ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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人気作家・崔仁浩(チェ・イノ)が昨夜逝去 ・・・・映画「鯨とり」等の原作者 

2013-09-27 23:56:14 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 人の訃報に接すると寂しい気持ちになります。とくに自分と年齢的にあまり離れていない人の場合はなおさらです。
 日本では「逝去」と書くところを、韓国では「별세(別世)」という言葉を用います。

 昨9月25日夜、作家・崔仁浩(최인호.チェ・イノ)が亡くなりました。
 そのことは、→コチラの記事への今朝の「ソウル一市民」さんのコメントで知りました。
 今日の「朝鮮日報(日本語版)」にそのニュースが載っています。

 私ヌルボが崔仁浩のことを初めて知ったのは、やはり映画の原作者としてです。
 過去記事の<150本の中から選んだ・・・ ★韓国映画ベスト20★>で個人的に「不動の1位」に挙げた「神様こんにちは」は、私ヌルボを韓国映画ファン&アン・ソンギファンに導いてくれた(個人的に)決定的な作品ですが、その原作・脚本が崔仁浩でした。

 今、<輝国山人の韓国映画>等をたよりに崔仁浩原作の映画を探ってみた結果を年代順に並べてみました。

①李長鎬監督「星たちの故郷(별들의 고향)」(1974)
②河吉鍾監督「馬鹿たちの行進(바보들의 행진)」(1975)
③河吉鍾監督「ピョンテとヨンジャ(병태와 영자)」(1979)
④裵昶浩監督「赤道の花(적도의 꽃)」(1983)
⑤裵昶浩監督「鯨とり -コレサニャン-(고래사냥)」(1984)
⑥裵昶浩監督「ディープ・ブルー・ナイト(깊고 푸른 밤)」(1985)
※第6回(1982年)李箱文学賞受賞作
⑦郭志均監督「冬の旅人(겨울 나그네)」(1986)
⑧裵昶浩監督「黄真伊(황진이.ファンジニ)」(1986)
⑨裵昶浩監督「神様こんにちは(안녕하세요 하나님)」

 ※①以外は原作だけでなく脚本も担当しています。また<シネマコリア>の記事によると、⑨は「昶浩監督が気に入っていた崔仁浩の小説「神様こんにちは」のタイトルを借り、身体障害者の慶州への旅行を題材にしたテレビ番組をヒントにした監督のアイディアを崔仁浩が新たに脚本として書き下ろした」とのことです。

 ・・・この9本の中で、私ヌルボが観たことがあるのは②③⑤⑥⑨の5本です。どれも当時の韓国の困難な状況の中で懸命に生きる若者の姿を、心情的にも寄り添うような形で描いた作品でした。
 これらの映画について、韓国映画同好会(←今実体あるの??)の植田真弘さんが10年以上前?に「チェ・イノと韓国映画」という記事で彼の小説世界と関連づけて詳しく記しています。(→コチラ。)
 そこで冒頭に掲げられているのが「軽妙・軽快」「通俗的」というキーワード。「なるほど、やっぱりなー」といったところです。

 たとえば、最近の芥川賞作品は大半が映画化しにくいものだし、映画化に際しても「苦役列車」とか「共喰い」とか、いろいろ大変だったのではないでしょうか? 映画ファンも「一人の若者が抱える心の闇と・・・云々」という惹句にどれほど興味をそそられるのか・・・?
 そこへいくと、崔仁浩原作の映画は、ストーリー展開自体が観る者を引きつける力があります。

 彼の作品は90年代以降「商道(상도)」「海神(해신)」のようにドラマでもヒットした歴史物を書いています。
 つまり、そのまま映画やドラマにしやすい作品を次々と生み出すストーリーテリングの才能を40年以上にわたって発揮し続け、多くの人々に親しまれた作家といえるでしょう。
 「朝鮮日報」の記事に対する読者のコメント中にも「われわれの時代最高のイヤギクン(우리 세대 최고의 이야기꾼)」という言葉がありました。

 彼は若い頃から世に認められた作家でした。
 「朝鮮日報」の記事には、1967年22歳で延世大在学中に書いた短編小説「見習い患者」が朝鮮日報新春文芸に当選して文壇デビュー(韓国では「登壇」)したとありますが、すでにソウル高校1年生在学中の1961年青少年雑誌「学園」に「休息」という詩を投稿して優秀賞を受け、高2だった1963年には韓国日報新春文芸で短編「壁の穴に」により佳作に入っています。
 彼が広く知られるようになったのは、1972年「朝鮮日報」に連載された「星たちの故郷」から。<小説100万部時代>を開いた人気作家となり、70年代青年文化の代表者となりました。
 以後今まで数多くの作品を出し続けたその旺盛な創作意欲は驚くばかりです。

 最近韓国では朴景利(パク・キョンニ.1926~2008)李清俊(イ・チョンジュン.1939~2008)朴婉緒(パク・ワンソ.1931~2011)といった著名な作家が相次いで亡くなりました。
 これらの作家と比べると、文学的な深みといった点では譲るかもしれませんが、多くの読者(や映画ファン)に愛されたということでいえば、崔仁浩が一番でしょう。

 映画ではなく、私ヌルボが読んだ彼の唯一の小説は「머저리 크럽(阿呆クラブ)」(2008)です。2009年の過去記事<崔仁浩の小説「阿呆クラブ」 懐かしく描かれた70年代の高校生群像>でその感想を書きました。1970年代の男子高校生の成長小説ですが、内容も文章も読みやすく、とくにヌルボ自身の(60年代の)高校時代とも重なるところが多くて親近感を覚えました。わずか1作だけで作家を論ずるのは軽率ですが、多くの韓国の読者の「彼の小説を読んで読書の楽しさを知った」という気持ちがわかるような気がします。
 報道によると、彼が唾液腺がんの宣告を受けたのが2008年5月。この明るく懐かしい作品はその前に書きあげたものでしょうか?

 その後、がん宣告の2ヵ月後に書き始められたという2011年刊行の長編小説「見慣れた他人の都市(낯익은 타인들의 도시)」は、80年代半ばから歴史物の大作を主に発表してきた彼の現代への回帰として注目され(→関連記事)、また今年3月に刊行した「人生(인생)」はカトリックの「ソウル週報」に連載した闘病生活の中でも思いをエッセイ風連作小説(?)としてまとめたもののようです。
 <'星の故郷'を探しに行った六十八の年作家>と題した「朝鮮日報」の追悼記事によると、彼は最後まで新しい本に書く序文を考えていたとか。作家自身が「환자가 아닌 작가로 죽겠다(患者ではなく作家として死ぬんだ)」という言葉通りの人生の終わり方でした。
 崔仁浩作家の冥福を祈ります。

          

     <小説家・崔仁浩の文学トンネ(町内)>というブログには、彼の訃報がいち早く載っていました。