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「近世起請文についての検討に加わった数少ない研究者として本書に紹介…」(by 深谷克己氏)

2022-11-21 | 唯善と後深草院二条

「近世においても、中世とは異なる形で神仏の呪術的機能がはたらいて」いたとされる佐藤弘夫氏(東北大学名誉教授、1953生)は、中世においては近世より遥かに強く「神仏の呪術的機能はたらいていた」と考えておられるはずです。

佐藤弘夫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%BC%98%E5%A4%AB

しかし、ずいぶん前に佐藤氏の『起請文の精神史 中世世界の神と仏』(講談社選書メチエ、2006)を読んでみた私の感想は、佐藤氏はあまりに生真面目な人だなあ、というものです。
十二年前の古い投稿の自己引用で恐縮ですが、

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佐藤著の序章に出てくる厳成という僧侶は、応保二年(1162)に「今後飲酒の際に、もし一杯を越えて杯を重ねるようなことがあれば、王城鎮守八幡三所・賀茂上下・日吉山王七社・稲荷五所・祇園天神、ことに石山観音三十八所の罰を、三日もしくは七日の内に、厳成の身の毛穴ごとに受けてもかまわないことを誓約する」と書いたそうですが、仮に一度は真剣に誓ったところで、絶対にまた二杯以上飲んでいるに決まっています。
また、正中二年(1325)に「去る一四日に行われた華厳会に出仕するはずのところ、持病が起こって体にお灸を加える必要が生じ、そのため勤務できなくなってしまった。もし私が出仕を逃れるために身の不調をでっちあげたとすれば、日本国主天照大神をはじめ、六〇余州のありとあらゆる大小神祇、なかでも大仏・四天王・八幡三所・垂迹和光の部類眷属、とくに二月堂の生身観音菩薩の神罰・仏罰を、私聖尊の身に蒙っても異存はない」(p24)と誓った東大寺僧聖尊は、まず間違いなく「出仕を逃れるために身の不調をでっちあげた」のであって、虚偽の起請文を書いても平気な人ですね。たぶん。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/90dbd4d5b3b86a9902c3934f5a587e24

といった具合に、中世の起請文の中には本当に下らないものも多数あって、佐藤氏のように「神仏の呪術的機能」をあまり生真面目に受けとめるのもどんなものかな、と私は思っています。
さて、次に深谷克己氏(早稲田大学名誉教授、1939生)の書評(『国史学』217号、2015)を見ておくことにします。
深谷氏は、

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 私は、近世起請文についての検討に加わった数少ない研究者として本書に紹介されているのだが、元より起請文研究者として蓄積のある者ではない。ただ近年の私は、「政治文化」という角度から近世史を考えることに関心を強めている。私の政治文化理解では、その中核あるいは中奥の所に各法文明圏特有の敬虔な感情で意識される「超越観念」を保有していると考えている。起請文の神文に列記される諸神格は、そういう超越観念群であり、日本ではそれらが神階化されている。そういうこととの関連で、日本史における起請・神誓という社会的な行為については、大いに興味を持っている。
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という立場の方です。(p109)

深谷克己
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E8%B0%B7%E5%85%8B%E5%B7%B1

深谷氏の書評は最初に大河内著の内容を丁寧に整理されている点がありがたいですね。
目次の紹介の後、

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 書題のとおり、本書は「近世起請文」の研究であり、著者の関心は、なぜ起請文制度が江戸時代全期間存続し続けたのかを明らかにすることに向けられている。著者は、近世の起請文についての研究史を検討し、学界に対して影響力の強い研究者がこれまで概括的に、近世の起請文は形式的・儀礼的で衰退したものと説明してきたため、その評価が定着し、歴史研究の素材として顧みられない状況が続いてきたと指摘する。ごく僅かに関心を寄せる研究者もいるが、近世史の中で起請文研究を深化させる流れになっていない。著者は、研究史をこのように見たうえで、それではそのように形式的な起請文が、なぜ近世いおいて大量に書かれ続けてきたのかということに疑問を呈し、その根拠を解明することを目指す。
 そのための方法として、著者は、幕府に提出された起請文(Ⅰ部)と大名家の家中起請文(Ⅱ部)を、書式・制度を中心に比較検討して、それらの政治的役割を引き出そうとする。合わせて、起請文制度を支えた不可欠の要素として、代表的な料紙となった熊野牛玉宝印の配布・流通(Ⅲ部)の様相を検討している。
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とあり、ついで各部の要約が続きます。

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