ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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朝鮮日報・鮮于鉦(ソヌ・ジョン)記者がこれまで書いた注目記事4本

2014-07-03 23:55:10 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 最近(今春?)国際部長となった朝鮮日報・鮮于鉦(ソヌ・ジョン)記者の名前が私ヌルボの印象に強く残ったのは、彼が東京特派員生活(2005~10年)を終えるに先立って書いた「日本列島10万キロ」(2010年8月17日)という記事でした。(※彼の名は鮮・于鉦ではなく、鮮于・鉦。つまり漢字2字の姓です。)
 今、その記事(日本語)は→コチラのブログ記事で全文読むことができます。

 見出しの「10万キロ」とは、彼が2006年以降車で日本の全都道府県を踏破したその走行キロ数です。
 彼が全国旅行を決心した契機は2006年2月「竹島(独島)の日」1周年の取材で島根県を訪れたことでした。松江市で彼が習慣としている早朝ジョギング中に迷い込んだ住宅街で彼が見て考えたことが次のように綴られています。(太字はヌルボ。)

 歩道ブロックがずれていたり、でこぼこしたりしている個所は一つもなかった。ごみ一つ落ちていなかった。粗末な木造住宅は今にも倒れそうだったが、きれいに整えられていた。80歳を超えているであろうおばあさんが花壇に水をやり、おじいさんが路地の掃除をしていた。
 日本の田舎の住宅街はこぎれいだった。町内をぐるぐる回った。日本で何を見て、韓国に何を伝えるべきか、と考えていると、『竹島の日』を記念する少数よりも、心底まで誠実な多数の人々が目に迫った。しかし、そんな姿を伝えることはできなかった。整頓された路地、勤勉な高齢者など、「竹島」に興奮した韓国には何の意味があろうか。日本は不届きな存在でしかなかった。
 島根県の路地で、「日本を知らなかった」という思いがした。そして、旅行を始めた。どこに行っても「素晴らしい日本」と「悪い日本」が交錯した。京都市東山区の壮麗な文化遺産の裏には韓国人の「耳塚」があり、長崎の巨大な産業遺産の裏には韓国人徴用者の遺骨が埋もれていた。日本が誇る有田焼で有名な佐賀県の寺は、連れてこられた韓国人の陶工の無念を慰めていた。日本は国全体が、感動と怒りの入り交じる島根と同様だった。
 しかし、常に「日本は大国だ」とも感じていた。他国に頼らなくても生きていける国だった。地域間対立もなかった。国民は誠実だった。明治維新のように国家システムを変えさえすれば、いつでも大国になり得る体力を備えている。そんな日本をどうしたら克服できるか。100年前に傷つけられた国の魂をどうしたら回復できるか。
 日本列島をめぐりながら、過去ではなく未来を見詰め、短所より長所を取り入れることが、韓国にとってよいのではないかと感じた。過去に対する怒りの矛を収めれば、数多くの長所がある国が日本だ。日本の長所を学べば学ぶだけ、われわれ韓国が強くなれば、それでいいのだ。島国日本はゆがんだ歴史観を持っていても成り立つが、文明と勢力が交錯する半島韓国は、過去に執着し、隣国と反目するほど、国家の基盤が崩れてしまう。100年前もそうだったし、100年後もそうであるはずだ。


 記者として大切なことは、
 ①思い込みを排して目の前の事実を細部まできちんと見ること。
 ②自分と考えが合わない人の話も聞く耳をもって、その思うところや感情を理解(肯定ではない)しようとする姿勢。
 ③そのような個別具体的なことを歴史や世界といった大きな状況の中でとらえ直すこと。つまり「木を見て森を見ず」やその逆ではなく、「木も森も」同時に視野におくこと。
 ④自分自身の価値観に照らして、納得できる(内的必然性のある)記事を書くこと。
 およそこういったことだと思います。

 この鮮于鉦記者の記事は、そんな点で共感が持てるものでした。
 日本での滞在経験のある韓国人をみると、それまで韓国で思い描いていた日本像にどこまでも固執する田麗玉(チョン・ヨオク)氏から、その対極の呉善花氏までさまざまです。
 鮮于鉦記者の場合は、韓国人としての見方を日本での見聞・取材を通じて見つめ直し、修正すべき点は修正し、(日本・韓国双方に対して)批判すべき点は批判するという柔軟な姿勢がうかがわれます。

 その後2011年3月12~18日、彼は大地震直後の東北地方被災地各地を取材しました。その4ヵ月後のコラムが「事故起こした原発と共に暮らす福島の人々」です。→コチラ(「朝鮮日報(日本版)」.会員制)または→コチラのブログ記事で読めます。
 3月の取材中福島原発が連鎖爆発を起こしたため、彼は避難のため帰国したとのことですが「その時東京方面に向かう国道がすいていて驚いた記憶がある」と記しています。続けて「当時は「日本人は正確な情報を知らないから避難しないのだ。政府にだまされていることを知ったら、この道はすぐに避難する車で渋滞するだろう」と思った」とも・・・。「ところが予測に反して日本ではそんな大騒ぎは起こらなかった」。ソウルで起きた狂牛病騒動とは対照的に。
 7月のコラムの後、福島での取材と考察について書かれた後半部分を紹介します。

 福島の会社員・公務員・記者・住民ら16人と語り合った。彼らの中に、日本政府の管理能力を信用している人はいなかった。だが全員、政府が提示した緊急時の放射線量許容基準を自分の生活の基準にしていた。平常時許容基準の10倍と考えている人も、20倍と考えている人もいた。もちろん、不安がないわけではない。このうち2人は家族を首都圏にある親類の家に避難させたという。そして、全員が子どもたちの将来を心配していたが、それでも現実を受け入れようと努力していた。
 問題を解決する方法は国によって違う。福島の対処方法も同じだ。「被災者が大声を上げないから解決が遅れている」という見方もあるし、逆に「被災者が静かに対応しているから国はより大きな危機に追い込まることがなかった」という見方もある。では、次のように仮定してみよう。福島の被災者200万人が原発問題に対し、一部の韓国人が狂牛病問題で見せたようなやり方で対応していたら、今の日本はどうなっていただろうか、と。
 福島は「国を支えるのは誰か」という原則的な問題を提起している。日本人のやり方が正しいのか間違っているのか、日本という国の持続性・可能性は、最終的には国民自身が鍵を握っていると思う。これは「原発とリーダーシップの危機という状況で、誰が日本という国家ブランドを維持しているのか」という質問と似ている。個人的な経験からすると、その答えは「国民」だろう。


 彼の大地震直後の取材については「대지진 취재를 마치고(大地震取材を終えて)」と題した記者ブログ内の記事がありました。(→コチラ。韓国語)
 これは紙面には載らなかった記事のようです。
 彼は地震直後に出張命令を受け、翌12日羽田へ。借りた車を運転して被災地に向かったのです。
 彼が見た被災地の印象は、日本人たちがとても落ち着いていること。苦痛を耐え、声を出さず、従順で団結して・・・。この点は上のコラムでも書かれていますね。
 以下は、この記事の抄訳です。

 おそらくどの国でも同じことが起きたら、暴動が起きただろうし、強い軍隊、強い公権力と、莫大な救援物資が投入され、それなりに速やかな方策がとられたでしょう。韓国でこのようなことが起きたら被害者たちは絶叫してこぶしをふりかざしたでしょう。日本の被災地の解決策はただ一つ、忍耐でした。
 国ごとに文化が違うので、解決法が異なることは認めます。このような大災害には忍耐がより効果的な解決策という意見も妥当性があると思います。しかし、不必要な忍耐まで効果的だということはありません。  
 痛みを蓄積する日本人。私はそんな日本人が本当にいいのか、今のように世界の人々の賞賛を受けるべきことなのかわかりません。

 最も良いのは我慢することなく痛みを軽減してくれることでしょう。日本は災害直後にもそれができたし、今では十分に行うことができます。
 日本は大地震を経験した他のどの国よりも豊かであり、物流網がしっかりしています。 世界が助けてくれています。 太平洋戦争当時のように隔離された日本でもありません。今の日本は、自分たちがお互い助けあっています。
 ある新聞が「日本沈没」という表現を1面に書いていましたが、現場で見ると都市の外形的被害は思ったより大きくありません。 東京-福島-仙台-盛岡につながる東北線の都市機能は、インフラ整備が進めば本来の機能を回復するでしょう。


 その後の注目記事の1つは2012年1月の「韓国がまだ統一を望んでいるなら」です。→コチラ「朝鮮日報(日本語版)」(会員制)または→コチラのブログ記事で全文読めます。
 ここで彼は、南北統一問題を自身の父親(「朝鮮日報」編集局長で作家の鮮于煇(ソヌ・フィ))のこと等自身の家族や心情とも絡めて書いています。

 私たちは統一を語るとき、まず費用の問題を口にする。北朝鮮政権が崩壊すればサムスンの株価が半減すると騒ぎ、北朝鮮にいる2300万人の同胞を養うには、韓国経済がさらに成長する必要があると指摘する。20代の青年が突然指導者になったとしても、100万人の同胞がさらに餓死したとしても、共存のためには北朝鮮の現実を認めなければならないと主張する。内容は違っていても言いたいことはただ一つ、「統一はまだ無理」ということだ。本当にそうだろうか。あるいは、私の気持ちと同じ利己心と卑怯さが韓国社会の底辺にはびこっているのだろうか。(中略) 時がたつにつれ、そうした利己心はますます大きくなるだろう。実際には、北朝鮮が変わらないのではなく、韓国が変わらないために統一が成し遂げられないのかもしれない。他人をあれこれ言うのではなく、まずは自分から変わろうという姿勢を見せることが大切だと思う。

 ・・・自分自身の利己心をも認めつつ、韓国(や自分たち)が変わるべきことを誠実に説いていると思います。

 冒頭で記したように、今年になって鮮于鉦記者は国際部長の地位に就きました。
 4月のセウォル号沈没事故についてのコラム「韓国社会にごまんといる「セウォル号の船長」」も説得力のある記事でした。
 ここで彼はニューヨークや東京のバスがマニュアルにしたがって客の安全によく配慮されていることを最初にあげています。ところが韓国社会は見出しの文言通り。
 結論として彼は次のように述べています。

 乗客のために命をささげる英雄のような船長を望んでいるのではない。王も大統領も、国民を見捨てて逃亡した過去があることを知っているだけに、「船長よ、あなただけは乗客と運命を共にせよ」と強要するのも恥知らずなことだ。命を捨てろとまでは言わない。ただ、自ら与えられた地位に責任を持ち、規則を守ってほしいということだ。船が沈みそうになったら、マニュアル通りに行動し、中にいる子どもたちを避難させてほしいということだ。

 彼は、読者から「親日記者」とか「イルパ(일빠)」と非難されたりするそうです。(一例→コチラ。)
 ※일빠일본 빠돌이(빠순이)日本のオッカケのこと。
 なるほど、先の<大地震取材を終えて>の記事には次のような記述があります。

 5年6ヶ月の間、日本の特派員生活をしながら日本のシステムを学ぼうと努力しました。 そのような努力を本にも書いて読者に知らせたこともありますよね。 こんな言葉が似合うかどうかわかりませんが、<親日記者><イルパ記者>という言葉をたくさん聞きました。私は日本に尊敬の念を持っています。

 しかし、同記事のコメント(댓글)21件をみるとほとんどが好評。(一部、イルボンノム(日本奴)について長々と書いているものもありますが。)

 上述の記事以外でも、ネット内でいろいろ読むことができます。
 彼の東京特派員時代の記事では、雪の朝の道路の雪かきについての記事(→コチラ.韓国語)なんかも興味深く読みました。

 今、彼はなにせ国際部長ですから、最近の日本の集団的防衛権等についても書いていて、中には私ヌルボとしては反論したい内容のものも当然あります。
 しかし、最初の「日本列島10万キロ」で感じた記者としての彼に対する信頼は失われてはいません。これまでの記事をいろいろ読んでみると、就職した時に父親のコネが働いたかどうかわかりませんが、国際部長の地位は親の七光りとは関係ない彼自身の実績によるものだと思います。

 韓国の各紙は政治的立場がはっきりしていますが、保守系(「朝鮮日報」等)・進歩系(「ハンギョレ」等)を問わず良い記事を書く記者もいればその逆もいるということです。私ヌルボ、鮮于鉦記者を持ち上げたからといって、別に「朝鮮日報」の基本姿勢を支持しているということではありません。念のため。

 なお、鮮于鉦記者の父の作家・鮮于煇(ソヌ・フィ)の翻訳小説集(「火花」)は最近読了しました。そのうちに記事にするかも・・・ということで。

[2015年11月14日の追記] この記事へのアクセスが急に増えているのでその理由を探索したところ、14日付の「朝鮮日報 日本語版」の<【萬物相】 「ジャップ」が東京裁判を検証!? 米国の胸中やいかに>という記事(→コチラ)によるものと思われます。「ジャップ」とはなんとも「刺激的」な、いや「刺激的すぎる」言葉です。しかし元の韓国語版の記事(→コチラ)で確かめたところ、見出しはたんに「도쿄재판 '검증'(東京裁判 '検証')」となっています。本文では末尾の「・・・・米国の胸中が気になる。「ジャップは最悪」と、また怒っているのだろうか。」等、米国側が使うかもしれない言葉として出てきますが、日本語版の見出しだと鮮于鉦記者(論説委員)も日本のことを「ジャップ」と罵っているように受け止められかねません。日本語版担当のデスクがつけた見出しなのでしょうか? 鮮于鉦記者自身このことを承知しているかどうかは疑問です。この記事内容ではなく、日本語版の見出しのみで「鮮于鉦はケシカラン」と考えるのは誤解のおそれがあります。

[2016年4月18日の追記] 今日4月18日付の「朝鮮日報 日本語版」の<【萬物相】 地震と日本人>というコラム(→コチラ)の筆者は、やはり鮮于鉦記者でした。肩書きは論説委員になっています。「知日派」らしい内容で、多くの日本人が素直に受け入れられる(韓国紙の記事しては例外的な?)記事ではないでしょうか? もしかして、「号泣し、絶叫し、デモをし、断食闘争をする」という韓国人によくある反応を否定的に見ているのでは、とも思われます。
 ついでに、今年に入り彼が書いた私ヌルボの注目記事を2つ紹介します。
 1つ目は<高橋亨の主張を今なお葬れない韓国人の党派性>と題したコラム(→コチラ)。よくこういう人物を知っているものです。もう1つは「朝鮮日報」と提携している「毎日新聞」に掲載された慰安婦問題についての記事(→コチラ)。韓国の読者からは「親日」、日本の読者からは「反日」と指弾されそうなビミョーな隘路で記事を書き続けているといった感じです。(日本から韓国に戻ると少し韓国寄りになるのはまあ「自然」なところか。)