続きです。(岩波新大系、p342)
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宣旨ノ方ニハ是ヲ見テ、我モ/\ト懸ケレバ、荒三郎ハ又水ノ底ヘゾ入ニケル。一町四五段計〔ばかり〕下リテ、水ノ底ヲ這出〔はひいで〕テ、小笠原ノオハスル岸ノ下ニゾ、ツト浮出タル。小笠原申サレケルハ、「是ハ向〔むかひ〕ノ河バタニテ浮上リ、敵射落シタリツル男ナ。トクトク、物具セヨ」トゾ申サレケル。荒三郎ハ物具シテ、武田殿ノ前ニテ申ケルハ、「馬ノ足ノ立〔たち〕ヌベキ所ハ、河中に二段計ゾ候ラン」。郎等ドモノ中ニ向テ申ケルハ、「殿原ハ、河渡〔かわわたし〕ノ子細ハ知テオハスルカ。河ヲ渡スニハ、強キ馬ヲバ上手〔うはて〕ニ立〔たて〕、弱キ馬ヲバ下手ニタテ、水ヲヨドマセテ、甲〔よろひ〕ノ袖アラバスガリニ引懸テ、弓ノウラハズ、馬ノ首ニ引副〔ひきそへ〕テ、手綱、鞍ノ輪口〔わぐち〕ニ引附テ、渡サセ給ヘ。殿原」トゾ申タル。
其後、打ヒデ/\渡ス人々ニハ、一陣、智戸六郎、二陣、平群四郎、三陣、中島五郎・武田六郎ヲ始トシテ、五千騎マデコソ渡シタル。
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「宣旨ノ方」、即ち「調伏ノ宣旨蒙」った京方の武士たちは、「高桑殿」が「荒三郎」に射殺されたのを見て、「荒三郎」を討つために駆け寄って来たので、「荒三郎」は再び「水ノ底」に入り、「一町四五段計」、即ち約150mほど下流の「水ノ底」からヌッと這い出ると、そこは小笠原長清がいる岸の下だったのだそうです。
小笠原長清が「お前は向こう岸で浮き上がって、敵を射落とした男だな。早く物具を付けよ」と言葉をかけると、「荒三郎」は物具を付けて、「武田殿」の前で、「馬の足が立ちそうなところは、河の中に二段ばかりありました」と報告し、ついで郎等たちに向って、次のように言います。
「殿原は渡河の仕方を御存知か。河を渡るには、強い馬を上流に、弱い馬を下流にして、水を塞いで水勢を弱めて、鎧の袖(肩から肘を覆う部分)は「スガリ」に引っ掛け、弓の上部の弭(はず)は馬の首に副えて、手綱、鞍の輪口に引きつけて、渡るのですぞ」。
先に北条時房から巨大なニンジンを目の前にぶら下げられた武田信光・小笠原長清が、「サラバ渡セ」と号令をかけ、「武田ハ河合ヲ渡シ、小笠原ハ大井戸ヲ渡シケリ」(p340)とありましたが、大井戸(大炊渡)は周知であっても、「河合」という地名は流布本や『吾妻鏡』には出てきません。
ただ、「武田六郎」は「小笠原殿ノ一ノ郎等市河新五郎」が渡河しようと試みたのを目視しており、ついで「武田六郎」の指示を受けた「荒三郎」が対岸で「高桑殿」を射殺した後、「一町四五段計下リテ」小笠原長清の前に浮かんだということなので、武田勢のいた「河合」と小笠原勢のいた「大井戸」はずいぶん近く、「河合」のせいぜい数百メートルほど下流に「大井戸」があるという位置関係ですね。
とすると、他の史料に「河合」が出て来ないのは当然で、むしろ慈光寺本でわざわざ大井戸(大炊渡)と「河合」を書き分けている理由が分かりません。
ところで、小笠原長清から声をかけられた「荒三郎」は、「物具」を付けた後、「郎等ドモノ中ニ向テ」渡河の注意点を述べますが、この「郎等ドモ」は武田勢だけなのか。
もともと「小笠原殿ノ一ノ郎等市河新五郎」が渡河しようと試みたのを見て、水に流される危険を感じて「引き返せ」と言った「武田六郎」が、武田方には「水練スル冠者」がおり、その者に「瀬踏」をさせます、と言ったというストーリーですから、渡河の注意点も武田勢だけに話したのでは意味がなく、当然に小笠原勢も対象なのでしょうね。
結局、作者は最初は一応、「河合」と「大井戸」を書き分けていたけれども、勢いで書いているうちに何だかごちゃごちゃになってしまって、それに気付いたけれども推敲も面倒なので放置した、というような感じがしないでもありません。
とにかく、ここも「やっつけ仕事」感が溢れていますね。
さて、流布本には「小笠原殿ノ一ノ郎等市河新五郎」なる人物は登場せず、「武田五郎」信光が「武田小五郎」に小笠原勢をだし抜いて先に渡河するように命じます。
即ち、
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武田五郎、子共の中に憑〔たのみ〕たりける小五郎を招て、「軍の習ひ親子をも不顧、増て一門・他人は不及申、一人抜出て前〔さき〕を懸〔かけ〕、我高名せんと思ふが習なり。汝、小笠原の人共に不被知して抜出て、大炊の渡の先陣をせよと思は如何に」。「誰も左社〔さこそ〕存候へ」とて、一二町抜出て、野を分る様にて、其勢廿騎計河縁〔ふち〕へぞ進ける。武田小五郎が郎等、武藤新五郎と云者あり。童名〔わらはな〕荒武者とぞ申ける。勝〔すぐ〕れたる水練の達者也。是を呼で、「大炊の渡(の)瀬踏〔せぶみ〕して、敵の有様能〔よく〕見よ」とて指遣〔さしつかは〕す。【後略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6872bfb97130022f99fc08b331d99495
とのことで、「武田小五郎が郎等、武藤新五郎(童名荒武者)」が瀬踏を行います。
慈光寺本の「荒三郎」エピソードと流布本の「武藤新五郎」エピソードの内容は相当に異なりますが、その比較は次の投稿で行います。
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