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「芦部さんは、荷造りの名手であった」(by 松尾浩也)

2015-06-25 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月25日(木)08時28分33秒

石川健治氏の論文を探して『法学教室』(有斐閣)のバックナンバーを繰っていたところ、松尾浩也氏の「芦部信喜先輩の想い出」というエッセイに出会って、ついつい読み耽ってしまいました。(230号、1999年11月)

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 月刊法学教室がスタートしたのも一九八〇年のことである。芦部さんは、最年長の編集委員として、「憲法講義ノート」の連載を始め、雑誌の充実に多大の貢献をされた。編集会議は、星野英一、田中英夫の両教授が広い視野からの議論で全体をリードし、それに竹内昭夫、塩野宏の両氏が当意即妙の合いの手を入れるような形で進行することが多かったように思うが、ことが憲法論や国家論などの高みに至ると、芦部さんの重厚な一言が決めてになった。
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芦部信喜氏は1923年生まれで1999年に76歳で亡くなり、この追悼記事の筆者、刑事訴訟法の松尾浩也氏より5歳上ですね。
上記引用部分に登場されている著名教授陣は昭和一桁生まれの世代ですが、英米法の田中英夫氏(1927-92)、商法の竹内昭夫氏(1929-96)は六十代で亡くなられ、民法の星野英一氏(1926-2012)も最近亡くなられて、ご存命は行政法の塩野宏氏と松尾氏だけですね。
星野英一氏はカトリック信者の生真面目な秀才で、かなりの早口なのに声が渋いので聞きやすく、長身の田中英夫氏は落ち着いた語り口の英国風紳士。他方、痩身の竹内昭夫氏はしゃがれ声で時々辛辣な皮肉を飛ばし、マシンガントークの塩野宏氏は法学部教授陣で一番口の悪い人でもあったので、何となく編集会議の雰囲気が想像できます。
ふむふむ、なるほどと宇奈月温泉しながら読み進んだのですが、次の箇所は少し変に思いました。

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 四半世紀にわたるおつきあいの間に、意外の感に打たれたこともある。芦部さんは、荷造りの名手であった。その腕前には、人をして瞠目させるものがあったらしい。田中英夫ご夫妻がハーヴァード大学の滞在を終え、イギリスに渡ろうとして引っ越しの準備をしておられたが、思いのほか荷物が多く、ダンボールの箱や大きな袋が十数個にも上ってやや途方に暮れていた際、芦部先輩が登場し、みごとな手つきで荷物を作り直し、個数をほとんど半減して、しかもしっかりと綱をかけて仕上げるという離れ業を披露されたそうである。この才能が何に由来するのか、芦部さんご不在の席で一度話題になったことがあり、そのときの結論は、信州には武勇と機略をもって知られた真田十勇士の言い伝えもあり、真田紐はいまでも有名なので、きっとその流れを汲んでおられるのだろうという、何やら立川文庫風のものだった。直接伺って見たいと思いながら、それを果たすことはとうとう叶わなくなってしまった。
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まあ、普通に考えれば芦部氏が荷造り名人になったのは軍隊の経験によるのではないですかね。
芦部氏は学徒出陣で愛知県かどこかの基地に行き、米軍の空襲から練習機を守るため、近くの岡に待避壕を掘る作業の責任者となって数ヶ月かけてそれを完成させたことがあるそうで、その種の経験は荷造りには役立ちそうですね。

松尾浩也氏(日本学士院・会員一覧)
http://www.japan-acad.go.jp/japanese/members/2/matsuo_koya.html
コメント
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