続きです。(岩波新大系、p343以下)
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小笠原ハ是ヲ見テ、三千騎マデ討ヒデタリ。一人モ漏サズシテ渡シケル。市川新五郎ハ、先ノ詞ネタガリテ、薩摩ノ左衛門ヲ目ニカケテ、押寄セ、熊手ヲ以〔もつて〕兜ノテヘンニ打立テ、懸テ引寄、頸ヲ討。
蜂屋蔵人、是ヲ見テ、「加様〔かやう〕ノ所ハニグル甲〔かう〕ノ者、落ナン」ト思ツゝ、鞭ヲ揚テ、高山ヘゾ入ニケル。同三郎、是ヲ見テ、追付〔おひつき〕申ケルハ、「何〔いづれ〕ヘトテオハスルゾ。加程〔かほど〕ニ成ナンニ、落行〔おちゆき〕タリトモ、蝶〔てふ〕ヤ花ヤト栄〔さかゆ〕ベキカ。返シ給ヘ。父ノ敵〔かたき〕討ン、蔵人殿」ト云ケレドモ、聞〔きか〕ヌ顔ニテ落ニケリ。蜂屋三郎、力及バデヒキカエシ、武田六郎ト戦ケリ。蜂屋三郎申ケルハ、「武田六郎ト見奉ルハ僻事〔ひがごと〕カ。我ヲバ誰トカ御覧ズル。六孫王〔ろくそんわう〕ノ末葉〔ばつえふ〕蜂屋入道ガ子息、蜂屋三郎トハ我事也。父ノ敵討ントテ、参〔まゐり〕テ候ナリ。手次〔てなみ〕ノホドモ御覧ゼヨ」トテ、上差〔うはざし〕抜出シ、滋藤〔しげどう〕ノ弓ニ打クハセテ、飽マデ引テ放〔はなち〕タレバ、武田六郎ガ左ノ脇ニ立タル一ノ郎等ノ冑〔よろひ〕ノ胸板、上巻〔うはまき〕マデ射通〔いとほし〕ケレバ、暫〔しばし〕モタマラズ馬ヨリ落テケリ。二矢〔にのや〕返シテ射タリケレバ、武田六郎ガ小舎人童〔こどねりわらは〕ノ頸骨ヲ、後ヘコソ射抜タレ。其後、六郎ト三郎ト引組〔ひつくん〕デ、共ニ馬ヨリ落ニケリ。上ニナリ下ニナリスルホドニ、三郎、腹巻通〔はらまきどほし〕ヲ抜出シ、六郎ガ甲〔かぶと〕ノテヘン、鎧ノワタガミマデコソカキ付タレ。六郎ハアブナク見ヘシ処ニ、武田八郎、落合テ、六郎ヲ引ノケテ、三郎ガ頸ヲ取〔とる〕。八郎ナカリセバ、六郎ヨモイキジ。
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武田勢五千騎が(「河合」を)渡河し、大内惟信と「智土六郎」、「二宮殿」と「蜂屋入道」が戦うのを見た小笠原長清は、三千騎で(「大井戸」を)渡河します。
「市川新五郎」は先に「薩摩左衛門」から、
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「男共、サコソ云トモ、己等〔おのれら〕ハ権太夫ガ郎等ナリ。調伏〔てうぶく〕ノ宣旨蒙ヌル上ハ、ヤハスナホニ渡スベキ。渡スベクハ渡セ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bff94f63d818bc7dbe91b11a89be431f
などと言われたのを根に持っており、「薩摩左衛門」を目掛けて押し寄せ、熊手を甲の鉢の頂に引っかけ、引き倒して首を切ります。
「蜂屋蔵人」はこの様子を見て、「こんな所は逃げるのが本当の剛の者だ。落ちよう」と思って、馬に鞭をくれて「高山」へ向かいます。
「同(蜂屋)三郎」はこれを見て、追いかけて「どこへ行かれるのか。これほどの状況になったのだから、たとえ逃げても蝶よ花よと栄えることがあろうか。引き返しなされ。父の敵を一緒に討とうではないか、蔵人殿」と言いますが、「蜂屋蔵人」は聞かなかったフリをして逃げて行きます。
引き返した「蜂屋三郎」は同じ源氏の「武田六郎」を良い敵と見て、自分は「六孫王ノ末葉蜂屋入道ガ子息、蜂屋三郎」だと名乗り、最初の矢で六郎の脇にいた「一ノ郎等」を、次の矢で「小舎人童」を射殺します。
そして、六郎と組み合って、共に馬から落ち、上になったり下になったりしながら、短刀で六郎の甲の頂に切りつけます。
六郎が危なく見えたところに、「武田八郎」が来て、六郎を三郎から引き離し、三郎の首を切ります。
八郎が助けに来なかったら、六郎は生きていなかっただろう、ということで、なかなかドラマチックな場面ですね。
さて、続きです。(p344)
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山道〔せんだう〕ノ人々ハ、皆悉〔ことごとく〕落ニケリ。武田・小笠原ハ、大井戸・河合責落〔せめおとし〕テ、河ヲ下リニカケケレバ、鵜沼瀬〔うぬまのせ〕ニオハシケル神土〔かうづち〕殿ハ是ヲ見テ、「河ヲ下ニカクル武者ハ、敵カ味方カ」ト問ハレケレバ、上田刑部申ケルハ、「アレコソ武田・小笠原ガ、大井戸・河合責落シテ、河ヲ下リニカクルヨ」ト云ケレバ、神土殿、「其儀ナラバ、人ドモ皆々思切テ軍〔いくさ〕セン」トゾ申サレタル。上田刑部申ケルハ、「人ノ身ニハ、命程ノ宝ハナシ。命アレバ海月〔くらげ〕ノ骨ニモ、申譬〔まうすたとへ〕ノ候ナリ。軍ヲセンヨリハ、落テ尼野左衛門ニ見参シテ、武蔵殿ヘ参リ、宦〔みやづかへ〕シテ世ニアラン支度〔したく〕ヲシ給ヘ、神土殿」トゾ申タル。「此儀、サモ有〔あり〕ナン」ト思ヒ、尼野左衛門ニ見参シテ、武蔵殿ヘゾ参タル。
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東山道を防衛していた京方の人々は、皆、ことごとく落ちて行きます。
大井戸・河合を攻め落とした武田・小笠原勢は下流に向かい、鵜沼瀬を守っていた「神土殿」がそれを見て、あれは敵か味方か、と問うと、「上田刑部」という者が、あれは敵の武田・小笠原勢だと答えます。
「神土殿」が「敵ならばみんな思い切って戦うしかないな」と言うと、「上田刑部」は、「人の身には命ほど大事なものはありません。命があればクラゲの骨にも逢うという諺があるように、生きてさえいれば何かチャンスはありましょう。戦うよりは、ここは逃げて「尼野(天野)左衛門」に見参し、北条泰時殿に臣従して生き延びる用意をしなされ、神土殿」と言います。
「それもそうだな」と思った「神土殿」は、「尼野(天野)左衛門」に見参の上、北条泰時の許に行きます。
ということで、果たして「神土殿」の運命やいかに。
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