学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

海苔店と「五味」姓

2016-03-07 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月 7日(月)11時03分18秒

速水融氏の『歴史人口学で見た日本』(文春新書、2001)を読んでみたのですが、これは非常に親切な歴史人口学の入門書であるとともに速水氏の学問的自伝にもなっていますね。
「第四章 虫眼鏡で見た近世─ミクロ史料からのアプローチ」には諏訪藩の「宗門改帳」を使って家族形態の変化と人口変動を解明した速水氏の初期の業績で、実質的に日本の歴史人口学の出発点となった研究の思い出が語られていますが、そこにちょっと変った指摘があります。(p75)

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 もちろん諏訪地方でも人口の出入りがなかったわけではない。とくに諏訪から江戸へ出稼ぎに行く人たちが何人もいる。先ほどの横内村からも江戸へ出稼ぎに出たが、出稼ぎ先がだいたい決まっていて、大部分は日本橋にある海苔店へ行った。「山本山」という海苔店があるが、そういったところである。出稼ぎ者の大部分はそこで奉公して帰ってくるが、なかには手代になり、番頭になり、暖簾分けしてもらって江戸で海苔の小売店を始めた者もいた。面白いことに、東京で海苔店を捜すと「五味」という姓をもつ家がかなり多い。これは横内村の人に五味姓が多いというところからきている。
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ホントかな、と思って「五味&海苔」で検索してみたら確かにけっこうヒットしますが、最初に出てきた「五味商店」の「社長のあいさつ」を見ると、

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 当社は、先代の五味定彦が、当地大森にて起業し、私、五味勝彦が2代目として、お客様には大変お世話になりながら、これまでの会社を基盤とし、前進していこうとしております。

http://gomishoten.com/co/co.html

とのことで、有名な歴史学者に似たお名前の人がいたような感じもします。
この五味商店さんは昭和31年創業とのことで歴史は浅いようですが、社長のご先祖は横内村まで遡る可能性が高そうですね。

>筆綾丸さん
>根拠
とりあえず磯田氏の発言に出てくるリチャード・ルビンジャー著『日本人のリテラシー─1600-1900』(川村肇訳、柏書房、2008)を見てみるつもりです。

>そんな〔薩摩〕藩がなぜ明治維新の原動力になりえたのか
磯田氏は速水氏が国際日本文化研究センターで行ったプロジェクト(「ユーラシア社会の人口・家族構造比較史研究」)に参加しているときに薩摩に出張して大量の史料を見たそうで、対談でも薩摩への言及が多いですね。
速水氏の「薩摩の場合は、家臣が農村に住んでいた」という指摘を受けて、磯田氏は次のように述べます。(p398)

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そうなんです。そこが「中世」的なんですね。明治期の調査でも、約一〇万人ほどの郷士がいる。これは凄まじい規模の動員兵力です。幕府にとって軍事的に圧倒するのが容易でない藩というのは、三百近い藩の中でもやはり薩摩だけだったろうと思います。【中略】薩摩藩の表高は七十数万石ですが、郷士だけで一〇万人もいるとなると、城下士なども含めれば、十数万人が自分の土地を守るために全土でハリネズミのようになって迎え撃つ事態になる。しかもあの位置ですから、戦うための補給線は非常に長くなる。関が原で勝利した家康にしても、薩摩だけは、地政学的にも外交的にも取り潰すことがかなり難しい唯一の藩だったのではないか。薩摩の方もそこをよく分かっているからこそ、最後まで江戸時代的な藩にはならない道をとったのでしょう。
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ここで言う「江戸時代的な藩」とは兵農分離で武士が在地性を失っている藩のことですが、薩摩の軍事力の強さが「中世」を残したことにあるというのはちょっと面白い指摘ですね。
もちろん、幕末の薩摩が軍事面では極めて急進的な開明派であったことも明白で、開明的な特質と「中世」的特質をうまく組み合わせたところが薩摩の強さなのかもしれません。
磯田氏が薩摩について何かまとめたものがあれば、是非読んでみたいですね。

>長州の識字率も薩摩と同水準か
民衆レベルでは、おそらく長州の方が相当上だと思います。
奇兵隊のような発想は民衆の知的水準がある程度高い地域でないと生まれないでしょうし、また、長州は「真宗王国」、特に西本願寺の強い地域であることも影響していると思います。
一般に日本の識字率向上は宗教とは関係なく進んでいて、これはヨーロッパ、特にプロテスタント地域とは対照的ですが、ここでも例外が真宗地域ですね。
富山出身の安丸良夫氏の思い出にもちらっと出てくるように、真宗には強固な「講」組織があり、これが教育機関としても機能しているので、この点だけでも浄土真宗を一掃した薩摩との違いが生じているはずです。

ゾンビ浄土真宗とマルクス主義の「習合」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33c77b57ad5d51d0ef3bdbfbe9c1e67d

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Statisticsと寸多知寸知久と統計 2016/03/06(日) 14:31:39
小太郎さん
江戸時代の識字率はどのような史料に基づいてどのように推定しているのか、根拠が知りたいところですが、速水・磯田両氏の対談では、感覚的な印象の域を出ていない、という感じがしますね。
薩摩の識字率の低さには驚きますが、そんな藩がなぜ明治維新の原動力になりえたのか、歴史上の奇妙な逆説というべきでしょうか。いや、下級武士とはいえ、武士階級の識字率は別だから、薩摩全体の識字率はパラメーターに入れなくともよい、と考えるべきか(長州の識字率も薩摩と同水準か)。
薩摩と長州はあくまで導火線にすぎず、識字率の高い三都(京都・大阪・江戸)で大爆発(革命)が起きた、と考えればいいのか。

トッドのいうパリ/ボルドー軸(A10号線)ではありませんが、東海道五十三次沿線の識字率なんていうものがわかれば面白いな、という気もします。東海道中膝栗毛の弥次喜多はふざけているようだけれども、実は維新の志士の先駆けだ、というような・・・。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E4%BA%A8%E4%BA%8C
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001178681
杉仁氏の『近世の在村文化と書物出版』は眺めたことがありますが、杉亨二の曾孫とは私も知りませんでした。Statistics の訳語をめぐって、鴎外と論争になった人ですね。
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統計と訳せば、スタチスチックには「統へ計る」という合計の意味しかないことになると匿名の手紙は書いているけれども、それならば、ケミストリーを化学と訳して妖怪変化の学と考えたり、フィジックスを理学と訳せばへぼ理屈の学問と考えたりする人がいるからと言ってこれらの訳字を排斥することは、バカげていると論じる。(福井幸男氏)
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