ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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北朝鮮の文芸誌・月刊「朝鮮文学」に抱いたささやかな疑念・・・

2010-05-31 22:34:23 | 北朝鮮のもろもろ
    

 韓国語の研究や韓国文学の紹介等のさきがけとなった「朝鮮文学」全12冊(1970~74年)について書こうと思いつつ、その前に横浜市立図書館で関係資料はないか見てみたら、検索機にヒットしたのが北朝鮮の文芸雑誌「조선문학(朝鮮文学)」。北朝鮮の文学芸術出版社発行(←北朝鮮では<발행(発行)>ではなく<낸 곳(出した所)>なんですね)、印刷は平壌綜合印刷工場。
 月刊で、주체(主体)99(2010)年の4月号で累計750号(!)になります。
あ、<주체.チュチェ>というのは金日成生誕の1912年を元年とした年号です。

 で、今年の1~3月号をパラパラと2割程度読んでみました。
 全体的にみて、やっぱり「かなしい本」でした。
 紙が白くないのも「かなしい」ですが(すべすべしている点は、外国向け高級紙ということかも・・・)、何よりも「かなしい」のは権力への迎合のオン・パレードという点。

 「何をいまさら」と思われるでしょうが、一応具体例をあげてみますね。
 各号の表紙をめくると現れるのが下のページ。
 上の字は「偉大なる首領金日成同志の革命思想で徹底して武装しよう!」
花束に掛かっているリボンの字、右は「偉大なる首領金日成同志は」左は「永遠にわれわれとともにいらっしゃいます」

    


 「労働新聞」等々すべてそうですが、金日成父子の名前と、その<お言葉>は太字になっています。(下参照)

    

 下は2月号の表紙裏の詩。題は「白い雪におおわれた故郷の家」。
 いなかの雪景色を描いた詩かなとチラと思いましたが、やっぱり・・・です。

    

(訳)
はるかなる密林は 雪におおわれ
空と土 その果てまで まばゆい荒野
ああ 白い雪の中に
春の光を抱いた 故郷の家よ

花々は咲いて 雪の中にほほえみ
星々も下りきて 夢を守った家
ああ 朝鮮の春を
あたたかく育てた 故郷の家よ

崇厳な正日峰の 気を抱いて
吹き荒れる吹雪を鎮める家
ああ 千古の密林に
白頭が建てた 太陽の家よ

ああ 金正日同志
世紀を照らした 故郷の家よ


 「なさけないなー」と思いつつ読み進んで、「アレ?」とちょっと引っかかったのが各号の最後の方に収められている<資料>のページ。

 たとえば1月号にはハン・チョロク(한철옥)という人が「解放前進歩的童話文学での特性」という一文を寄せています。
 彼は1920~30年代のクォン・ハン(권한)、リ・ビョンホ(리병호)、ハン・チュン(한충)、パン・ジョンファン(방정환.方定煥)等の童話作家の作品を紹介しています。(方定煥は有名ですが、ほかの作家はちょっと調べてもわかりませんでした。)
 たとえば、ヨム・ボギン(염복인)の「トラ峠(호랑이 고개)」という童話は、次々とトラに呑みこまれた3人の友だち同士がトラの腹の中でマッチで火を点けてトラの肉を食ったり、力を合わせて中からトラの肉を割いて出たという話です。
 これらの童話は擬人化や誇張の手法によって、たとえば「搾取者たちを懲らし人民の念願を反映する幻想世界を創造した」というわけです。

 さらに2月号の資料ページにはキム・ミョンチョルという人が「高麗時代の農民生活を反映した新文学の思想情緒的特性」と題して高麗時代の詩人の作品を紹介しています。

 字数の関係で、ユン・ヨヒョン(尹汝衡.윤여형)の「ドングリの歌(도톨밤 노래.橡實歌.상률가)だけ見てみましょう。
※出典は、1478年成宗の命で徐居正(서거정)等を中心として編纂された朝鮮歴代の詩文選集「東文選」
※全文が、→<古典を網羅したすごい韓国のブログ>に載っていました。
 この36行中最後の6行がキム・ミョンチョル氏の文に引用されていました。

(訳)
あなたは見なかったか? 高官の家で一日食べるものが一万銭分
美味しいご馳走が星のように食膳に並び 五つの釜に溢れんばかりに盛られ
馬を使う下人まで酒に酔って 錦の敷物の上に吐き
肥えた馬は穀物を嫌って金の檻でいななき
彼ら誰が知ろうか 並べられたそのご馳走が
すべてみな村の年寄りの 眼の底の血だということを


 ・・・・うーん、いかがなものでしょうか?
 何のことかというと、この詩句はそのまま今の北朝鮮の支配者層への批判になってはいないか、ということなんですが・・・。それから、もしかしたら先の文も童話を語りながら、何か今の体制に対する見方がこめられているようでもあり・・・。

 まともな目を持っていたら、封建時代の支配者たちと今の彼らと変わらないじゃないか、と思わないですかねー・・・。
 とするともしかして、①ひそかにそんな本心を高麗時代の詩に仮託して表わした、か、②体制が変わった時に備えてアリバイ的にそうとも読める文にした、か・・・
 それとも③そんな反体制的なことは何も考えず、ただ現在の体制のタテマエをそのまま信じて書いた、か・・・。

 1938年、石川淳の「マルスの歌」が発禁処分をくらったように、ある程度わかりやすいフィクションで批判しようとすると、権力は即座に見抜いちゃうからねー。(誰にもわからないと意味ないし・・・、圧政下でマトモな精神を持っている作家は大変です。(あー、もろ他人事になってますねー・・・。)

 ・・・ちょっと深読みしすぎ、考えすぎ、ですかねー・・・。


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