝鮮に対して距離を置いた見方をしていましたから・・・。
「韓国の民族意識と伝統」が岩波現代文庫として刊行されているというのも時代の流れを感じさせます。帯には「相互理解のための直言 「反日」に潜む弱さを指摘」とあります。この本で、冒頭に「「いい日本人」に化けたくない」(1982年)という一文が掲げられています。「いわゆる「日帝三六年に対する反省」といった美しい言葉に近づけていこうという気持ちには全くならなかった」というくだりもあります。
他の同人は、彼に比べると多かれ少なかれ「いい日本人」らしかったということだったのでしょうか・・・。
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