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長州藩のリテラシーの高さ

2016-03-08 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月 8日(火)10時02分18秒

>筆綾丸さん
磯田道史氏の『歴史の読み解き方─江戸期日本の危機管理に学ぶ』(朝日新書、2013)に長州藩の民衆のリテラシーが極めて高いことが分かりやすく説明されていますね。
長州藩は武士の知的水準も極めて高く、磯田氏は後世の学者に長州藩のGDP算出を可能にさせたほど緻密な産業調査である「防長風土注進案」を紹介したあと、次のように続けます。(p111以下)

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 このようなことがどうして長州で可能だったかというと、やはり、さきほど述べたような長州人の学問好き、防長地域の「識字文化」を考えざるをえません。
 このような調査は薩摩では難しかったと思います。薩摩と長州の違いを考えてみると、天保のころの長州は、藩官僚の手腕の高さも、もちろんでしたが、農民・町民もリテラシーの高い人々でした。とくに、下関周辺の瀬戸内海沿岸は高度な農村文化の花開いた豊かな地域でした。
【中略】
薩摩・長州と、ならび称されますが、その抱えていた藩の民衆の状態にはたいへん差がありました。字が読めない薩摩の民衆、学問好きで理屈っぽい長州の民衆、ずいぶん、違いました。
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そして、少し後にやはり奇兵隊にも触れています。(p115以下)

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 いまの山口の人は、戦前の、いや江戸時代、中世の、山口県域の人々がそれほど教育熱心であったという自覚はないと思います。しかし、山口は日本のなかでも、教育水準の高いところとして知られていました。庶民の識字率が高いということが、長州の一つの特徴でした。
 これは、奇兵隊をつくったり、その軍事力で高杉晋作や伊藤博文たちが決起したりして萩の藩政府を倒した、ボトムアップの長州藩の歴史の流れと無関係ではありません。なぜかというと、このような下から上への動きは日本ではほとんどありませんでした。しかし、長州ではその下から上への動きが起きています。奇兵隊など諸隊は、足軽や陪臣や農民が参加した部隊でした。諸隊に参加しない者も、長州では「防長士民」、あるいは「皇国の民」というある種の国家意識を持っていました。文字概念が浸透しない段階では、庶民には村や主人は理解できても、抽象的なものである国家は理解できません。庶民は、毛利の殿様という「君主」は一度もみたことがないはずですし、「防長」も抽象的な国家概念にすぎません。しかし、長州の地は、文字文化の古いところです。長州の庶民は、長州藩が幕府の大軍に包囲され、征伐をうけることになると、防長=国家をまさに実体があるものとして理解しました。命をかけて、防長=国家のために戦う者が出てきます。これは、庶民が文字によって教え込まれた抽象概念で行動するようになっていないと起きないことです。日本では、長州戦争のなかで、長州に、はじめての小さな国民国家が生まれたのでしょう。
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磯田氏は浄土真宗には触れていませんが、後に西本願寺の指導者の一人となる大洲鉄然(1834-1902)は奇兵隊に参加し、第二次長州征伐に際しては僧侶を集めた部隊を組織していますし、島地黙雷(1838-1911)も文字通り武装していました。
また、「諸隊」に参加した農民の大半は真宗門徒、西本願寺派ですね。
真宗門徒は抽象的思考に慣れていますから、「庶民が文字によって教え込まれた抽象概念で行動するように」なった原因の相当部分は浄土真宗に帰してもよいように思います。

浄土真宗と明治新政府の関係(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2e6415f33e483f952aad89a959f1d5c2
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/958812a3b31f500ab285c94b1aba8ce2

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

endomorphose 2016/03/07(月) 15:53:07
小太郎さん
海苔といえば日比谷の「日比」を思い出しますが、「彦」の字には通字というよりも仄かな磯の香が漂っているような感じですね。
磯田氏は『武士の家計簿』だけでなく広範な研究をされているようですが、ご指摘の個所、たしかに面白いですね。リチャード・ルビンジャーの本、探してみます。
長州が西本願寺の強い地域であることは、知りませんでした。

『新ヨーロッパ大全?』を「第一章」まで読み始めました。
一般相対性理論ではありませんが、ヨーッロパを時空概念として読み解くために、ネーション・ステートを掘り下げ、合計483個の人類学的基底に細断して分析するという方法に驚かされました。
原題の「L'INVENTION DE L'EUROPA」には、いままで誰もなしえなかったヨーロッパの分析方法をinventer(発明)したが、これはいわばコロンブスの卵であって、誰がinventer(発見)してもよかったのだ、というようなトッドの学問的自信が込められているような気もしますね。

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 ここで家族制度という個別的ケースを通して、時の中での変貌、空間の安定性という論理図式が観察されたわけだが、この論理図式は、諸現象を同時に空間と時間の双方の中で把握しようと努める歴史学上の問題設定の特徴をなすものである。この論理図式の例は、他にいくつも本書中に、他の型の変数、つまり宗教的・イデオロギー的変数をまとって登場するであろう。この複合的だが典型的な論理図式には何らかの名称が付けられて然るべきである。ある変数なり構造なりが時間の中で変化しながら、その空間内での分布に影響を及ぼさない、そのような変化を<内変化> endomorphose と呼ぶことにしよう。<内変化>という概念は、諸構造が時のなかで変化して行くということと、それらの構造が不動の安定した人類学的地域の中に刻み込まれているということとを両立させるのである。
 内変化=時の中での変化+空間的安定性。(84頁~)
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トッドのいう endomorphose は、時間に対しては変数のように振る舞い、空間に対しては定数のように振る舞うのだから、内変化という訳語はなんだか変で、内的形態素とか内的不変量とか、そんなふうに訳した方がいいのではないか、それでは一層わからないというのであれば、いっそ、エンドモルフォーズとしてしまうのはどうか、などと考えました。
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