前回の記事「38度線と軍事境界線について(3)誰が祖国を分けてしまったの?(続)」で、「38度線による分断は日本の責任」という考え方に対して疑問を呈しました。
しかし、そんな罪責感を抱いている人も、たとえばブログに「日本が分断されなかったのは終戦の決断時点と米ソの戦局の展開の差による偶然であって、日本の身代わりに朝鮮が犠牲になったといえるのである」と記しているように、「終戦の決断時点と米ソの戦局の展開の差による偶然」によって日本は分断されず、朝鮮が分断された、と捉えています。
日本がもっと早く、ソ連の参戦以前に降伏していれば朝鮮は分断されず、あるいはもっと遅く、本土決戦まで粘っていればソ連が朝鮮全土を占領したのでは、ということです。
つまり、朝鮮にとってみれば最悪のタイミングで日本が降伏したために、分断されてしまったということ。
このような見方は広く受け入れられているのではないでしょうか? 私ヌルボもそう思っていました。
ところが、最近まさにオドロキの歴史解釈があることを知りました。
それは「日本は、朝鮮が分断されるようにタイミングを見計らって降伏した」というものです。
最初にこのような諸説があることを知ったのは2005年4月の韓国<時事ジャーナル>のサイト内の「38선은 일본이 그었다(38線は日本が引いた)」という記事。
(→日本語訳)
記事の要点は次の通りです。
従来はアメリカのラスク等が38度線を引いたとされていて、何の力も使うことがなかったようにみえた敗戦国日本は、当然分断の責任から免除されてきた。
しかし、日本の軍国主義勢力が太平洋戦争で敗北し、朝鮮半島から退くまさにその瞬間まで、<大東亜共栄>の後日を期して、朝鮮半島の分割を想定し、そのために機敏に動いたという事実を立証した歴史学の論文一方を見つけた。
つまり「朝鮮半島の分断が日本の緻密な降伏の作戦の産物だった」というわけです。その論文の筆者は小代有希子日大教授。<ユーラシアの衰退:日本の第二次世界大戦の終戦戦略(Eurasian Eclipse:Japan 's End Game in World WarⅡ)>と題したその論文は2009年4月<米国の歴史学報>に発表されたそうです。
・・・この記事では、さらにその論文の内容をかなりくわしく紹介しています。それによると、日本の軍国主義者たちの内部で38線分割案を具体的な検討対象に検討し始めたのは1945年の初めで、またこのような流れに決定的な指針を提供していたキーパーソンが終戦当時、海軍省教育局長だった海軍少将高木惣吉だとしています。
また関東軍約100万は、すでに1944年8月にソ連軍が満州を侵攻すると予想される進撃ルートを把握し、6つの防御のシナリオを用意していたにもかかわらず、自国の民間人150万人も疎開させず、この兵力をソ連の侵攻ルートに移動させなかったのは「ソ連から不審を買うことを憂慮したため」とのことです。(この辺もオドロキの歴史解釈です。)
この面妖な(?)、驚くべき言説は、何か裏付けになるような確固たる資料があるのかと思ったら、次のような記述もあります。
小代の論文には、日本が直接38度線を引いたという具体的な物証が提示されていない。その理由は、日本が原爆投下で降伏が秒読みに押し寄せたため、将来、米軍政治下に入る時に備えて機密文書を急いで廃棄することにより、この時期の日本側の戦略的な判断と、それに伴う具体的な行動が現われないようにしたからだ。小代の説明によると、機密文書の廃棄作業は、原爆が落とされたまさにその日に決定され、主に外務省と大本営で迅速かつ広範に行われた。特に焼却は、中国(満州国を含む)関連の外交文書、ソ連関係文書、枢軸国関係の文書の順に行われた。
えっ、つまり証拠書類は廃棄・焼却したからない、っていうの!? うーむ・・・。
いろいろと疑問点は多いと思うのですが、この韓国サイトは小代先生の所論をそのまま受け容れた上で、次のように記事を締めくくっています。
国を代表する首相が周辺国の反対を押し切って靖国神社参拝を強行したり、戦争犯罪を勝手に美化し、独島領有権について、ますますへらず口の主張を高めるのは、降伏宣言の最後の瞬間まで、米国とソ連を相手に二重プレーを繰り広げ、韓半島を活用した<귀신 같은 솜씨(鬼のような手際)>との考え方の面で同じ脈絡である。
上記の記事の元となっている小代先生の論文を探したら、ご自身のサイトがみつかりました。そして当の論文もありました。
あいにく私ヌルボは英語を読もうとすると頭が痛くなる体質なのでこの論文は読んでいません。ただ、一昨年2月の「日本大学広報 特別版」にその概要が掲載されていました。
私ヌルボの偽らざる感想は、「ウッソー!」という感じですねー。
これって、答を見てからそれに合わせて式を書いたんじゃないの? ・・・と思わざるをえないのですが・・・。
まあ、ヌルボの終戦前後の知識はたかだか映画「日本のいちばん長い日」で仕入れた程度のものですが。
それでも、当時の日本の指導層部内でも降伏反対派もいるし、ソ連軍の動向をどこまで詳しく知りえたかということもあるし、米ソがどんな方針を打ち出してくるかも必ずしも正確には予測できないだろうし、あまりにも不確定要素が多い中で、ちょうど朝鮮が分断されるようにタイミングを見計らって降伏したというのは、ちょっと考えられないですねー。
専門の大学の先生の所説に対して門外漢が印象だけで否定するのはよくないので、いずれ小代先生の本が日本語で出た時にあらためて考えてみることにしますが、それにしてもオドロキモモノキの学説ですねー。他の先生方の反応はどうなんでしょうね?
しかし、そんな罪責感を抱いている人も、たとえばブログに「日本が分断されなかったのは終戦の決断時点と米ソの戦局の展開の差による偶然であって、日本の身代わりに朝鮮が犠牲になったといえるのである」と記しているように、「終戦の決断時点と米ソの戦局の展開の差による偶然」によって日本は分断されず、朝鮮が分断された、と捉えています。
日本がもっと早く、ソ連の参戦以前に降伏していれば朝鮮は分断されず、あるいはもっと遅く、本土決戦まで粘っていればソ連が朝鮮全土を占領したのでは、ということです。
つまり、朝鮮にとってみれば最悪のタイミングで日本が降伏したために、分断されてしまったということ。
このような見方は広く受け入れられているのではないでしょうか? 私ヌルボもそう思っていました。
ところが、最近まさにオドロキの歴史解釈があることを知りました。
それは「日本は、朝鮮が分断されるようにタイミングを見計らって降伏した」というものです。
最初にこのような諸説があることを知ったのは2005年4月の韓国<時事ジャーナル>のサイト内の「38선은 일본이 그었다(38線は日本が引いた)」という記事。
(→日本語訳)
記事の要点は次の通りです。
従来はアメリカのラスク等が38度線を引いたとされていて、何の力も使うことがなかったようにみえた敗戦国日本は、当然分断の責任から免除されてきた。
しかし、日本の軍国主義勢力が太平洋戦争で敗北し、朝鮮半島から退くまさにその瞬間まで、<大東亜共栄>の後日を期して、朝鮮半島の分割を想定し、そのために機敏に動いたという事実を立証した歴史学の論文一方を見つけた。
つまり「朝鮮半島の分断が日本の緻密な降伏の作戦の産物だった」というわけです。その論文の筆者は小代有希子日大教授。<ユーラシアの衰退:日本の第二次世界大戦の終戦戦略(Eurasian Eclipse:Japan 's End Game in World WarⅡ)>と題したその論文は2009年4月<米国の歴史学報>に発表されたそうです。
・・・この記事では、さらにその論文の内容をかなりくわしく紹介しています。それによると、日本の軍国主義者たちの内部で38線分割案を具体的な検討対象に検討し始めたのは1945年の初めで、またこのような流れに決定的な指針を提供していたキーパーソンが終戦当時、海軍省教育局長だった海軍少将高木惣吉だとしています。
また関東軍約100万は、すでに1944年8月にソ連軍が満州を侵攻すると予想される進撃ルートを把握し、6つの防御のシナリオを用意していたにもかかわらず、自国の民間人150万人も疎開させず、この兵力をソ連の侵攻ルートに移動させなかったのは「ソ連から不審を買うことを憂慮したため」とのことです。(この辺もオドロキの歴史解釈です。)
この面妖な(?)、驚くべき言説は、何か裏付けになるような確固たる資料があるのかと思ったら、次のような記述もあります。
小代の論文には、日本が直接38度線を引いたという具体的な物証が提示されていない。その理由は、日本が原爆投下で降伏が秒読みに押し寄せたため、将来、米軍政治下に入る時に備えて機密文書を急いで廃棄することにより、この時期の日本側の戦略的な判断と、それに伴う具体的な行動が現われないようにしたからだ。小代の説明によると、機密文書の廃棄作業は、原爆が落とされたまさにその日に決定され、主に外務省と大本営で迅速かつ広範に行われた。特に焼却は、中国(満州国を含む)関連の外交文書、ソ連関係文書、枢軸国関係の文書の順に行われた。
えっ、つまり証拠書類は廃棄・焼却したからない、っていうの!? うーむ・・・。
いろいろと疑問点は多いと思うのですが、この韓国サイトは小代先生の所論をそのまま受け容れた上で、次のように記事を締めくくっています。
国を代表する首相が周辺国の反対を押し切って靖国神社参拝を強行したり、戦争犯罪を勝手に美化し、独島領有権について、ますますへらず口の主張を高めるのは、降伏宣言の最後の瞬間まで、米国とソ連を相手に二重プレーを繰り広げ、韓半島を活用した<귀신 같은 솜씨(鬼のような手際)>との考え方の面で同じ脈絡である。
上記の記事の元となっている小代先生の論文を探したら、ご自身のサイトがみつかりました。そして当の論文もありました。
あいにく私ヌルボは英語を読もうとすると頭が痛くなる体質なのでこの論文は読んでいません。ただ、一昨年2月の「日本大学広報 特別版」にその概要が掲載されていました。
私ヌルボの偽らざる感想は、「ウッソー!」という感じですねー。
これって、答を見てからそれに合わせて式を書いたんじゃないの? ・・・と思わざるをえないのですが・・・。
まあ、ヌルボの終戦前後の知識はたかだか映画「日本のいちばん長い日」で仕入れた程度のものですが。
それでも、当時の日本の指導層部内でも降伏反対派もいるし、ソ連軍の動向をどこまで詳しく知りえたかということもあるし、米ソがどんな方針を打ち出してくるかも必ずしも正確には予測できないだろうし、あまりにも不確定要素が多い中で、ちょうど朝鮮が分断されるようにタイミングを見計らって降伏したというのは、ちょっと考えられないですねー。
専門の大学の先生の所説に対して門外漢が印象だけで否定するのはよくないので、いずれ小代先生の本が日本語で出た時にあらためて考えてみることにしますが、それにしてもオドロキモモノキの学説ですねー。他の先生方の反応はどうなんでしょうね?
38度線を指定できるくらいなら、ソ連を寝返らせる事も出来たでしょうね。
あほらし
韓国併合にしても、明治初期から着々と進められてきた陰謀だったとか・・・。
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなあなたのせいなのよ」という心理が働いているのでしょうか?