南北首脳会談・米朝首脳会談に対する韓国の大方の人たちの好意的な受け止め方は、日本あるいはアメリカ等とずいぶん隔たりがあるようです。とくに南北統一に対する大きな期待感については「そんなに先走っちゃっていいの?」と思わざるをません。
4月27日の南北首脳会談の前の4月1日、韓国メディア<ニューデイリー>の「“北朝鮮に生徒たちを修学旅行で送ろう”という全教組、生徒の安全は心配しないのか」という記事を読みました。(→コチラ.韓国語)
※<ニューデイリー>は、朝鮮日報・中央日報・東亜日報以上に保守的なニューライト紙と見られているようです。
記事の要点は以下の通りです。
①光州広域市教育庁が「北朝鮮への修学旅行を許可」を首脳会談の議題にしてほしいという提案をした。
②3月28日、(進歩系教組の)全教組光州支部がこれを積極的歓迎する声明を発表した。声明には統一教材の開発、6.15公開授業の推進などの計画も含まれている。なお全教組関係者は北朝鮮修学旅行のための青瓦台(大統領府)の国民請願運動も展開していく予定と付け加えた。
③このような光州教育庁の提案と全教組の歓迎声明に対して、脱北者の証言等を通じて伝えられる北朝鮮の現状を考えると安全面に不安があり、また修学旅行が北朝鮮政権の広報手段に変質されることがあるという批判もある。(保守系教組の)韓国教総は、生徒の北朝鮮修学旅行に対して「慎重なアプローチ」を求めている。
この青瓦台への国民請願については後述するとして、もう1つ北朝鮮修学旅行に対する批判記事を紹介します。「北朝鮮修学旅行に行くのなら遺言状を書いていけ」という強い見出しの<ペン・アンド・マイク>(←これも保守系メディア)の記事です。(→コチラ.韓国語)
この記事も、北朝鮮で拘束され、2017年6月に昏睡状態で帰国した後死亡したオットー・ワームビアさんを例にしつつ安全性に疑問を投げかけ、北朝鮮修学旅行を提案しているチャン・フィグク光州市教育監やチョ・ヒヨンソウル市教育監を批判しています。
が、私ヌルボがとくに注目したのは、この記事の冒頭でイ・スルギ記者が高校生の時に北朝鮮修学旅行に行ったという経験を書いているからです。以下、その部分を訳出してみました。
ふり返ってみると、ぞっとする。高校生だった2006年、何も知らずに全校生徒が一緒に出かけた北朝鮮修学旅行の話だ。分断の休戦ラインを越えると、空気までもガラッと変わった当時の記憶は鮮明である。金剛山の切り立った断崖の上に真っ赤な文字で刻まれた金正日称賛フレーズを見て愕然とし、金正日記念碑に足が触れたら怒鳴りつけた北朝鮮案内員の目を見て恐怖を感じた。まるで動物のように「調練」されたような感じがした北朝鮮曲芸団の公演を見るとなぜか悲しかった。
金正日‧金日成の名前を絶対口にしないこと。許可されていない場所では絶対写真を撮らないこと。恐ろしい表情の北朝鮮案内員は私たちに警告した。修学旅行という事実に浮かれて分別を失っていた私と友人たちは、最善を尽くして案内員の言葉に従った。警告に反した場合、何が起こるかわからないが、彼らの脅しが尋常ではなかったからである。そして彼らの言葉が本気だったことを、昨年死亡したアメリカ人の学生オットー・ワームビアを見て遅まきながら確認した。
※金剛山の崖に刻まれた金日成等を称揚する字句については、以前→<アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ②北朝鮮の景勝地に刻まれた数万(?)の悲しい文字>という記事で書きました。
また、右画像は韓国サイトから拾ったものです。崖に刻まれている赤い字は、金日成の父・金亨稷(キム・ヒョンジク)を称える詩句です。
1998年に始まった金剛山観光は韓国人観光客の1人が北朝鮮兵に射殺された2008年まで続き、多くの韓国人観光客が北朝鮮を訪れました。(05年に100万人を超える。) しかし、そこに中学・高校の修学旅行も含まれていたことは、上記の記事を読むまで知りませんでした。
そこで、この記事以外の金剛山修学旅行体験者の記事をいくつか拾ってみました。
①→コチラのツイートから。
高校時代、修学旅行で金剛山に行ったが、その時見た北朝鮮がすごく衝撃的で忘れられない。ガリガリにやせてあばら骨がすっかり見える牛がなんとか足を踏み出していたり、またトラクターの後ろで燃料を入れながら真っ黒な煙を吸い込んでいる人や100mくらいかの間隔で立っている銃を持った軍人たちの疲れた顔もみんな憶えている。
②ヤン・ホジョン(양호정)という新鋭画家の紹介ページ。(→コチラ。) 以下はその一部分です。
Q.<the north>シリーズは北朝鮮を主題にしていますが、理由や契機はあるのですか?
A.私が高校生の時、修学旅行で北朝鮮に行って来たのですが、私たちとは完全に違った世界だということを経験しました。大変な苦労して生活している北朝鮮の住民たちの姿を目撃して、ニュースでは政治的な話題たけ取りあげて偏見を持たせるのが嫌でした。それで北朝鮮の実像と日常を知らせようと制作したシリーズです。
③2008年高校の修学旅行で金剛山に行った時の写真を主としたブログ記事。→コチラ6月4日金剛山の九龍瀑布等と、曲芸団公演。→コチラは、翌5日海金剛と、簡易宿泊所の写真を載せています。北朝鮮の感想や考えたことがほとんど書かれていないのが残念。
私ヌルボが常々疑問に思っているのは、韓国の進歩系の人たちが思い描いている北朝鮮のイメージがどんなものか?ということ。
もしかして、「同じ民族同士」の感動的な交歓を期待しているのでしょうか?
しかし、上記の感想を読むと感動というよりも衝撃を受けたとのこと。ずいぶん前のことですが、1991年訪朝した私ヌルボも同様でした。農村地帯の夕暮れ、やせた牛を牽いて歩く粗末な服を着た少年の姿が思い出されます。(1世紀も前の光景のようでした。) ただ、同じ旅行団で行った青年は北朝鮮から出国した後「別に変じゃない、ふつうの国だったでしょ?」と訊いてきましたが。(ヌルボともう1人は無言・・・。)
さて、この北朝鮮修学旅行に対する私ヌルボの意見は・・・、(って完全に部外者ですが)ワームビアさんのように拘束されたり、2006年のようにいきなり射殺されたりされないという安全保証があれば金剛山に限らず北朝鮮のどこであろうと直接行って見てみることは非常に有意義だと思います。「衝撃」とともに新しい認識を得て、いろいろ考える契機になるはずです。ヘタしたら偏見につながるおそれもあるかもしれませんが。
しかし、多くの北朝鮮ウォッチャーが指摘するように、北の政権にとって、韓国との交流が深まって外部の情報が大量に入って来ることは体制の崩壊を招く危険性があります。韓国の(とくに進歩系の)人たちはそこらへんのことがわかっているのでしょうか?
したがって、開放を向かって進むような修学旅行を北朝鮮側が喜んで受け入れるとは思えませんけど。一部の人たちは北朝鮮の生徒たちも韓国に呼んで各地を案内して等々と考えているみたいですが、どこまで現実性を考慮しているのか疑問を抱かざるをえません。まあ、近年は北朝鮮でも多くの人たちがDVDで韓国ドラマを観たりして、韓国が自国よりはるかに進んでいることは周知のこととなっているようなので、開放政策に転換しても「我々はだまされていた!」という衝撃は少ないかもしれませんが・・・。
そんなわけで、北の政権にしてみれば、韓国の進歩系の<南北交流>を求める熱いキモチは「ありがた迷惑」で「うざったい」のではないでしょうか? で、結局は(今年に入ってからのモロモロのように)そんなキモチを利用できる時は利用するといったところですかねー。
最後に、上述の青瓦台への国民請願運動のその後について。
<南北青少年 統一列車に乗って修学旅行に行こう!>という請願(→コチラ.韓国語)は、4月10日スタートして1ヵ月間の賛同者は981人でした。数多くの「泡沫」請願のことを考えればかなり多い数字ですが、何らかの回答が得られる基準ラインの20万人には遠く及びませんでした。
逆に、5月30日スタートで現在進行中の<ソウル教育監候補チョ・ヒヨンの"北朝鮮修学旅行"の公約を撤回させてください。>という請願(→コチラ)は現在の賛同者が1,469人と、修学旅行推進派を上回っています。進歩性向の人でも実際に中高生の親となると二の足を踏む人がおそらくふつうなんでしょうね。
4月27日の南北首脳会談の前の4月1日、韓国メディア<ニューデイリー>の「“北朝鮮に生徒たちを修学旅行で送ろう”という全教組、生徒の安全は心配しないのか」という記事を読みました。(→コチラ.韓国語)
※<ニューデイリー>は、朝鮮日報・中央日報・東亜日報以上に保守的なニューライト紙と見られているようです。
記事の要点は以下の通りです。
①光州広域市教育庁が「北朝鮮への修学旅行を許可」を首脳会談の議題にしてほしいという提案をした。
②3月28日、(進歩系教組の)全教組光州支部がこれを積極的歓迎する声明を発表した。声明には統一教材の開発、6.15公開授業の推進などの計画も含まれている。なお全教組関係者は北朝鮮修学旅行のための青瓦台(大統領府)の国民請願運動も展開していく予定と付け加えた。
③このような光州教育庁の提案と全教組の歓迎声明に対して、脱北者の証言等を通じて伝えられる北朝鮮の現状を考えると安全面に不安があり、また修学旅行が北朝鮮政権の広報手段に変質されることがあるという批判もある。(保守系教組の)韓国教総は、生徒の北朝鮮修学旅行に対して「慎重なアプローチ」を求めている。
この青瓦台への国民請願については後述するとして、もう1つ北朝鮮修学旅行に対する批判記事を紹介します。「北朝鮮修学旅行に行くのなら遺言状を書いていけ」という強い見出しの<ペン・アンド・マイク>(←これも保守系メディア)の記事です。(→コチラ.韓国語)
この記事も、北朝鮮で拘束され、2017年6月に昏睡状態で帰国した後死亡したオットー・ワームビアさんを例にしつつ安全性に疑問を投げかけ、北朝鮮修学旅行を提案しているチャン・フィグク光州市教育監やチョ・ヒヨンソウル市教育監を批判しています。
が、私ヌルボがとくに注目したのは、この記事の冒頭でイ・スルギ記者が高校生の時に北朝鮮修学旅行に行ったという経験を書いているからです。以下、その部分を訳出してみました。
ふり返ってみると、ぞっとする。高校生だった2006年、何も知らずに全校生徒が一緒に出かけた北朝鮮修学旅行の話だ。分断の休戦ラインを越えると、空気までもガラッと変わった当時の記憶は鮮明である。金剛山の切り立った断崖の上に真っ赤な文字で刻まれた金正日称賛フレーズを見て愕然とし、金正日記念碑に足が触れたら怒鳴りつけた北朝鮮案内員の目を見て恐怖を感じた。まるで動物のように「調練」されたような感じがした北朝鮮曲芸団の公演を見るとなぜか悲しかった。
金正日‧金日成の名前を絶対口にしないこと。許可されていない場所では絶対写真を撮らないこと。恐ろしい表情の北朝鮮案内員は私たちに警告した。修学旅行という事実に浮かれて分別を失っていた私と友人たちは、最善を尽くして案内員の言葉に従った。警告に反した場合、何が起こるかわからないが、彼らの脅しが尋常ではなかったからである。そして彼らの言葉が本気だったことを、昨年死亡したアメリカ人の学生オットー・ワームビアを見て遅まきながら確認した。
また、右画像は韓国サイトから拾ったものです。崖に刻まれている赤い字は、金日成の父・金亨稷(キム・ヒョンジク)を称える詩句です。
1998年に始まった金剛山観光は韓国人観光客の1人が北朝鮮兵に射殺された2008年まで続き、多くの韓国人観光客が北朝鮮を訪れました。(05年に100万人を超える。) しかし、そこに中学・高校の修学旅行も含まれていたことは、上記の記事を読むまで知りませんでした。
そこで、この記事以外の金剛山修学旅行体験者の記事をいくつか拾ってみました。
①→コチラのツイートから。
高校時代、修学旅行で金剛山に行ったが、その時見た北朝鮮がすごく衝撃的で忘れられない。ガリガリにやせてあばら骨がすっかり見える牛がなんとか足を踏み出していたり、またトラクターの後ろで燃料を入れながら真っ黒な煙を吸い込んでいる人や100mくらいかの間隔で立っている銃を持った軍人たちの疲れた顔もみんな憶えている。
②ヤン・ホジョン(양호정)という新鋭画家の紹介ページ。(→コチラ。) 以下はその一部分です。
Q.<the north>シリーズは北朝鮮を主題にしていますが、理由や契機はあるのですか?
A.私が高校生の時、修学旅行で北朝鮮に行って来たのですが、私たちとは完全に違った世界だということを経験しました。大変な苦労して生活している北朝鮮の住民たちの姿を目撃して、ニュースでは政治的な話題たけ取りあげて偏見を持たせるのが嫌でした。それで北朝鮮の実像と日常を知らせようと制作したシリーズです。
③2008年高校の修学旅行で金剛山に行った時の写真を主としたブログ記事。→コチラ6月4日金剛山の九龍瀑布等と、曲芸団公演。→コチラは、翌5日海金剛と、簡易宿泊所の写真を載せています。北朝鮮の感想や考えたことがほとんど書かれていないのが残念。
私ヌルボが常々疑問に思っているのは、韓国の進歩系の人たちが思い描いている北朝鮮のイメージがどんなものか?ということ。
もしかして、「同じ民族同士」の感動的な交歓を期待しているのでしょうか?
しかし、上記の感想を読むと感動というよりも衝撃を受けたとのこと。ずいぶん前のことですが、1991年訪朝した私ヌルボも同様でした。農村地帯の夕暮れ、やせた牛を牽いて歩く粗末な服を着た少年の姿が思い出されます。(1世紀も前の光景のようでした。) ただ、同じ旅行団で行った青年は北朝鮮から出国した後「別に変じゃない、ふつうの国だったでしょ?」と訊いてきましたが。(ヌルボともう1人は無言・・・。)
さて、この北朝鮮修学旅行に対する私ヌルボの意見は・・・、(って完全に部外者ですが)ワームビアさんのように拘束されたり、2006年のようにいきなり射殺されたりされないという安全保証があれば金剛山に限らず北朝鮮のどこであろうと直接行って見てみることは非常に有意義だと思います。「衝撃」とともに新しい認識を得て、いろいろ考える契機になるはずです。ヘタしたら偏見につながるおそれもあるかもしれませんが。
しかし、多くの北朝鮮ウォッチャーが指摘するように、北の政権にとって、韓国との交流が深まって外部の情報が大量に入って来ることは体制の崩壊を招く危険性があります。韓国の(とくに進歩系の)人たちはそこらへんのことがわかっているのでしょうか?
したがって、開放を向かって進むような修学旅行を北朝鮮側が喜んで受け入れるとは思えませんけど。一部の人たちは北朝鮮の生徒たちも韓国に呼んで各地を案内して等々と考えているみたいですが、どこまで現実性を考慮しているのか疑問を抱かざるをえません。まあ、近年は北朝鮮でも多くの人たちがDVDで韓国ドラマを観たりして、韓国が自国よりはるかに進んでいることは周知のこととなっているようなので、開放政策に転換しても「我々はだまされていた!」という衝撃は少ないかもしれませんが・・・。
そんなわけで、北の政権にしてみれば、韓国の進歩系の<南北交流>を求める熱いキモチは「ありがた迷惑」で「うざったい」のではないでしょうか? で、結局は(今年に入ってからのモロモロのように)そんなキモチを利用できる時は利用するといったところですかねー。
最後に、上述の青瓦台への国民請願運動のその後について。
<南北青少年 統一列車に乗って修学旅行に行こう!>という請願(→コチラ.韓国語)は、4月10日スタートして1ヵ月間の賛同者は981人でした。数多くの「泡沫」請願のことを考えればかなり多い数字ですが、何らかの回答が得られる基準ラインの20万人には遠く及びませんでした。
逆に、5月30日スタートで現在進行中の<ソウル教育監候補チョ・ヒヨンの"北朝鮮修学旅行"の公約を撤回させてください。>という請願(→コチラ)は現在の賛同者が1,469人と、修学旅行推進派を上回っています。進歩性向の人でも実際に中高生の親となると二の足を踏む人がおそらくふつうなんでしょうね。
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