ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[韓国の<聖地>上海 ①] 韓国は歴史の中に「戻るところはない」という古田博司教授の発言は疑問が・・・ 

2013-09-22 23:49:49 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 「正論」その他の右寄りの雑誌ではほぼ毎号のことですが、「文藝春秋」10月号でも「日中韓百年戦争にそなえよ」という大仰なタイトルで識者たち7人による座談会を組んでいます。
 顔ぶれは大和総研副理事長・川村雄介氏や元駐韓国大使・小倉和夫氏を含め、皆過去or現在大学で教職にあった人ばかり。
 その人たちが「くり返される歴史認識問題の本質を論じ尽くす」ということですが、読んでみるととくに目新しい知見や注目に値する発言はなく、最近の中韓のモロモロにイラついているor憤っている多くの読者の感情に沿った内容でした。
※この特集記事に対しては、→コチラのブログ記事が内容の概略とともに良識ある感想を載せています。

 その中で、今回私ヌルボがとくに疑問を感じたのが、中韓との歴史観をめぐる対立についての古田博司筑波大教授と松本健一氏の次の発言です。

 古田博司 だから、私は、歴史のなかに国家の未来像を求めるという尚古主義事態をやめた方がいいと思うんですよ。中国は清代に戻れるとしても、韓国はどこに戻ったらいいんですか。かわいそうじゃないですか。先の大戦は、日本の一部だから敗戦国だし、独立戦争を戦ったわけでもない。日韓併合以前に戻っても、清の属国であることには変わりない。過去に栄光を探すのではなく、現在、そして将来、世界の人々に尊重される国家であることをめざして、そこに誇りを見出すべきなんです。歴史の中に未来はないんですよ。
 松本健一 たしかに、独立戦争らしきものを求めると、金日成の抗日ゲリラ伝説くらいしか見いだせない。だから、韓国が国家の正当性をいおうとすると、北朝鮮と手を組むしかないわけです。


 「過去に栄光を探すのではなく、現在、そして将来、世界の人々に尊重される国家であることをめざして、そこに誇りを見出すべきなんです」という点は私ヌルボも同感ですが、「先の大戦は、日本の一部だから敗戦国だし、独立戦争を戦ったわけでもない」とか「独立戦争らしきものを求めると、金日成の抗日ゲリラ伝説くらいしか見いだせない」とは、古田・松本両先生は今の韓国の憲法前文が次のような文言で始まっていることをご存知ないのでしょうか? 古田先生が知らないはずはないと思うのですが・・・。

 悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し、・・・・

 古田教授自身が他の所で言っているように、日韓歴史共同研究委員会の場でも韓国の学者は歴史のことを「イヤギ(お話)」と平気で言っているくらいだから、「日本の一部だから敗戦国だし、独立戦争を戦ったわけでもない」という史実よりも、「かくあらねばならぬイヤギ」が最優先で憲法で提示され、学校教育の場などで教えられるのです。
 そのキーワードが大韓民国臨時政府です。
 大韓民国臨時政府とは、1919年李承晩・呂運亨・金九などによって上海で設立された臨時政府です。(→ウィキペディア。)

 上記の古田教授の発言に対する韓国の立場からの反論はすぐ予測がつきます。

 「日本の一部だから敗戦国」だって? 日韓併合条約からして違法であり、したがって植民地でなく「強制占領」だった。 
 また日中戦争勃発後、上海から重慶に移った臨時政府は光復軍総司令部を創設し、1941年12月9日対日宣戦布告をした。
 したがって、
①臨時政府は当時の国際的な承認を得ていなかった。②戦闘行為に参加していなかった。③臨時政府内での内輪もめもあり、金九自身が「乞食の巣窟」と言ったほど弱体なものだった。
 ・・・等の弱点はあるとしても、上述のことから「日本の一部」というのは虚構であり、また「敗戦国」ではなく「戦勝国」だった。だからサンフランシスコ講和条約にも「戦勝国」としての参加を望んだのである。(認められなかったが。)


 また、松本健一氏の「独立戦争らしきものを求めると、金日成の抗日ゲリラ伝説くらいしか見いだせない」というのも、それは松本氏がご存知ないだけです。韓国の歴史教科書を見れば何人も登場しています。
 たとえば、金玉均の従弟で俳優ソン・イルグクの曾祖父(!)でもある金佐鎮金天については、昨年彼の肉筆日記が出版されたことが報じられました。(→コチラ。) その他、満州での抗日闘争の指導者としては洪範図もよく知られています。

 上海といえば、今年6月朴槿恵大統領が訪中した際に訪れた所です。韓国の歴代大統領は、中国歴訪時には北京に続き上海を4回、成都と青島をまとめて1回訪問していますが、92年の盧泰愚以来、韓国大統領が必ず上海を訪れているのも臨時政府旧址に立ち寄って芳名録に言葉を残すのが慣例になっているからです。

 7月に「毎日新聞」で金子秀敏専門編集委員が2度にわたってこの朴大統領の中国訪問を取り上げ、その背景に「韓国版の歴史見直しがあるのではないか」と論じています。(→7月4日11日)
 つまり、北朝鮮の「抗日パルチザンの金日成神話」に対して、韓国の独立は臨時政府の運動によって勝ち取ったものであるという自前の「抗日戦争闘争史」という大きな物語を作ることだろう、というのがその論旨です。
 さらに、朴槿恵大統領が韓国大統領として初めて西安も訪ねた意味も朴正熙の経歴と関連づけて考察しているのも興味深いところです。

 ただ、この金子秀敏専門編集委員の記事では、韓国憲法の前文に韓国国民は大韓民国臨時政府の法統を継承すると明記されていることは記されてはいますが、それが1948年7月公布された制憲憲法の当初からのものではなく、第九次憲法改正(1987年10月)で初めて盛り込まれた文言であることは書かれていません。(参考→ウィキペディア。)
 また大統領の上海臨時政府旧址という「聖地巡礼」も朴槿恵の発案ではなく、前述のように1992年の盧泰愚から続いていることです。

 では、大韓民国臨時政府への着目と上海の聖地化がなぜその時期(1987年・1992年)だったのか? 続きではその点についてを考えてみます。

 それにしても古田教授、知ってて上掲のような発言をしたのだとすると世間の風潮への迎合だし、もし知らなかったとすると韓国・朝鮮の専門家としてちょっとまずいゾ。
 松本健一氏については何冊かの著書を共感をもって読みましたが、この箇所での発言は専門を少し外れているとはいえ無責任。

 おまけ。本題とはあまり関係ないかもしれませんが、ヌルボ思うに史実を「今かけている眼鏡を透して」恣意的に歪める「歴史の歪曲」は日本よりも韓国の方がずっと顕著。一方日本は、直視すべき史実を見ようとしないという問題がありそうです。
コメント (8)
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