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ひろゆきや 芦部は遠く なりにけり (その2)

2015-06-21 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月21日(日)09時26分55秒

ここ数日、『公法研究』『国家学会雑誌』『ジュリスト』『法律時報』『法学教室』等のバックナンバーを当たって石川健治氏の論文をコピーし、集中的に読んでいるのですが、どれも面白いですね。
哲学用語が頻出する難しい論文も多いのですが、憲法学界における長谷部恭男氏以降の新しい動きも一応把握することができました。
6月15日の投稿、「四番目の89年」で触れた1985年の謎は、石川氏と奥平康弘・高見勝利氏との鼎談「戦後憲法学を語る」(『法学教室』320号、2007)に回答がありました。(p11以下)

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(前略)1985年というのは、本誌の巻頭言(2006年5月号)にも書いたことですけれども、やはり憲法学の曲がり角の一つだったと思います。私の学生時代は、芦部先生の憲法訴訟論の圧倒的な支配下にありましたから、よく友人から「芦部先生があれだけおやりになっていて、あと何やることが残っているの」と言われたものです。ところが、いざ大学に残ってみると、まさにそれが曲がり角を迎えていて、次々に憲法訴訟論批判が立ち上がってくるということがありました。
 私にとって特に大きかったのは、少し上の世代の生意気盛りの先輩たち、具体的には棟居快行さん、内野正幸さん、安念潤司さん、長谷部恭男さん、といった4人の存在で、彼等の大胆で鋭利な議論が、我々から芦部先生の呪縛を一気に取り去ってくれました。しかし、そうなると、今後の憲法学をどうするか、というと口幅ったいですが、要するに、我々若手はこれからどういう論文を書くべきか、ということが問題になってきます。一方には、憲法解釈論を、憲法訴訟論のようなアメリカ直輸入の中途半端な議論ではなく、訴訟法学も咀嚼した上で、もっと解釈論としてきちんと立て直すべきである、という考え方がありました。他方で、芦部先生は、アメリカでそうだから、ということはおっしゃったけれども、なぜそうなのかということをおっしゃらなかった。そういうところに、政治哲学や法哲学の活況が伝えられて、やはり憲法学者も法哲学をきちんとやらなければいけない、という見解も強くなってくる。
 対照的な方向性を持つ強力な先輩たちの影響を、これからは解釈論と原理論のいわば両刀遣いができなくてはならない、という形で受け止めたというのが、ちょうど私の年代にとっての憲法学の原イメージだったような気がします。そういう問題意識が、今年の法学教室の「憲法の解釈」という連載企画にも、反映されているといえそうです。その後、どちらかというと、一方の柱だった法哲学、政治哲学に傾斜した議論の方が、より若い世代の憲法学を支配するようになっていった観がありますが。
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極めて乱暴に要約すると、1985年以降は憲法の論文に哲学用語が夥しく流入してきた、ということですね。
長谷部恭男・石川健治氏の論文はその典型で、私のように哲学の素養の乏しい人間には極めて難解ですが、全然理解できないということもなくて、いかにもアカデミックな、非常に高尚な雰囲気に浸れる点はありがたいですね。
ただ、現在問題になっている憲法9条の解釈あたりになると、1990年代になって長谷部恭男氏が自衛隊合憲論を論じたのが極めて新しい動きという具合に、他の分野に比べて古色蒼然たる領域に止まっていて、その落差が奇妙ですね。
最近の「立憲主義」を政治的スローガンとして用いる動き、集団的自衛権を認めるのは立憲主義に反するみたいな運動は理屈の上では無理が多くて、現在の騒動が沈静化した後には反省の動きも出てきそうです。
例えば長谷部恭男氏の考える「立憲主義」概念に照らすと、今なお憲法学界の通説である自衛隊違憲論は「立憲主義」に反するという驚愕の事態になるのですが、長谷部フィーバーの中でそういうことを指摘するイヤミな人は少ないでしょうね。

四番目の89年〔2015-06-15〕
ひろゆきや 芦部は遠く なりにけり〔2015-04-07〕

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