学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「マグナ・カルタ神話の創造」

2015-06-17 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月17日(水)06時49分39秒

>筆綾丸さん
先日、某大学図書館で『イングランド法の形成と近代的変容』(小山貞夫著、創文社、1983)という本がリサイクル書扱いされていたので、もったいないなと思って持ち帰ったのですが、その中に「マグナカルタ神話の創造」という80ページほどの論文が載っています。
冒頭を少し紹介すると、

-------
一 はしがき

 近代民主主義ないしは立憲政治にマグナ・カルタが及ぼした影響については、戦後教育を受けた者全てがよく知っていることであろう。義務教育の少なくとも中学校の社会科教育の中で、権利請願・権利章典などと共に取り上げられているからである。しかしながら、封建制社会の最盛期を過ぎた後であるかそれに達する前であるかの争いはあるにしても、封建時代であったことは誰も否定しない一二一五年に成立したマグナ・カルタが、時代を異にし、社会を異にしているはずの近代のイデオロギーたる民主主義ないしは立憲主義の礎ないしは第一歩となりえたことの説明は、少なくともわが国においては専門家の間でも必ずしも学問的に解明されていないように思われる。この点でも、特にイングランド法制史にきわめて特徴的な法の連続性の観念が、わが国のごとくたびたび法の断絶を経てきた国の研究者にも無意識に前提にされ、右のごとき問題が問題として必ずしも明確には意識されてこなかったように思われるのである。それどころか、マグナ・カルタという異国のしかも七百五十年以上昔の文書の存在そのものは、例えばほぼ同じ頃にわが国で成立した御成敗式目(一二三二年)などよりも日本人にとってもずっと身近に感じられているのに、しかしそのマグナ・カルタが、一二一五年のうちに正式に無効宣言され、法的には存在しなかったことになっていること、次いで一二一六年、一二一七年、一二二五年の三回にわたり一二一五年のものとはもちろん、それぞれの間でも異なったマグナ・カルタが発行されたこと、後世法学上マグナ・カルタと呼ばれているものはこれらのうちの最後のものに当る一二二五年のものであること、この一二二五年のマグナ・カルタは一二一五年のものとは内容のみならず条文番号も大幅に異なっていること(条文に分けたこと自体が後世のものである)等の事実は、高等教育を受けた日本人にとっても必ずしも周知のことではない。時には専門家の中にすら、この辺の事情を無視した議論が散見できるほどである。
-------

といった具合です。(p285以下)
マグナ・カルタが御成敗式目より「日本人にとってもずっと身近に感じられている」かはともかくとして、その後は、えっ、そうなの、と言いたくなるような事実の連続ですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
(したらば掲示板に移行した際に文字化けしています。)

800年祭ー憲法ゲマインシャフトの濫觴 2015/06/16(火) 12:10:57
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15HCQ_V10C15A6CR8000/
http://www.bbc.com/news/uk-33126723
マグナカルタ制定800年祭に関するBBCの記事には、constitutionalism や medieval constitutionalism という表現はなく、constitution が出てくるのは、残念ながら、
---------------
Its influence can be seen in other documents across the world including the UN Universal Declaration of Human Rights, and the US Constitution and Bill of Rights.
---------------
というところだけです。民主主義、法の支配、自由、正義、人権への言及は色々あるのですが。medieval は、his medieval predecessor Archbishop 、the most optimistic medieval baron という表現で二度出てきますね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Habeas_corpus
文中に "habeas corpus" (the right not to be held indefinitely without trial) とありますが、これは Medieval Latin で、 大意は "You should have the body" ということなんですね。

女王陛下(写真)の横に、
????????15 JUNE 2015
???? ON THIS SPOT IN THE
HISTORIC MEADOW OF RUNNYMEDE
????HER MAJESTY THE QUEEN
???????? CELEBRATED
????????800 YEARS OF
????????MAGNA CARTA
TOGETHER WITH HER SUBJECTS
??AND INTERNATIONAL GUESTS
というプレートがありますが、her subjects を「国民」ではなく「女王陛下の臣民ども」と訳したら、誤訳ではないまでも、マグナカルタの精神に抵触するのでしょうね。プランタジネット朝の王の subjects とウィンザー朝の女王の subjects はずいぶん違うだろう、とは思います。

冒頭近くの、
------------
The charter first protected the rights and freedoms of society and established that the king was subject to the law.
------------
における the king was subject to the law は、medieval constitutionalism の端的な表現でしょうが、この subject と her subjects の subject は、瓜二つとは言わぬまでも、まあ、同じようなもんだろう、という気はしますね。her subjects を her nation とか her citizen とすることは、文法的に無理なんでしょうね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425700304
また、この subject to はなかなかの難問で、日本でも大きな問題になった時期がありました。

女王陛下の写真の下あたりに、
-------------
Magna Carta originated as a peace treaty between King John and a group of rebellious barons.
-------------
とありますが、これを読むと、立憲主義とか民主主義とか聞こえはいいが、要するに、貴族達の腕力が王の力より強かっただけのことで、subject など端から眼中になかったろう、という気がしてきます。
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清宮四郎「天皇機関説事件のころ」

2015-06-15 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月15日(月)10時48分40秒

石川健治氏のエッセイ、「あえて霞を喰らう」(『法律時報』2013年7月号)冒頭に次のような記述があります。

-------
 毎日新聞でコラム「風知草」を連載されている山田孝男編集委員の話では、この5月10日に取材をした折、自民党の石破茂幹事長の机上には、清宮四郎『国家作用の理論』(有斐閣、1968)が置かれていたそうである。もっと早く読んでおいて欲しかったとは思うが、そういう心がけをもって事にあたる有力政治家が存在するという事実は、このご時世では救いであり、久々に清々しい気分になった。
--------

2013年ですから、憲法96条改正論が云々されていた時期ですね。
当時、幹事長として世にときめいていた石破茂氏も、今は地方創生担当大臣という割と暇そうな役職に押しやられてマスコミに登場する回数も減ってしまいましたが、私は防衛大臣が石破氏だったら集団的自衛権に関する議論がもっと充実したろうに、と残念に思っています。
中谷元氏は防衛大卒ですから防衛問題全般に詳しいのでしょうが、今はガチガチの法律論になってしまっているので、中谷氏ではちょっと、というかかなり物足りないですね。

石川氏のエッセイには清宮四郎による蓑田胸喜と京城大学教員との会見記が引用されていますが、私も原理日本社に少し関心があるので、参考までにメモしておきます。

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(前略)清宮が「憲法改正作用」を執筆していた頃、「学術維新ということを唱え、原理日本という雑誌にたてこもって、美濃部先生をはじめ、自由主義的学者を片はしから攻撃していた蓑田胸喜という気狂いじみた学者が京城に来て、城大の教授に会いたいといってきた。城大側では数名の教授がそれに応ずることにし、私も憲法の担当者として避けるのはいさぎよくないし、憲法の話が出たら意見を述べあってみようと思って加わることにした。朝鮮ホテルで会ってみたら異常な目付きの人間で、何をいいだすのかと思っていたら、同席していた西洋美術史担当の上野直昭教授が岩波からドイツのヴントに関する本を出しているのを知っていて、蓑田氏はヴントを高く評価するといい、上野教授に敬意を表していた。結局ヴントの話で終始し、憲法の話は出なかった」(清宮四郎「天皇機関説事件のころ」紺碧49号〔京城帝国大学同窓会、1973年〕1頁以下)。
-------

ま、ただこれだけの拍子抜け感の漂う話ですが。
国会図書館で検索すると上野直昭には『精神科学の基本問題』(岩波書店、大正5)という著書があるそうなので、「岩波からドイツのヴントに関する本を出している」とはこのことでしょうね。

上野直昭(なおてる、1882-1973)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E7%9B%B4%E6%98%AD
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四番目の89年

2015-06-15 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月15日(月)09時37分45秒

>筆綾丸さん
>四つの’89年(Les quatre "Quatre-vingt-neuf")」
『自由と国家』は手元にないので参照できないのですが、J=P・シュヴェヌマン・樋口陽一・三浦信孝著『<共和国>はグローバル化を超えられるか』(平凡社新書、2009)に、樋口氏自身による日本語訳が載っていますね。
4番目の89は東欧革命・ベルリンの壁崩壊ではないそうで、これはちょっと意外でした。
樋口氏は平凡社新書の「付記」に、「報告の成り立ちの経緯と当時の歴史的文脈に関連して、以下の四つの点につき読者の注意を促すことを許されたい」として、次のように言われています。(p69)

-------
(前略)
第二 会期は七月十四日に先立つ一週間であり、その年の秋以降に急展開する旧・東欧社会主義国の大変動の前であったこと。むしろ七月前半は、その一ヶ月前に世界の目の前でくりひろげられた天安門広場の惨劇によて、社会主義下での民主と自由の要求がいかなる困難に当面するか、その衝撃が生々しい時点であった。ベルリンの壁の解体を頂点とする、秋以降の東ヨーロッパでの一党支配の崩壊の連鎖によって、一九八九年という日付は、それに先立つ三つの八九年を測る座標という意味をはるかに超えて、「四つの八九年」の一つとなるのである。
-------

予想外の展開であっても、ボクってもしかしたら予言者かな、的な喜びはあったかもしれないですね。

>外務省訳「チャンピオン」
外務省サイトを確認したところ、やっぱり「民主主義の輝くチャンピオン」のままですね。


『法律時報』2015年5月号に<特別企画 「国家と法」の主要問題 連載開始にあたって>と題して辻村みよ子(明大教授)・長谷部恭男・石川健治・愛敬浩二(名大教授)の四氏による座談会が掲載されていますが、これは最近の憲法業界事情を知るのに役立ちますね。
1962年生まれの石川健治氏は、

-------
 私が大学に残って研究者として歩き始めたのは1985年です。1985年というのは私にとって非常に大事な年で、私の理解では憲法訴訟論が終わった年だと思います。
(中略)
 研究者になるということになったときは憲法訴訟論の最盛期でしたので、芦部先生があんなに勉強されたのに、あと何をやることが残っているのだとよく言われたものですし、研究室の先輩方からは、どうせまた君も憲法訴訟論なのだろう、という言い方をされていた。
 けれども、勉強を始めたその年に、憲法訴訟論が終わってしまった。そこで私が考えたのは、2つの方向がこれからはあるはずだということです。1つは、芦部先生は解釈論としては未熟な議論の水準にとどまったのではないか、解釈論として、もっとしっかりしたものを作るのが、これからの課題だと考えました。もう1つは、これは特に長谷部さんを見ていて思ったわけですが、これからは、より本格的に、原理的あるいは歴史的な考察を心がけなくてはならない、ということです。
--------

などといわれています。(p82)
私はまだ石川氏の著書・論文をごく僅かしか読んでいないので、何故に1985年が「憲法訴訟論が終わった年」なのか、「芦部先生は解釈論としては未熟な議論の水準にとどまった」とは具体的にどのような条項の解釈についてなのか、また石川氏によってそれがどのように改善されたのかは知りませんが、雰囲気としては何となく分かるような感じもします。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

constitutionnalisme médiéval(中世立憲主義) 2015/06/13(土) 11:52:08
小太郎さん
樋口陽一氏の著書をいくつか読み、おおよその考え方がわかるようになりました。

『自由と国家』(岩波新書 1989年)に、「四つの’89年(Les quatre "Quatre-vingt-neuf")」と題して、フランス革命二百年記念世界大会(パリ 1989年7月) の「革命と法」のセッションで、「 Les quatre "Quatre-vingt-neuf" ou la signification profonde de la Révolution Fraçaise pour le développement du constitutionnalisme d'origine occidentale dans le monde(西欧起源の立憲主義の世界での発展にとってフランス革命のもつ深い意義)」を問題にした、とあるのですが、三番目の’89年(大日本帝国憲法)など、満を持しての意気込みとは裏腹に、ほとんどのフランス人は、なんだそれ、というくらいの反応しか示さず、しかも、東南アジア諸国の出席者には傍迷惑な "Quatre-vingt-neuf" だったな、と思われたかもしれませんね。

----------------
もともと、権利保障といい権力分立といい、それ自体としては近代憲法に特有なものではない。マグナ・カルタ(一二一五年)や身分制議会(イギリス議会は一九六五年に七百年祭を祝った)という、中世立憲主義の伝統があるからである。身分制議会編成原理を基礎とし、諸特権の多元的並存のうえに成り立つ中世立憲主義と、身分制からの個人の解放を前提とし、解放された諸個人と、権力を集中することとなった国家との間の緊張のなかで権力からの自由を追求しようとする近代立憲主義とでは、論理構造の点でまったくちがう。しかし、十七世紀イギリス革命は、中世立憲主義(古い皮袋)の伝統を援用する反王権闘争の成果として、近代立憲主義(新しい酒)の画期を世界にさきがけてきりひらいた。一六八九年の権利章典(Bill of Rights)は、その記念碑であった。(同書41頁)
----------------
http://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-015.html
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E7%AB%8B%E6%86%B2%E4%B8%BB%E7%BE%A9-1367153
中世立憲主義という概念は歴とした terminologie なんですね。鎌倉幕府の貞永式目以前に英国では既にconstitutionnalisme が存在したというのは、なんというか、anachronisme の感じがしないでもありません。

憲法ゲマインシャフト( Konstitutionell Gemeinschaft ) ? 2015/06/13(土) 16:21:23
『憲法と国家』には、四番目の’89年として、ベルリンの壁が崩壊し、西側の近代立憲主義が東側世界に継受され、「憲法ゲマインシャフト」が成立した、という記述がありますが(39頁~)、エマニュエル・トッドなら、こういう甘い考え方を罵倒するでしょうね。
「憲法ゲマインシャフト」を論じた最後に、次のような記述がきます。ジル・ケペルは、例の『中東戦記』の著者ですね。

-----------------
ペルシャ湾岸での戦争があらためて「東」「西」対立にかわる「西欧対非西欧」の図式を否応なく人びとに強く意識させていた一九九一年一月、フランスのイスラム学者ジル・ケペルの『神の復讐』が出版されて、話題をよんだ。
彼は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という、アブラハム系の三つの宗教それぞれに即して、近代合理主義に対する「神の復讐」を論ずる。そのなかで、イスラム文化圏のなかにあって政教分離を採ってきた諸国で、大衆のネオ共同体主義的な再イスラム化現象によってそれが危うくされている例(トルコ、チュニジア)をとりあげ、政教分離派が大衆の支持を回復するには、「デモクラシーと人権のためのたたかいのチャンピオンとなる」ことが必要だ、と言う。彼によれば、そのことが、ヨーロッパでのイスラム系住民をめぐる問題についても、「西欧」と「新版・悪の帝国」の激突としてえがき出される状況をのりこえる展望がひらけるだろう、というのである。(62頁)
-----------------

ジル・ケペルの原著をみればわかるはずですが、「デモクラシーと人権のためのたたかいのチャンピオンとなる」の「チャンピオン」は、首相の英語演説の外務省訳「チャンピオン」とおそらく同じで、完全な誤訳ではあるまいか。この訳では、政教分離派がデモクラシーと人権のためにネオ共同体主義的に再イスラム化した大衆を張り倒して勝つんだ、というような意味になってしまい、ジル・ケペルがそんな馬鹿げたことを言うとは思えないですね。大丈夫ですか、樋口先生、と少し不安になりました。
フランス語の champion にも、英語と同様、(主義・信条の)擁護者という意味があり、ロベール仏和大辞典には、Bossuet s'est fait le champion de la monarchie(ボシュエは君主制の擁護者になった) 、という例文があります。

補遺
『憲法と国家』には、
-----------
「普遍主義者」のチャンピオンともいうべきエリザベート・バダンテール(作家)は、「病より悪い薬」(「悪より悪い救済」と訳してよい)と題して・・・(119頁)
-----------
という文があり、この「チャンピオン」は「第一人者・ナンバーワン」であろうが、「デモクラシーと人権のためのたたかいのチャンピオンとなる」の「チャンピオン」を、それと同じとすると、意味は取れなくはないが、変ですね。したがって、ジル・ケペルのいう「チャンピオン」は、?選手権保持者、?一流選手、?第一人者、いずれでもなく、?擁護者と思われるが、残念ながら、「チャンピオン」という日本語に?の意味はないですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%89lisabeth_Badinter
エリザベート・バダンテールに関して、ウィキには、
According to Forbes, she is one of the wealthiest French citizens with a fortune of around 1.8 billion dollars in 2012.
とあり、「普遍主義(universalisme)」とは無関係ながら、1ドル100円換算で1,800億円の資産ですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Publicis
父親が創設した広告会社の大株主のようで、Publicis Groupe は、日本で言えば、電通とか博報堂になりますか。樋口氏が「「普遍主義者」のチャンピオン」と言ったのは、思想よりもむしろ広告業を指しているのかもしれません。彼女の本業は Publicis Groupe の Chairman of the supervisory board で、作家や歴史家やポリテクの教授などは副業にすぎず・・・なんとも優雅な人生です。
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「果たして清沢の批判に耐え得るか」(by 石川健治)

2015-06-13 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月13日(土)09時05分1秒

「立憲デモクラシーの会」の石川健治氏の名前で検索したら、石川氏は朝日新聞の書評で東大法学部の同僚だった北岡伸一氏の『清沢洌』を推薦しつつ、北岡氏にネチネチと嫌味を言っておられますね。
朝日記事をコピーしている人のブログから少し引用すると、

-------
 既成事実を作りさえすれば、なし崩しで事が運ぶ。そんな記事が今日も躍る。「この道」は、いつか来た道。それを振り返るのに好適な書物が、北岡伸一『清沢洌』である。戦前に在野の外交評論家として活躍した清沢洌の評伝。歴史家としての著者本来の美質がよく現れている。
(中略)
 本書の著者は、安保法制懇の座長代理としての活躍でも知られる。「切れ目のない安全保障」と引き換えに、日米同盟路線を地球規模にまで拡大させつつある安倍政権や、そのトリガー役を務めた著者が、果たして清沢の批判に耐え得るかどうか。本書は最良の点検材料になる。

といった具合です。
北岡伸一氏が『清沢洌』(中公新書)を書かれたのは1987年で、30年近く前ですね。
たまたま私も最近読み直していて、まあ、私は充分「清沢の批判に耐え得る」と思いますが、評価は人それぞれですね。

私も昼日中から国会中継を視聴するほど暇ではありませんが、新聞等を見る限り、国会での集団的自衛権に関する議論のレベルはあまり高くなくて、フラストレーションがたまります。
理想主義者の多い憲法学者の間では違憲説が圧倒的多数ですが、国際法学者の間では憲法学者の議論の単純さを批判する人も相当いて、リアリストが多い国際政治学者となると、むしろ憲法学者の議論を馬鹿にしている人も相当多いんじゃないですかね。
弁護士資格を持つ国会議員の間の議論も大切ですが、議論のレベルを高めるため、国際法学者や国際政治学者を呼んで話を聴くのも良いんじゃないですかね。
それこそ北岡伸一氏と長谷部恭男氏の直接対決でもやれば、なかなかスリリングな展開になるのではないかと思います。

ところで石川氏は将基面貴巳氏の『言論抑圧─矢内原事件の構図』(中公新書、2014)も高く評価されていますね。

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 省みて本年は、天皇機関説事件の80周年。美濃部達吉に代表される立憲主義憲法学が弾圧され、日本政治から立憲主義のタガが外れた記念年である。ここから敗戦までわずかに10年。その間政府批判の言論が封殺されてゆく過程は、2年後の矢内原事件を扱った将基面貴巳『言論抑圧』に詳しい。誰が真に「亡国」をもたらした「学匪」であったかは明らかだろう。
 帝国大学教授たちの受難は、国民全体にとってもひとごとではなかった。冷ややかに観ていた在野の清沢洌も、あっという間に言論の自由を奪われた。すべては立憲主義の軌道を外れたことが原因だ。本年が、80年前と同様の記念年として記録されることのないよう、政治の行方を注視していたいものである。
-------

宇野重規氏(政治学者・東大社会科学研究所教授)も、読売新聞の書評で、

-------
 それぞれの人間は、それぞれの思惑で行動する。しかしながら、ひとたび状況が動き出すと、当事者の意図を越えて、事態は進展する。矢内原を追い込んだメカニズムを冷徹に描き出す著者の姿勢が印象的だ。
 一つの事件をきっかけに時代の空気が急速に悪化する、その瞬間を描くマイクロヒストリーの試み。遠い国の話ではけっしてない。

などと言われていますが、私は『言論抑圧』にはあまり感心しませんでした。
将基面氏の調べ方は極めて雑で、およそ「マイクロヒストリー」と呼べるようなものではないですね。

『言論抑圧-矢内原事件の構図』への疑問(その1) ~(その3)〔2014-11-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ea5b2f468d424f577a3b571c9007a17d
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f845d4872f82d1feb488e49909cd7502
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「立憲デモクラシーの会」(その2)

2015-06-12 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月12日(金)10時05分49秒

「立憲デモクラシーの会」の「呼びかけ人」を見ると、「共同代表」の奥平康弘氏は今年1月に亡くなられてしまいましたね。
「東京大学名誉教授・憲法学」といっても社会科学研究所の方ですが。
法学は共産党系の憲法学者の方もそれなりにいらっしゃるようで、政治学はよく知りませんが、私見では「日本の代表的知識人」とは呼び難い人も多いですね。
坂本義和氏(東京大学名誉教授・政治学)も去年10月に亡くなられましたね。
旧制高校関係の文献を探しているとき、『人間と国家―ある政治学徒の回想(上)』(岩波新書、2011)に旧制一高の寮生活が大変な分量で詳細に描かれているのに気付いて参考にはなりましたが、最晩年の回想にしてはバランス的にどうなのだろうと、いささか異様にも感じました。
経済学以下は本当に雑多な方々ですが、後藤健二・湯川遥菜氏の一件でイスラム国に身代金2億ドルを支払えと言っていた上野千鶴子氏のように、国家安全保障を論じさせてはまずい人も多いようですね。

文体・語彙から見て、「立憲デモクラシーの会」の設立趣旨は「共同代表」の山口二郎氏が起草したのでしょうが、民主党が政権を取ったとき、テレビで山口氏が「これは革命だ」とか叫んでいるのを見て、ちょっと精神的に不安定な人かなと思ったことがあります。

「立憲デモクラシーの会 呼びかけ人」
山口二郎(1958-)

>筆綾丸さん
上杉慎吉と長谷部恭男氏の最大の違いは、上杉が大変な美男子であったのに対し、長谷部氏はそうでもない点でしょうね。
容貌魁偉というか、ある種宇宙人的な不思議な顔をしていた美濃部達吉ほどではないですが。
『加藤周一と丸山眞男』は未読なので、早速読んでみます。

上杉慎吉(1878-1929)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Escape from homme(femme?) 2015/06/11(木) 17:32:10
小太郎さん
長谷部恭男氏を上杉慎吉に擬える話には驚きましたね。
地方にある国の機関はよく「合同庁舎」に入居しているので、ときどき見かける「〇〇合同法律事務所」は国の真似をしてるんだな、と思っていましたが、日本共産党系なんですか。初めて知りました。

--------------
私自身は、そのような認識(注:個人を憲法論の価値の根元とする認識)を意識的におしつめて憲法論を組立てようとしてきたが、それに対し、後続世代の憲法研究者からは、個人であろうとすることの「息苦しさ」、抑圧性を指摘する批判が、少なからず寄せられるようになっている。個人の自己決定よりは各人の帰属単位の中での共生に安らぎを見出すことは、なま身そのままの人間の本性でもあろう。漱石は「自己本位」の意義を説きながら「一人ぼっち」の「淋しさ」に耐える覚悟を求めたが、「個人」が建前として憲法上の承認を得た戦後の七〇年を経た今、改めて「個人からの逃走」が意識されてきたといえよう。(樋口陽一氏『加藤周一と丸山眞男』144頁~)
--------------
「後続世代の憲法研究者」がどれくらいの拡がりになるのか、わかりませんが、なるほど、面白い指摘ですね。

http://satlaws.web.fc2.com/0140.html
「自民党憲法草案の条文解説」には、「個人からの逃走」が随所にちりばめられていて、第13条において、「個人」を「人」に置き換えたものなどは「個人からの逃走」の典型のようですが、これが「一七八九年の「人 homme 及び市民 citoyen の諸権利の宣言」」(同書77頁)の人(homme)を踏まえているとは思えないですね。
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「立憲デモクラシーの会」

2015-06-11 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月11日(木)09時26分56秒

>筆綾丸さん
樋口陽一氏も長谷部恭男氏も基礎理論的なところはすごいなあと思いますが、集団的自衛権否定の論拠、特に立憲主義との関係をどのように考えるかが分かりにくい感じがして、ちょっと調べてみたいと思っています。
立憲主義に依拠する国の大半、というか日本を除く全ての国は集団的自衛権を認めているので、集団的自衛権を認めることが立憲主義に反すると言うためには論理的には相当なハードルがあるように思うのですが、憲法学者でも分かりにくい議論をしている人がけっこう多いですね。

毎日新聞に「立憲デモクラシーの会」という「昨年4月に設立され、樋口、石川〔健治東大教授〕両氏のほかノーベル賞を受けた理論物理学者の益川敏英氏など日本の代表的知識人約60人が呼びかけ人に名を連ねている」団体が東大で開催したシンポジウムの記事が出ていたので、その団体の設立趣旨を見てみたところ、

--------
しかし、安倍政権は、2つの国政選挙で勝利して、万能感に浸り、多数意思に対するチェックや抑制を担ってきた専門的機関――日本銀行、内閣法制局、公共放送や一般報道機関、研究・教育の場――を党派色で染めることを政治主導と正当化している。その結果現れるのはすべて「私」が決める専制である。この点こそ、我々が安倍政権を特に危険だとみなす理由である。

万能の為政者を気取る安倍首相の最後の標的は、憲法の解体である。

今必要なことは、個別の政策に関する賛否以前に、憲法に基づく政治を取り戻すことである。たまさか国会で多数を占める勢力が、手を付けてはならないルール、侵入してはならない領域を明確にすること、その意味での立憲政治の回復である。

などとあり、ずいぶん粗っぽい論理というか、殆どアジテーションの類ではないかと思いますが、樋口陽一氏も「呼びかけ人」だそうなので、こんな論理に本当に納得しているのか、ちょっと不思議です。
もっと分からないのはやはり「呼びかけ人」に名を連ねている長谷部恭男氏で、「設立趣旨」には、

-------
安倍政権は国会の「ねじれ」状態を解消したのち、憲法と民主政治の基本原理を改変することに着手した。特定秘密保護法の制定はその序曲であった。

特定秘密保護法に反対して街頭に出た人々など、日本にはまだ市民として能動的に動く人々がいる。
-------

などという表現がありますが、長谷部氏は特定秘密保護法に賛成していた人ですからねー。
「長谷部恭男」&「秘密保護法」で検索すると、例えば「新潟合同法律事務所」の齋藤裕弁護士は「秘密保護法推進の御用学者 長谷部恭男批判」と題して、

---------
しかし、安倍政権で秘密保護法を作るのが危険だと思っているのであれば、ちょうちん持ちをして秘密保護法推進のために国会で参考人として話をするべきではなかったのだと思います。長谷部恭男は、一旦有権者が政権を選んだら、その政権の決めることにはすべて従わないといけないと考えているようです。選挙がすべての政策を示して信任を問う場ではない以上、極めて不当な考え方だと思います。このレベルの民主主義観で憲法を教えているのかと思うと、おそろしく感じます。こんな人がトップランナーとされる日本の憲法学界の現状を憂えるしかありません。
長谷部恭男は、戦前のファシズムを後押しした憲法学者上杉慎吉と並び称されることになるであろうと信じて疑いません。

などと言われていますが、今回の衆院憲法審査会での長谷部氏の発言を踏まえて読むと、なかなか味わい深い意見ですね。
ちなみに「合同」の二文字が付く弁護士事務所は日本共産党系の弁護士さんが集まっている事務所ですね。
暮らしには特に役立たない法律ミニ知識ですが。

安保法制:憲法学者が不信感 シンポに1400人(毎日新聞)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

the mortal god 2015/06/10(水) 19:17:28
小太郎さん
http://www.heibonsha.co.jp/book/b186525.html
樋口陽一氏の『加藤周一と丸山眞男ー日本近代の〈知〉と〈個人〉』を読み始めたのですが、八十歳に近いというのに、なんて若々しいのだろう、とおどろきました。

-----------------
しかし、ホッブズ自身がリヴァイアサンをザ・モータル・ゴッド the mortal god 「死すことあるべき神」と呼んでいます。ーキリスト教支配、神の意思によって国家を説明するのに対する強烈な異議申し立てが彼の主張ですから、リヴァイアサンが新しい神になるわけですね、確かに。しかしこのゴッドはモータル、「死すことあるべき神」だったはずです。近代国家とはそういうものだった。(109頁~)
-----------------
国家の死滅はエンゲルスが初めて言ったと思っていましたが、ホッブスがすでに論理的に考察していたのですね。ニーチェのマニフェスト「神は死んだ」も、ホッブスのパクリですかね。

-----------------
ルソーのオムとシトワイアンの区別は、一七八九年宣言への論理を支えるものとなりました。もっとも、一七九一年憲法に始まる実定憲法がルソーをどう受け入れ、どう拒否するかは別に説明が必要です。ここでは、シトワイアンという観念がその後のフランスの歴史にどう投影するかを問題にしましょう。フランスの実定憲法のあり方がようやく安定するのは、フランス革命から百年後のいわゆる「第三共和国」の時期です。ここで、フランス的意味でいう「République」を、単に「共和国」と訳したのでは困るのです。そうかといって適当な訳語がない。 res publica という語源どおり「公の事柄」なのですが、リパブリック Republic のフランス語読みで、ここでレピュブリックというのは、決して王様や皇帝がいないというだけではありません。それに加えてさまざまな社会的権力からの、個人の自由を確保するために公権力としての国家が積極的な役割を引き受ける、そのことを内容にしています。さまざまな社会的な権力、お金の支配あるいは宗教の支配、場合によってはエスニックの単位、民族集団、こういうものはまさに丸山が、一番抽象的な用語で言うと「市民社会の制約」というところのものなのですが、こういうものが個人の自由な生き方を社会関係の中で妨げている。お金による圧迫、宗教による圧迫、それから自分が所属しているエスニックな単位からのアイデンティティーの押しつけ。個人の選択を許さない、集団単位のアイデンティティーの押しつけ。こういうものからの解放者の役割を、他ならぬ国家が買って出る。これがレピュブリックです。もちろん建前です。国家は当然たくさん悪いことをするわけですから、それをそのまま受け取ってはいけないのですが、少なくとも理念の国家はそうでなくてはいけない、そういう国家像が描かれる。そして、そのレピュブリックの担い手となるのが、まさしくオムと対比される意味でのシトワイアンなのです。(84頁~)
-----------------
(注:文中の圏点、一箇所省略)
http://www.independent.co.uk/news/world/europe/boost-for-sarkozy-as-ump-party-changes-its-name-to-the-republicans-10286171.html
http://www.lemonde.fr/politique/article/2015/05/30/avec-les-republicains-nicolas-sarkozy-enterre-l-ump-et-prepare-2017_4643962_823448.html#meter_toaster
党名がUMPから Les Républicains へと変更されましたが、 およそレピュブリック的でないサルコジの主導でなされたということは、とても象徴的ですね。与党は死語のPS(社会党)のままで、次期大統領選でPSが敗北することはフランスの既定路線ですね。
エマニュエル・トッドが罵倒する左派系の有名な新聞ル・モンドの標題は「サルコジはUMPを共和党(という党名で)で埋葬し、2017年(の大統領選)を準備する」という意味で、冒頭の一文「死亡公告が報じられた・・・」というのは、シラクが生みの親であるUMPが死んだ、という皮肉ですね。死亡時刻は5月29日21時23分で、大相撲好きの人がショック死しなかったのは、不幸中の幸いだったのでしょうね。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Parti_r%C3%A9publicain_(France)
Parti républicain と紛らわしいものがあります。
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「客観的な現象として神話というものの重要性はあるのです」(by 樋口陽一)

2015-06-10 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月10日(水)07時50分56秒

>筆綾丸さん
『論究ジュリスト』2015年春号の鼎談では、先に引用した部分の後に樋口氏が長谷部・南野氏間のやりとりを全く無視し、話題を元に戻して次のように言われています。

-------
樋口 神話に対しどう向き合うかというのがいまの話題ですが、客観的な現象として神話というものの重要性はあるのです。フランスでシラク政権のときに、環境憲章(Charte de l'environnement)を国会が憲法改正手続で議決して、それに憲法という規範的地位を与えました。そのときに、法律家でもあるロベール・ダンテール(元法相・憲法院長)が上院で大演説をして、私は到底賛成できない、なぜかというと、いま、私自身を含むあなた方は、1789年の革命家、それから1946年のあのレジスタンスを戦い抜いた英雄たちと同じ高みにいると思っているのか、と言うのです。その時点で憲法として承認されていたのは、1958年のテキストに加えて1789年の宣言と1946年憲法前文です。環境規定を議決することに反対はしないけれども、憲法に入れることはよろしくない、という主張なのです。
--------

こういう指摘がさらっと出てくることが樋口氏の魅力ですね。
私も別に安倍首相の憲法観を全面的に支持している訳ではなくて、というか集団的自衛権の議論をきちんと詰めておくことは大事だと思っているだけで、暫く前に出た自民党の憲法改正案みたいなものは勘弁してほしいですね。
日本国憲法の場合、フランスと異なり制定に関与した人々は別に「英雄たち」ではありませんが、少なくとも数百万の国民が亡くなるという未曾有の事態を経験した人々ではあるので、その時の判断を「同じ高み」にいるとは思えない今の我々が全面的に覆すべきではなく、一部改定ないし「解釈改憲」で対応すれば十分だと思います。

『論究ジュリスト』の鼎談を最後まで読んで一番不思議なのはいったい何のために南野森氏が参加していたのかということで、先に引用したのとは別の箇所でも、長谷部氏は南野氏の発言を受けて、「樋口先生がおっしゃっているのは、もっと根底的なところが揺らいでいるのではないかという話ではないかと思うのです」(p12)と言われていますが、これは要するに「お前は馬鹿だな」という意味ですね。
南野氏もフランス留学の経験があるそうですが、それにしては殆ど全ての発言にそこはかとない無教養な雰囲気が漂っていて、やっぱりアイドルと共著を出すような人は駄目ですね。
日本国憲法の条文を全部暗誦できるアイドルにはジンム・スイゼイ・アンネイ・・・と歴代天皇の名前を全部暗誦できる五歳の天才少年みたいな素晴らしさを感じますが、まあ、教育者であれば憲法の条文などよりもっと大切なことを覚えるように指導すべきじゃないですかね。

※筆綾丸さんの以下の投稿へのレスです。

ブラタモリー鎌倉 2015/06/09(火) 22:36:00
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E9%99%BD%E4%B8%80
樋口陽一氏の著作は読んだことがなく、ちょうどいい機会ですので、私も読んでみようかと思います。「英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語等の語学に堪能」とあり、大変なポリグロット(polyglot)でもあるのですね。

http://ヨルタモリ.jp/buratamori/20150509kamakura-258
http://kamakura-arc.org/index.php/component/content/article/85-tyuumoku/103-hanpu.html
NHKのブラタモリ「鎌倉その1」(5月19日)の録画を見ました。
前半は高橋慎一朗氏 (東京大学史料編纂所)が古地図を中心に浄光明寺の説明をしていて、後半は上本進二氏(神奈川災害考古学研究所)が和賀江嶋の解説をしていたのですが、「わがえ」と発音していました。ブラタモリのサイトでは、正確に「わかえ」と清音表記になっています。
鎌倉考古学研究所のホームページに、江の島と和賀江嶋の写真があるように、江の島の「わこ(和子・若子)」だから「和賀江嶋」とされたのであって、「賀」はあくまで嘉字にすぎず、「か」と発音すべきものですね。地元の人が「わがえ」と濁音にしたら駄目だろう、と思いました。
それにしても、タモリは頭の良い人ですね。
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「いっぱし」 の憲法学者

2015-06-08 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 8日(月)22時46分25秒

>筆綾丸さん
なるほど、「いったん」ではなくて「いっぱし」ですか。
一度思い込んでしまうとなかなか抜け出せないですね。

南野森氏の論文、というかエッセイ的なものをいくつか読んでみましたが、あまり参考になりませんでした。
長谷部氏の考え方はある程度理解できたので、次は長谷部氏の師匠である樋口陽一氏の著作を当たってみようと思っています。
樋口陽一氏はウェーバー翻訳で名高い世良晃志郎に学んだ人で、またフランス史の二宮宏之氏と親しかったそうなので、昨年来の関心といくつかの接点が出てきそうです。
次の投稿は少し遅れるかもしれません。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

百人一首 2015/06/08(月) 18:01:23
小太郎さん
船田氏は「政界失楽園」でこけましたが、めげずに復活したものの、今度の件で党内の失笑を買い、未来はもうないかもしれませんね。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/index.htm
http://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/gaiyo/index.html
衆議院憲法審査会なんて聞いたことないな、と思いましたが、たんに私の不勉強で、衆参ともども新しい機関なんですね。

ご紹介の南野氏のサイトに、
---------------
私など、大学で憲法を教えるようになってもう10年が過ぎたというのに、たった103条しかない憲法でさえ、その条文のすべてなど、いまだに覚えてはいない。
---------------
とありますが、謙遜かどうか不明ながら、「小倉百人一首かるた全国大会」の出場選手を見習ってほしい気もします。ただ、百人一首と相違して、憲法の条文など、さほど名文でもなく、また、いつ変更されるかわからぬので覚えても無駄、というような意識・無意識があるのでしょうね。

「一端の国会議員」は「人並みの国会議員」と言いたいのでしょうね。

http://www.waseda.jp/law-school/jp/about/faculty/profile/hasebe.html
長谷部氏は、「私の場合は、もともと学問的貢献をしておりませんので、これは早期退職する理由になりません」と茶化していますが、その伝でゆくと、早大に転じたのは学問のためではなく教育のため(早大では学問はしない)、ということになりますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%BC%E5%AD%90%E4%B8%80
むかし、兼子一という偉い先生がいましたが、五十歳で退職したのは学問的にやるべきことがもはやなくなったから、というのが理由だったそうですね。
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「長谷部先生は、世の中の上澄みの部分を見ておられる」(by 南野森)

2015-06-08 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 8日(月)09時52分3秒

『論究ジュリスト』2015年春号(有斐閣)の「特集 憲法の状況」に長谷部恭男・樋口陽一・南野森氏の「鼎談 いま考える『憲法』」が載っていますが、そこに次のようなやり取りがあります。(p9以下)

-------
南野 (前略)しかし、一般的に世の中から憲法学者がどのように見られているかということで言いますと、おそらく政治運動をやっている人が多いと見られているでしょうし、憲法学者は法律学者とはかなり違うと見られているでしょう。そういう意味では、言葉は悪いですが、馬鹿にされているというのが、日本における憲法学者の置かれた状況なのだろうという気がいたします。
長谷部 セルヴランさんの評価と違いますね。
南野 intellectuel というふうな尊敬があったのは、いつまでかわかりませんけれども、少なくとも最近のネット上の言論、メディアなどを見ると、憲法学者の地位というのは相対的に低くなっているのではないか。例えば統治構造改革をするというときに憲法学者の意見を聞こうとか、あるいは憲法改正問題について憲法学者の意見を聞こうということが、日本では相対的には十分なされないことが多いと思います。これは政権与党から憲法学者が御意見番として意見を聞かれるという関係が、例えばフランスのようにはないからなのだろうと思います。憲法学者はみんなアンチ権力で、プロ人権でというようなイメージが非常に強い世の中になっているような気がします。
長谷部 それは、情報源が偏っていないですか。
南野 それはそうかもしれません。ただ、最近の若い人が活字を読まないとか新聞を読まないというところはあるのだろうと思いますが、そうでないという印象を持たれる長谷部先生は、世の中の上澄みの部分を見ておられるような印象があります。
長谷部 ネット上で匿名で、気に食わない人たちを密告・糾弾してスッキリするという人たちの発言は、私は見ませんので、そこは違うかもしれません。
南野 国会議員でもそうではないですか。匿名のネットの変な人たちではなく、一端の国会議員であるはずの人たちが、憲法学者に憲法の問題について真面目に意見を聞こうと思わないという、そういう状況になっているような気がします。
長谷部 しかし、国会の憲法審査会で、憲法学者を呼ばないということはありませんし、各政党はそれぞれ憲法学者の意見を、折々聴取していると思いますが。
南野 それがどのくらい実質的な意味を持つのか、正直よくわかりません。私は、憲法学者の地位が、とみに最近の日本社会では低くなっているという気がします。
--------

「一端の国会議員であるはずの人たち」という表現は意味が分かりませんが、「国政の一端を担うはずの国会議員の人たち」ということでしょうか。
ま、それはともかくとして、「政治運動をやっている人が多い」「憲法学者は(普通の)法律学者とはかなり違う」「馬鹿にされている」はその通りだと思いますが、南野氏はそれを比較的最近の現象と考えているようですね。
この点は私は全然見方が違っていて、憲法学者は昔から「馬鹿にされている」と思います。
南野森氏は何故かプロフィールに生年を書かれていませんが、1994年東大法学部卒ということなので、1972年生まれですかね。
そうであれば私とちょうど一回り違います。
群馬県でのんびり育ち、高校時代はせいぜい岩波新書を読む程度の教養しか持たなかった田舎者の私にとって、岩波『世界』に論文を寄せるような憲法学者たちは畏敬すべき存在でしたが、一浪して1979年に東大教養学部文科一類(法学部進学コース)に入ってみると、東大法学部の中で憲法学者が「馬鹿にされている」のにかなりびっくりしました。
ま、統治機構や人権の議論で憲法学者が馬鹿にされるはずもなく、馬鹿にされる原因の筆頭は憲法9条ですね。
これは東大だけの現象ではなく、呉智英も早稲田でいかに憲法学者が馬鹿にされているかについて、どこかで書いていましたね。

長谷部氏と南野氏の認識の違いは、憲法学者一般の問題ではなく、「情報源が偏って」いるからでもなく、学者としての個人的力量の違いの反映であるような感じもします。
長谷部氏の著作を読んだ人は、政治的立場や思想の違いを感じることはあっても長谷部氏の頭の良さは評価せざるをえないと思いますが、AKB48のアイドルと共著を出しているような南野氏を高く評価するのはなかなか困難ですね。
ま、読んだことはありませんが、そんな本を読むのはたぶん人生の無駄遣いなので、読みたいとは思いません。

『論究ジュリスト』2015年春号
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641213135

『憲法主義 条文には書かれていない本質』(内山奈月・南野森、PHP、2014)
憲法を暗唱するアイドルと気鋭の憲法学者による1億人のための憲法講義
もしも国民的アイドルが日本国憲法を本気で学んだら……。
http://www.php.co.jp/kenposyugi/minamino_message.php

※(追記)
読まずに批判するのは良くないなと思って、暫く後に『憲法主義』を読んでみました。
その感想はこちら。

「井上毅の評価」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dd8c67a5d6e06b6243d6e78ec1eef1a1

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「是非ご教示賜りたい」(by 南野森)

2015-06-08 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 8日(月)07時07分40秒

先の弁護士ドットコムの記事の中に、

-------
菅義偉官房長官は同日夕方の記者会見で火消しに動き、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と断言した。一方で、憲法学者の南野森・九州大教授は《菅官房長官によれば、「全く違憲でない」と言う「著名な」「憲法学者」が「たくさん」いるらしい。是非ご教示賜りたい。》とツイートした。
-------

とありますが、まあ、南野森氏の言われるように、「全く違憲でないという」「著名な」「憲法学者」は「たくさん」はいないでしょうね。
ただ、もともと「著名」な「憲法学者」たちは1990年代になるまで自衛隊が違憲だと言っており、冷戦が終わってから長谷部恭男氏のような異端の学者が自衛隊合憲論をちらほら語るようになった訳ですから、現実に国家の責任ある立場にあって安全保障を支える人々にとって「著名」な「憲法学者」たちはずいぶん奇妙な存在だった訳です。
南野森氏が「南野的憲政論評室」で書かれているように、個別的自衛権を認めることと自衛隊合憲論は理論的には別ですが、そうかといって実力装置を否定しておいて個別的自衛権を認めると言っても現実的には何の意味もありません。
仮にソ連や中華人民共和国等の軍隊が日本に侵攻してきた場合、「著名」な「憲法学者」たちが日本には個別的自衛権がありますと叫んでも、軍隊は引き返してはくれません。
要するに「著名」な「憲法学者」たちは実質的に個別的自衛権否定論者であり、国家安全保障に全く無責任で役に立たない人々だった訳ですから、集団的自衛権に関しても、そんな人たちのご教示を賜ったところで何か良いことがあるのだろうか、という感じはしますね。
まあ、集団的自衛権が必要だと考える立場の人々が政権を取った場合、「著名」な「憲法学者」たちを無視して集団的自衛権に関する法整備を進め、数十年経ってから「著名」な「憲法学者」たちの一部に集団的自衛権合憲論者がちらほら現われるのを期待するとしても、それはそれで歴史の教訓を生かしたことになるんじゃないですかね。

「現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはない」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/minaminoshigeru/20140307-00033318/「南野的憲政論評室」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/minaminoshigeru/

私はずっと「なんの・もり」かと思っていましたが、「みなみの・しげる」だそうで、「森」を「しげる」と読むのはキラキラネームっぽいですね。

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<憲法学者の中でも「個性的」な人物>(by 弁護士ドットコム)

2015-06-07 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 7日(日)15時09分30秒

>筆綾丸さん
>春子さんと秋子さん
まあ、名前がお見合いのきっかけになった程度の話ではないですかね。
家庭裁判所での改名手続きは非訟事件ですが、多くの判断の例を整理すると

--------
正当な事由とは,名の変更をしないとその人の社会生活において支障を来す場合をいい,単なる個人的趣味,感情,信仰上の希望等のみでは足りないとされています。

とのことですから、季節の名前が多い一族の人と結婚する、ではまず駄目でしょうね。

>なぜ長谷部恭男氏を呼んだのか
「弁護士ドットコム」というサイトで長谷部氏の発言内容が紹介されていますが、もともと立憲主義についての意見を述べるために呼ばれたそうで、実際に大半は立憲主義に関する説明ですね。
また、長谷部氏は衆議院法制局が提案し、それを自民党の船田元・憲法改正推進本部長が承認したようです。
衆議院法制局の人はもちろん長谷部氏の学説を熟知していたはずですが、立憲主義というテーマだったら人選としておかしくはないので、別に衆議院法制局の誰かが悪意を持って船田氏を引っ掛けたという訳ではなく、単に「後半の議論が安保法制になったのは予想外だった」と言い訳した船田氏が政治家として無能だっただけみたいですね。


弁護士ドットコムの記事に<長谷部教授は2014年3月まで東大で教授を務めており、90年代に自衛隊合憲論を唱えたり、2013年12月成立の「特定秘密保護法」に賛成を表明するなど、憲法学者の中でも「個性的」な人物とされている>とあるように、憲法学会では憲法制定以降、半世紀に亘ってずっと自衛隊違憲論が正統で、90年代になってやっと異端の学説がチラホラ出てきたという状況ですから、まあ、憲法学者の多数が集団的自衛権に反対していること自体は仕方ないですね。
私は左翼の人たちからファシスト呼ばわりされている安倍さんがけっこう好きなので、逆境にめげず、頑張ってほしいなと思います。
わはは。

長谷部氏の名前で検索してみたら、同氏が定年前に東大法学部・大学院法学政治学研究科を退職するに際しての挨拶文を見つけましたが、シニカルで面白いですね。

--------
退職に当たって

 私は1993年に助教授として着任しましたので、計21年間にわたって本研究科にお世話になったことになります。この間、本学の一員でなければおそらくは経験することはなかったであろうと思われるようないろいろな経験を積ませていただきましたが、反面、私が本研究科ないし大学全体に貢献し得たことは微々たるもので、今後もその量が減少しこそすれ、増加する見込みはまずないことにかんがみ、この度早期退職することといたしました。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

与党参考人 2015/06/05(金) 22:17:00
小太郎さん
http://namaehenkou.com/
https://www.google.co.jp/webhp?hl=ja&gws_rd=cr&ei=Kp1xVem_DuTAmwWw6oDQCg#hl=ja&q=stare+decisis+%E6%84%8F%E5%91%B3
春子さんと秋子さん、二人も並ぶと偶然とは思えなくなりますが、入籍前に改名したというような可能性はないでしょうか。
-----------
改名の手続根拠は、戸籍法第107条第2項に規定されている「正当な事由によつて名を変更しようとする者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない。」としています。この正当な事由があるかどうかは、家庭裁判所の裁判官が判断致します。同じ事由であっても、裁判官の裁量次第で、許可される事、されない事があります。裁判官の裁量によるところが大きいと云うことです。
-----------
これを読むと、改名はどうにでもなるような感じですね。通常の裁判とは違い、先例拘束性(stare decisis)のような法理はおそらくないでしょうから。渡邉家には、正当な事由があると言えばあるし、ないと言えばないし・・・。

http://www.moj.go.jp/KANBOU/KOHOSHI/no30/two.html
某BSのテレビで、経済の特集なのに「アジ研」と聞こえたのすが、渡辺武が初代総裁を務めた「アジ銀(アジア開発銀行)」の聞き間違いでした。
アジ研は「正式名称は『国連アジア極東犯罪防止研修所』といい,海外では,その英語表記の略称であるUNAFEI(ユナフェイ)という名前で親しまれています」とありますが、UNAFEI(ユナフェイ)という名前は、ほんとに海外で親しまれているんですかね。日本人はほとんど誰も知らないが、海外ではたいへん有名で・・・。
The United Nations Asia and Far East Institute for the Prevention of Crime and the Treatment of Offenders (UNAFEI)という英文は、UNAFEI が The United Nations Asia and Far East Institute の略称だと知れても、for 以下が含まれていないので、UNAFEI だけでは何の研究所なのかわかりませんね。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150604/k10010102971000.html
なぜ長谷部恭男氏を呼んだのか、謎ですね。著書をいくつか読めば、憲法違反と言うだろうことくらい、わかりそうなものですがね。出来損ないの喜劇のような塩梅です。内閣法制局を中心に練りに練った法案だから、学者の寝言などどうということもない、ということでしょうか。であれば、こんな憲法審査会など税金の無駄だから止めればいいのに。
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「就職目当ての論文が多すぎるのではないか」(by 犬丸義一)

2015-06-05 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 5日(金)07時45分17秒

前にも書きましたが、歴史学研究会はそもそも「学者の集団」ですらなく、単なる雑誌購読者の集合体ですね。
「入会案内」によれば「会員種別にはA会員:会費10,700円(会誌・月報・大会増刊号含む)、B会員:会費8,800円(会誌・月報のみ)」があるそうですが、その違いは月刊の機関誌『歴史学研究』の他に、年一回の臨時「大会増刊号」を購入するか否かだけですね。

入会案内

ま、そうはいっても質的な面で重要なのは論文を執筆する専門的な歴史研究者層ですが、この人たちも特定の思想・世界観に立脚・共鳴して論文を投稿している訳ではなく、その動機の大半は「就職目当て」ですね。
古参の共産党員でもある犬丸義一氏の見解を少し紹介してみます。(『歴史学研究』第879号、2011年5月、リレー討論「歴研創立80年に向けて」第1回、「戦後歴史学のあゆみと私の歴史研究」p41)

------
(編集部:歴史学研究の現状、歴研についてのお考えをきかせて下さい。)
 就職目当ての論文が多すぎるのではないか。(生存権を確保しようとする努力だから否定しないが。)石母田正氏も言っていたように、個別論文は、あくまで全体史を解明するための「鍵」として書かれるべき。(中国語で言うならば、全体史解明のための「環節」。中国では「史的唯物論の諸環節」といった表現をする。)『歴研』は個別史学会誌ではないのだから、全体史、総体史を解明しようとする問題意識、論理性が不可欠なのではないか。大会テーマは評価しているが、通常号がそれとは遊離しているのが残念である。書評はなかなか勉強になると思っている。だから会員でなければならないので、止めるわけにはいかない。
------

まあ、「全体史、総体史を解明」とか言われても、若手の研究者は鼻白むか、あるいは何を言っているのかさっぱり分からない、という反応になりそうですね。
そんな昔話より自分の「生存権を確保」する方がよっぽど重要ですからね。

「運動も結構だが勉強もして下さい」(by 坂本太郎)

>筆綾丸さん
昨日、閉館間際の図書館で、内容も確かめないまま『平成新修旧華族家系大成』の渡邉伯爵・渡邉子爵家の部分をコピーし、今朝になって眺めてみたら千夏さんがいました。
渡邉千秋(宮内大臣、伯爵)には男子4人、女子3人、計7人の子がいて、千春が伯爵家を継ぎ、千冬が千秋の弟の国武(逓信・大蔵大臣、子爵)の養子となって子爵家を継ぎますが、千春・千冬の妹に千夏さんがいて、親子で綺麗に四季がそろっていますね。
ま、ここまでは、もしかしたらということで一応想定内だったのですが、奇妙なのは千春の息子、昭(貴族院議員)の夫人(旧姓小畑)が春子さん、昭の息子の允(まこと、ヨルダン大使・外務省中近東アフリカ局長・外務省儀典長)の夫人(旧姓飯田)が秋子さんで、渡邉伯爵家四代の当主二代と当主夫人二代を並べると、千秋・千冬・春子・秋子となります。
四季にこだわる渡邉伯爵家には、当主夫人は四季の一字が入った女性を選ぶべし、という家訓でもあるのですかね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

師雪と師寒の兄弟愛 2015/06/04(木) 14:51:19
小太郎さん
渡邉一族の四季は、室町期の高一族の師春・師夏・師秋・師冬を連想させますね。
一族が繁栄すると、旧暦から勝手に偏諱を賜って、師睦、師如・・・師走(読み方不明)となり、それでも足りなくなると、二十四節気も同様にして、師雨・・・師雪、師寒と続くはずだったのでしょうね。残念ながら、途中で滅びてしまいましたが。師雨、師雪、師寒などは、我が帝国海軍の駆逐艦の源氏名(?)のような風情がありますね。

確認すると、渡辺慧がエントロピーについて多く言及しているのは『生命と自由』(岩波新書)のほうで、『認識とパターン』(岩波新書)ではあまり出てこないですね。渡辺慧は井筒俊彦に似ているところがありますね。

----------------
・・・(パタンという言葉は)フランス語のパトロンという言葉から来たということになっています。フランス語では、普通の意味でいう、いわゆるパトロンという意味と、型紙という意味と両方を今でも一語で表わしますが、英語になるとき、二つに分れて、パトロンという英語と、パタンという英語になったというわけです。
 ところで、パトロンという観念と、パタンという観念が一つの言葉で表わされていたということは、興味あることです。パトロンということは、主人とか、親方とかいう意味はもちろんのこと、守護者、守護神、守護聖人というような意味も含まれています。つまり、パトロンというのは、何かお手本になるものであって、我々が、従い、模倣し、追従するというような意味あいです。そう考えれば、型紙、すなわちパタンも、一つのお手本であり、典型であって、我々が、それに倣って次のものを作るのでありますから、一つの言葉で表わしても不思議ではありません。(中略)
これは、少しまた脱線になりますが、ちょっと気がついたので書いておきますが、フランス語でレストランのパトロンといえば店の亭主ですが、英語でレストランのパトロンといえば店の顧客の意味になります。なぜでしょうか、少しかしこまっていえば、封建的残滓と商業主義の違いだともいえましょうが、まあ、フランス語では、英語でボスというところをパトロンという習わしになっていますので、亭主をパトロンというのはあたりまえでしょう。一方、アメリカなどでは、金の出所が守護神だから、これをパトロンというのは無理もないことでしょう。(『認識とパタン』11頁~)
----------------

偏諱とはパトロンより賜うパタンであり、唯名論的(nominaliste)な刺青であり、余程の事情がないかぎり、détatouage(デタトゥアージュとはデリダ的な脱構築の一種で、脱青<青を脱ぐ>と訳されることがあるが、あまり良い訳ではない)は許されないが、できないこともない。
http://www.centrelasersorbonne.com/Detatouage-et-Laser.html
パリ五区、カルチェ・ラタンの一画、ソルボンヌ大学の直ぐ近くには、Centre Laser Sorbonne といって、学校帰りの derridien たちが憩う場所があるが、この頃はあまり流行らない。若者が哲学にかぶれなくなったせいかもしれない。

唯物史観はすっかり détatouage されて、というか、dérougissement「デルジスモン(脱赤)」されて、昔日の面影はない、といったところでしょうか。
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渡邉一族の四季

2015-06-04 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 3日(水)23時49分40秒

16団体声明のようなニュースを聞くと、ネット界隈では、主導した歴史学研究会は左翼の集まり、まるくす主義者の集団だあ、みたいなことを言う人も多いですね。
例えば池田信夫氏は、

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歴史学研究会は、唯物史観を信じる歴史学者の集団である。私が大学に入ったとき、西洋史の先生が歴研の幹部で、岩波書店が歴研の機関誌を出すのをやめたことを批判し、岩波の「右傾化」を延々と語ったのを思い出す。彼の講義のテーマは「発展段階論はいかにして各国に適用できるか」だった。

と言われていますが、この「西洋史の先生」のエピソードは興味深いものの、「岩波書店が歴研の機関誌を出すのをやめた」のは1959年であって池田氏の大学入学の14年も前の話であり、また、岩波が離れた原因は金銭トラブル(累積赤字の処理)と、それをめぐる感情のこじれ(歴研側の一部の傲慢な発言に岩波の重役・小林勇が激怒)であって、思想的対立ではありません。
まあ、朝日新聞に出ていた歴研・久保亨委員長(信州大学教授)の「少数の左翼や右翼ではない、標準的な歴史学者の多数の意思だ」という表現はいささか白々しい感じもしますが、かといって歴史学研究会全体が左翼集団、「唯物史観を信じる歴史学者の集団」だというのも明らかな誤解ですね。
草創期や再建期には色々あったにせよ、熱い政治の季節は遥か昔に終わり、今や就職を目指す若き研究者たちの大半にとって『歴史学研究』は自己の存在を業界にアピールするためのツールに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないですね。
なお、歴史科学協議会は歴史学研究会とは発足の事情が異なり、現在でも体質の違いは残っているので、外部から「唯物史観を信じる歴史学者の集団」的に見られても仕方ない面はありますね。

>筆綾丸さん
>渡辺慧
四歳上の兄、渡辺武は伊藤隆氏の『歴史と私』に出てきますね。(p168)

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 尚友ブックレットには、『渡邉武談話』、『渡邉昭(あきら)談話集』、『〔貴族院〕憲法改正案特別委員会小委員会筆記要旨─日本国憲法制定史の一資料─』、『松本剛吉自伝「夢の跡」』なども含まれています。史料を見せていただくなどでお世話になった渡邉武氏は子爵渡邉千冬の息子で、「昭和天皇最後の御学友」と言われる渡邉昭氏は伯爵渡邉千春の息子、どちらも伯爵渡邉千秋の孫にあたります。両氏のインタビューの聞き手は私が務めました。
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渡邉一族は本当に秀才だらけですが、千秋・千冬・千春と続くと、一族には千夏もいたのかな、というしょうもない疑問が湧いてきますね。
後で霞会館の『平成新修旧華族家系大成』を見なければ・・・。

渡辺武(1906-2010)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

シーメンスの時計 2015/06/03(水) 14:19:35
小太郎さん
渡辺慧はあの時代の物理学の巨匠達(ド・ブロイやハイゼンベルクやボーア)と親交があり、仁科芳雄の弟子とのことなので「ニ号研究」にも関与したと思われますが、保阪正康氏の『日本原爆開発秘録』には出てこないですね。とにかく天才的な人だったようですね。

むかし、『認識とパタン』(岩波新書)を読んだときは、よくわからなかったのですが、「人間のパターン認識はエントロピー最小化原理に基づく情報の圧縮であることを明らかにする」とあり、いかにも熱力学の第二法則の専門家らしい書だったのですね。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167903756
万城目学・門井慶喜両氏の『ぼくらの近代建築デラックス!』を読み始めたのですが、面白い本ですね。京都大学時計台について、こんな会話があります。(58頁~)
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万城目 去年、時計台の下の記念ホールで講演会をやらしてもらいまして、じつはそのときこの時計台の中をこっそり見学させてもらったんです(一般の見学者は立入禁止)。
門井  いいなあ。
万城目 というのもこの時計台、一日に三回鐘が鳴るんですが、京大の総長が塔に登って鐘をついてるという根強い噂がございまして。
門井  ハハハハ、京大らしい。
万城目 で、せっかくの機会なんで、あの噂はほんまですかと職員の人に訊いたところ、いえ違いますって。
門井  訊いたんだ。
万城目 じゃあ中を確かめますかと誘われて、お言葉に甘えて螺旋階段を上ったところ、総長ではなくてドイツ・シーメンス社製の巨大な制御盤が時計を動かし、鐘を鳴らしているという真相をつきとめました。中心の制御盤から四本の軸が延び、ぐりぐりっと動いて四方の時計の針が動く。時計台がつくられたのが大正十四(一九二五)年ですから、八十五年もの間、同じメカニズムで動いてるんです。
門井  一度焼失したのを、京大の初代建築学科教授であった武田五一の設計で再建したのが現在の時計台ですね。
万城目 そういう歴史のあるシーメンス社の時計を、いまメンテナンスできる人が一乗寺に住んでいる電気屋さんのおじいさんひとりだけなんだそうで、その方が引退したらどうなるかわからない。
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http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/president/message.html
現在の京大総長はゴリラ学が専門なので、アフリカで鍛えた足腰でもって、一日に三回くらい、楽々と上り下りできるでしょうね。一乗寺のおじいさんが引退したら、総長の資格に、一日三回、時計台に登り鐘を鳴らすこと(つまり、総長にはなりたいが、あんなところに毎日登るのはイヤだ、というような無精で愚痴の多い老人は除く)、というような条件をつければ京大らしくて面白くなるだろうな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80
連続テレビ小説『ごちそうさん』は見ませんでしたが、武田五一がモデルなんですね。「ちなみに、五一という名は、五番目に生まれた長男だからだそうです」(83頁)。
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「アンパニウスかく語りき」(by 渡辺慧)

2015-06-02 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 2日(火)10時21分31秒

>筆綾丸さん
>御茶ノ水駅近くにあったある立派な邸宅
これは多分『移りゆくものの影 一インテリの歩み』(文藝春秋新社、1960)に出ていたはずなので、去年、図書館でコピーしたものを見てみましたが、当該部分はコピーの対象外でした。
また、後で確認してみます。
林氏のエッセイはとぼけた味わいがあって、なかなか面白いですね。
清水幾太郎が主宰していた「二十世紀研究所」に関する箇所を少し抜書きしてみます。(p196以下)

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 向坂氏との出会いは、私が共産党的なものからはっきり訣別する重要な契機になったものであるが、これと同じ位重要な事件は私が「二十世紀研究所」に加入したことであろう。向坂氏から訪問を受けたのとどちらが先だったかはっきり記憶しないが、丸山真男氏が同じく同窓会館の住居に私を訪ねてきた。何の前ぶれもなく庭から入って来て、縁側で立話をして帰って行ったが、彼も兵隊靴をはいていたからきっと軍隊に行っていたのだろう。これも会って口をきくのは最初だったが、存在は互いに認識していたし顔も知っていた。だから清水幾太郎氏がつくった「二十世紀研究所」に入らないかという勧誘は何の躊躇もなく引受けた。向坂氏の訪問を受けた時のようなショックはなかったのである。
(中略)
 「歴史科学研究所」は、研究所そのものはなくなってもその後に結束の固い集団を残したが、「二十世紀研究所」はその後単に消滅したばかりでなくそのメンバーは全く思い思いの途を辿り、文字通り空中分解の有様である。後年日本の思想界に稀有の波紋をまき起こした福田恒存氏の「平和論への疑問」が、別に清水氏を目標としたものではなかったにもかかわらず、結果的には清水氏に対する一大痛棒になったことがこれを最もよく示している。清水幾太郎氏と福田恒存という現代日本思想界の対極にいる二人が当時は共に同じ「研究所」にいたのだ。この二人ばかりではない。さきに名前をあげた人々は、今日何と別々のところで働いていることであろう。
 今日最も離れたところにいるのは─これは下手なしゃれみたいなことになるが─今アメリカで大学教授になっている物理学者の渡辺慧氏である。この人は旧貴族議員子爵渡辺千冬の御曹司で、フランス留学中ドイツ婦人と結婚していたから夙にコスモポリタン的性格を持っていた。戦争中は理研にいた仁科芳雄博士の弟子で、武谷三男氏などの仲間であったらしい。自然科学者らしい合理主義者で、また英独仏何でもペラペラというすばらしい語学の天才であるが、同時にしんの強いクリスチャンでもあった。こういう氏にとって、徳田球一の号令一下鉄の規律で行動する共産党は嘗ての特攻隊と少しも変わらぬものと見えたであろうし、唯物弁証法などという古くさい形而上学は唐人の寝言としか考えられなかったろう。「唯物論などと言うけれど、宇宙の本質は物質だなどということがどうして証明出来るか。一体唯物論者は物質そのものの研究を本当にやったことがあるのか」と言って原子物理学の話などをしたが、私にはわからぬながらもっともと思われた。その頃いつかラジオで一緒に座談会をした時、氏はフランスの学者アンパニウスが最近発表した説だと言って、第四階級(プロレタリアート)の次には第五階級(技術者)の時代が来る。だから今は第五階級の解放を叫ぶべき時だという話をした。これは私も納得しかねたが、後になってアンパニウスとは氏が高等学校時代の自分の綽名「餡パン」から思いついた架空の人物だと聞いてこれには唖然とした。この放送を聴いた人の中から、アンパニウス氏の本を読みたいから名前を教えてくれという投書が大分来たそうであるが、ラジオで堂々とこういう出鱈目話をする心臓は驚歎すべきものである。しかし丸山真男氏などは不真面目だと言って憤慨していた。また氏は岩波の雑誌「思想」から頼まれた原稿に「キューイチ天皇代々木に鎮座まします」などと書いて掲載を拒絶されたこともある。
-------

少しといいながら随分長めに引用してしまいましたが、一番面白いのが「しかし丸山真男氏などは不真面目だと言って憤慨していた」なので、最初の丸山真男との出会いも紹介しない訳にはいかないですね。
アンパニウスを知らなかった丸山真男は、自他共に認める超一流知識人としての意地と面目にかけて必死にアンパニウス情報を探したのでしょうね。

渡辺慧(1910-93)

>闇サイトのようなアブナイ雰囲気
黒はアナーキストの色ですから、共産党周辺の人が使ってはまずいですよねー。

>すでに二度にわたってヨーロッパ大陸を決定的な危機に晒した国
ルターの宗教改革を入れると三度かもしれないですね。
『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』、早速読んでみます。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

『ラプラスの魔女』の暗い影 2015/05/31(日) 12:31:03
小太郎さん
http://nikolaido.jp/
林健太郎『昭和史と私』にある「御茶ノ水駅近くにあったある立派な邸宅の庭園」とは何処なのか、気になりますね。ニコライ堂の周辺でしょうか。

「民科」の初代会長は数学者の小倉金之助とのことですが、どうでもいいことながら、むかし、『日本の数学』(岩波新書)というのを読んだことがあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8C
松尾尊兌の「兌」は兌換紙幣の「兌」かと思いましたが、八卦の一つで、由緒正しい語なんですね。

「京都民科歴史部会」サイトは、闇サイトのようなアブナイ雰囲気がありますね。

http://www.kadokawa.co.jp/higashinokeigo/laplace/
東野圭吾『ラプラスの魔女』に、甘粕という非道な人間が出てきますが、小説の内容はさておき、この姓を選んだ作家の心理に大杉事件の甘粕正彦があったのか、妙に気になりました。上杉氏の家臣である甘粕を意識したとは思われない。

第四帝国( Das Vierte Reich )? 2015/05/31(日) 16:18:13
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784166610242
『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』とはなんとも挑発的な題名で、トッドの言説は相変わらず過激です。ただ、トッドが言いたいのは、ドイツ(第四)帝国がヨーロッパを破滅させるかもしれない、ということであって、世界とまでは言っていないですね。この人の germaphobie は筋金入りのようです。導入当初からユーロに反対で、近い内にユーロは崩壊すると言っています。トッド(Todd)のドイツ嫌いは、名字にドイツ語の Tod(死、死神)が含まれているせいかな、と錯覚させるものがありますね。
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・・・ドイツはまさに問題なのだ。フランスの政治家たちは、自国の民衆や中小企業に対してあんなに苛酷なくせに、仏独友好については今でもまだクマのぬいぐるみを抱いて遊んでいるような段階に止まっている。
 しかしドイツは、すでに二度にわたってヨーロッパ大陸を決定的な危機に晒した国であり、人間の非合理性の集積地の一つだ。ドイツの「例外的」に素晴らしい経済的パフォーマンスは、あの国がつねに「例外的」であることの証拠ではないか。
 ドイツというのは、計り知れないほどに巨大な文化だが、人間存在の複雑さを視野から失いがちで、アンバランスであるがゆえに恐ろしい文化でもある。
 ドイツが頑固に緊縮経済を押し付け、その結果ヨーロッパが世界経済の中で見通しのつかぬ黒い穴のようになったのを見るにつけ、問わないわけにはいかない。ヨーロッパは、二〇世紀の初め以来、ドイツのリーダーシップの下で定期的に自殺する大陸なのではないか、と。(142頁~)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%9A
翻訳者はフランス文学・思想が専門とのことで、Alain Juppé をアラン・ジュッペとしてますが(151頁、190頁、205頁)、Juppé はジュペであって、ジュッペとはフランス人は決して発音しませんね。Todd(トッド)に引きずられたのかな。 
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