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学問空間

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「やりたい放題の勉強をした」(by 石川健治)

2015-09-21 | 石川健治「7月クーデター説」の論理

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 9月21日(月)08時58分32秒

>筆綾丸さん
>論理が欠落
私がリアルタイムで憲法学、といっても「お受験」憲法学の世界に触れていたのは芦部信喜の時代までですが、当時の論文のスタイルは実に堅実でしたね。
これを崩したのがおそらく長谷部恭男氏で、夥しい哲学用語が流入するとともに論文のスタイルが多様化し、本文の内容を予想できないタイトルの論文が増えて行きます。
ただ、シニカルでユーモラスな文体を特徴とする長谷部氏の論文には絶妙のバランス感覚があり、内容的には斬新で刺激的なものであっても、全体の印象は意外に穏やかで、静謐と言っても良いくらいですね。
長谷部氏が適度にバランス良く崩した論文のスタイルを更に崩したのが石川健治氏で、「ドイツ語でいうgeistlos(才気のない、退屈な)な学問を好ま」ず、「弟子たちが師匠の学問を乗り越えるべく師匠の不案内なことを勉強しようとするのを、健全なインセンティヴであるとして、むしろ奨励された」樋口陽一氏の下で、「誰に気兼ねすることもなく、やりたい放題の勉強をした」弟子の一人である石川氏は、論文のスタイルの面でも果敢な挑戦者だったようです。
そして、「窮極の旅」は、スタイルの点でも「やりたい放題」の最終段階に到達した窮極の論文ですね。
長谷部氏の論文の静謐さと比べると、実に騒々しい論文です。
まあ、とても斬新で結構ではありますが、ここまで崩してしまうとエッセイとの区別も困難で、膨大な情報量でいくら誤魔化しても、論理的な詰めは甘くなりますね。

ケルゼン/清宮/樋口―連環と緊張
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c4ad219ac548a15d94fab5cd82e1d401

>清宮のくどい話
前回引用した部分はハンス・ケルゼン(1881-1973)の高弟であるアドルフ・メルクル(1980-1970)の主張なんですね。
この後、ケルゼン説を紹介した上で清宮自身の主張の表明となります。
メルクルは「法の変更はただ法自身がその法規の規定内容において、法創設者に法上創設せられたもの(Rechtserzeugnisse)の変更についての授権をなす場合にのみ可能」と述べますが、このあたり、メルクル自身の「法段階説」との関係がよく分かりません。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

善悪の彼岸としての法論理的公理? 2015/09/20(日) 14:39:06
小太郎さん
石川氏はその学歴からすれば国内では最も優秀な法学者の一人と云えるのでしょうが、その人にして、最も重要な論理が欠落しているとすれば、それはそれで甚だ由々しき問題になりますね。

清宮のくどい話を要約すれば、この法は変更しうる、と法自身が言明しないかぎり、法は永遠に不変である、まるで神のように、ということになりますか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%90%86
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%90%86
「法論理的公理」という奇怪な用語ですが、清宮という人は基本的に「公理」の意味がわかっていない、としか思えないですね。lex posterior derogat priori は公理系(Axiomatic system)の一部だ、というだけのことじゃないか。旧制高校時代にユークリッド幾何で「公理」の意味くらい習ったはずなんですがね。なぜ、こんな寝言のような馬鹿話ができるのか、わかりません。
lex posterior derogat priori から出発しても法的な議論は展開できるだろうし、lex posterior non derogat priori から出発しても法的な議論はできるだろう、というだけのことで、どちらかの優越性を「証明」しようとしても、そもそも出発点が違うのだから、それは無意味だよ、と普通は考えますがね。

https://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
清宮の議論には目も眩むばかりの深遠な法理がある、と石川氏が思っているとすれば、それはまあ、宗教的信仰のようなものだから、とやかく言うべきではないのかもしれません。
 ・・・Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.
 (おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ)-『善悪の彼岸』
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