学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

砂川事件判決の核心に迫らない批評

2015-06-23 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月23日(火)08時37分37秒

>筆綾丸さん
>野村佐太男
名古屋高検検事長で退官し、ロッキード事件の丸紅弁護団団長だったそうですね。
「検察官 清原邦一 村上朝一 井本台吉 吉河光貞」も味わい深いメンバーで、清原邦一(1899-1967)は当時の検事総長、村上朝一(1906-87)は後に最高裁判所長官、ゾルゲ事件に関係した井本台吉(1905-95)は後に検事総長、同じくゾルゲ事件に関係した吉河光貞(1907-88)は後に公安調査庁長官ですね。
経歴的に一番変化に富んでいるのは吉河光貞で、東京帝大法学部在学中に新人会に入り、田中清玄と親しく、共産党にも入党。転向後は思想検事になり、戦後は公職追放されることもなく、出世の最後は公安調査庁長官ですからねー。
司法関係者に公職追放の対象者が極めて少ないのはちょっと不思議で、「しんぶん赤旗」によれば、

-------
弾圧に関与した裁判官・検察は戦後どうなったの?
【中略】
 生活綴方(つづりかた)教育の村山俊太郎を弾圧した予審判事・長尾信が松川事件第1審で5人死刑、5人無期懲役という異常な判決をした裁判長になる。京都学連事件以来多くの弾圧にかかわった思想検事・池田克が最高裁判事となり、公務員労働者のストライキ権を問答無用に違法とした「3・15判決」(63年)を下す。ナウカ社社長弾圧などの予審判事の経歴をもつ石田和外最高裁長官が、「燈台社」事件、朝鮮人弾圧事件などに関与した元判事・岸盛一最高裁事務総長や、「満州国」の高等法院判事として多くの中国人民を残虐に弾圧した飯守重任鹿児島地裁所長らとともに、青法協攻撃の先頭に立つ。土方与志の起訴やゾルゲ事件などを担当した思想検事・吉河光貞が戦後、初代公安調査庁長官となり共産党中央委員追放などをおこなう。1938年の労農派学者グループ弾圧事件の担当検事・井本台吉が、最高検検事総長となり、日通事件(68年)では東京地検が捜査中なのに渦中の池田正之輔代議士と会食する。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-02-23/20060223faq12_01_0.html

という具合ですからねー。
ま、個々人の評価については上記記事に全て賛成する訳ではありませんが、全体として奇妙な感じは否めないですね。
ちなみに「飯守重任鹿児島地裁所長」は田中耕太郎の実弟ですね。
飯守重任で検索したら子息の指揮者・飯守泰次郎氏に関する記事がありましたが、飯守重任は戦後11年間、中国・ソ連に抑留されているので、国内で公職追放になるより遥かに苦労した人ではありますね。

産経新聞(2014.7.30)
「指揮者・飯守泰次郎さん 11年間の空白を音楽が埋めた」
http://www.sankei.com/life/news/140730/lif1407300023-n1.html

>「いわんや本件駐留が違憲不法なものでないにおいておや」
「いわんや」なら「をや」で終わらないと落ち着かないですね。

>ポリチカル・クエスチヨン
なまってますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「お白洲の印籠」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7853

※追記(7月5日)
引用した「しんぶん赤旗」記事に「思想検事・吉河光貞が戦後、初代公安調査庁長官となり共産党中央委員追放などをおこなう」とありますが、1957年に発足した公安調査庁の初代長官は藤井五一郎であって、当該記述は明らかな誤りです。
吉河光貞が公安調査庁長官となったのは1964年で、藤井五一郎・斎藤三郎に次ぐ第三代長官ですね。
コメント
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