学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

流布本も読んでみる。(その19)─「軍に出るよりして、再び可帰とは不覚。是こそ吉日なれ」

2023-04-24 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

続きです。(p82以下)

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 東山道に懸て上ける大将、武田五郎父子八人、小笠原次郎親子七人・遠山左衛門尉・諏訪小太郎・伊具右馬入道・南具太郎・浅利太郎・筒井次郎・同五郎・秋山太郎兄弟三人・二宮太郎・星名次郎親子三人・筒井次郎・河野源次・小柳三郎・西寺三郎・有賀四郎親子四人・南部太郎・逸見入道・轟木〔とどろき〕次郎・布施中務丞・甕〔もたひ〕中三・望月小四郎・同三郎・禰津〔ねづ〕三郎・矢原太郎・鹽川三郎・小山田太郎・千野〔ちの〕六郎・黒田刑部丞・大籬〔おほまがき〕六郎・海野左衛門尉、是等を始として五万余騎、各関の太郎を馳越て陣をとる。
 其中に武田五郎、国を立〔たち〕家を出る日(は)、十死一生と云ふ悪日也。跡に留る妻子を始として、有と有物、「今日計〔ばかり〕は留らせ給ひて、明日立せ給へかし」と申けれ共、武田五郎、「何条さる事の可有ぞ。喩〔たとへ〕ば十死一生とは、多く出て少く帰ると云事なり。軍に出るよりして、再び可帰とは不覚。是こそ吉日なれ」とて、軈〔やが〕て打立ける。
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五月二十二日に鎌倉を出発したとされる軍勢一覧の記事には、

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東山道の大将軍には武田五郎父子八人・小笠原次郎父子七人・遠山左衛門尉・諏訪小太郎。伊具右馬允入道、軍の検見〔けんみ〕に被指添たり。其勢五万騎。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/84e69bedac1469967b6e592fe90d5076

とありましたが、ここでより詳細な名簿が示されます。
「武田五郎」は信光、「小笠原次郎」は長清ですね。
後に武田信光は葉室光親を、小笠原長清は源有雅を処刑することになります。

武田信光(1162-1248)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%85%89
小笠原長清(1162-1242)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E9%95%B7%E6%B8%85

「南具太郎」については松林氏の頭注に「前田家本「奈古太郎」。奈古・浅利・平井・秋山・南部・逸見は甲斐源氏、武田の一族」とあります。
なお、「十死一生」は、松林氏の頭注によれば、陰陽道でいう凶日の一つで、『梅松論』に「同(五月)廿一日、十死一生の日なりけるに、泰時并時房両大将として鎌倉を立ちたまふ」とあるそうです。
さて、続きです。(p83以下)

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 市原に陣を取時に、武田・小笠原両人が許〔もと〕へ、院宣の御使三人迄〔まで〕被下たりけり。京方へ参〔まゐれ〕と也。小笠原次郎、武田が方へ使者を立て、「如何が御計ひ候ぞ。長清、此使切んとこそ存候へ」。「信光も左様存候へ」とて、三人が中二人は切て、一人は「此様を申せ」とて追出けり。
 武田五郎、子共の中に憑〔たのみ〕たりける小五郎を招て、「軍の習ひ親子をも不顧、増て一門・他人は不及申、一人抜出て前〔さき〕を懸〔かけ〕、我高名せんと思ふが習なり。汝、小笠原の人共に不被知して抜出て、大炊の渡の先陣をせよと思は如何に」。「誰も左社〔さこそ〕存候へ」とて、一二町抜出て、野を分る様にて、其勢廿騎計河縁〔ふち〕へぞ進ける。武田小五郎が郎等、武藤新五郎と云者あり。童名〔わらはな〕荒武者とぞ申ける。勝〔すぐ〕れたる水練の達者也。是を呼で、「大炊の渡(の)瀬踏〔せぶみ〕して、敵の有様能〔よく〕見よ」とて指遣〔さしつかは〕す。新五郎、瀬踏しをほせて帰来て、「瀬踏こそ仕〔つかまつ〕て候へ。但〔ただし〕河の西方岸高して、輙〔たやす〕く馬をあつかひ難し。向の岸渡瀬七八段が程、菱を種〔うゑ〕流し、河中に乱株〔らんぐひ〕打、逆茂木〔さかもぎ〕引て流し懸、四五段が程菱抜捨て流しぬ。綱きり逆茂木切て、馬の上〔あげ〕所には誌〔しる〕しを立て(候)。其を守渡させ給へ」とぞ申ける。武田小五郎、先様に存知したりければ河の縁へ進む。
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武田・小笠原の許に「院宣の御使」が三人来て、「三人が中二人は切て、一人は「此様を申せ」とて追出けり」云々はいかにも殺伐とした戦場エピソードですが、使者というのは本当に危険な仕事でありながら、成功しても失敗しても、後世に名を残すことなどないのが普通な訳ですね。
それなのに、何故か「押松丸」は有名人です。

何故に「押松丸」は『吾妻鏡』に登場するのか?
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/baf530ec127f42d6beefdff1027efaee

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