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新年のご挨拶(その1)

2021-01-02 | 建武政権における足利尊氏の立場
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 1月 2日(土)12時13分30秒

新年、明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

年頭に当たって、今やっている『太平記』検討の今後の展望について大言壮語しようかな、と思ったのですが、私は謙虚な性格なのでやめておきます。
ただ、征夷大将軍の関係は、未読の文献が若干残っているものの、多分うまく行きそうです。
元弘三年六月に護良親王が、そして建武二年八月に足利尊氏が征夷大将軍を望んだという二つのエピソードは、まず間違いなく『太平記』の創作ですね。

征夷大将軍に関する二つの「二者択一パターン」エピソード
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/61a5cbcfadd62a435d8dee1054e93188

「太平記史観」の核心的部分を構成するこの二つのエピソードにより、建武新政期における足利尊氏の立場は極めて不鮮明なものになってしまいました。
そして、実証を重んじたはずの戦後歴史学も実際には「太平記史観」の影響を極めて強く受けていて、特に佐藤進一氏にその傾向が顕著です。
精神医学の専門家でもない佐藤氏により、尊氏は「常識をもってはかりがたい」人物とされ、

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 こんなことをいろいろ並べて考えると、尊氏は性格学でいう躁鬱質、それも躁状態をおもに示す躁鬱質の人間ではなかったかと思われる。かれの父貞氏に発狂の病歴があり、祖父家時は天下をとれないことを嘆いて自殺したという伝えがあり、そのほかにも先祖に変死者が出ている。子孫の中にも、曽孫の義教を筆頭に、異常性格もしくはそれに近い人間がいく人か出る。尊氏の性格は、このような異常な血統と無関係ではないだろう。
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などと決めつけられてしまっています(『南北朝の動乱』、中央公論社、1965、p121)。
このような傾向が網野善彦氏の「建武新政府における尊氏」(『年報中世史研究』3号、1978)によって是正される可能性が生まれ、吉原弘道氏の「建武政権における足利尊氏の立場」(『史学雑誌』第111編第7号、2002)が尊氏像の歪みをかなり正したにもかかわらず、現在でも佐藤氏の描いた精神的な疾患を抱える尊氏像はなお一定の影響力を持っています。
そして、一見すると吉原氏の尊氏像を受け継ぐような姿勢を示しながら、佐藤氏によって矮小化された尊氏像を維持・再生産することに貢献したのが清水克行氏の『足利尊氏と関東』(吉川弘文館、2013)ですね。
私はかねてから佐藤氏同様に精神医学の専門家でもない清水氏が「尊氏の精神分析」を行うことに不信感を抱いていたのですが、『太平記』を検討する過程で、清水氏の歴史研究者としての姿勢そのものに根本的な疑問を感じるようになりました。

「尊氏の運命、ひいては大袈裟ではなく日本の歴史を大きく変える不測の事態」(by 清水克行氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/71b81690120a880e7c1589183c634df0
清水克行氏による「尊氏の精神分析」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/25befb1f5a691966a61ffe63c2baecc3

そこで、清水氏の見解を批判的に検証した上で、建武新政期の後醍醐と尊氏の関係を見直したいと思います。
その際には、中先代の乱を鎮圧するために東下した尊氏が詠んだ一首の和歌を分析する予定です。
この和歌については今まで歴史研究者は殆ど注目していなかったと思われますが、国文学の方では若干の検討がなされており、特に古い世代の研究者の意見が参考になります。

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建武二年内裏千首歌の折しもあづまに侍りけるに、題をたまはりてよみてたてまつりける歌に、氷

ながれゆく落葉ながらや氷るらむ風よりのちの冬の山川(新千載626)

足利尊氏(水垣久氏「千人万首」)
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/takauji.html

さて、私は「原太平記」に干渉して征夷大将軍に関する二つの「二者択一パターン」エピソードの挿入を強要したのは足利直義だと考えていますが、直義が何のためにこのような干渉を行ったのかを検討する際に一番参考になるのは山家浩樹氏の『足利尊氏と足利直義 動乱のなかの権威確立』(山川日本史リブレット、2018)です。
東大史料編纂所の所長も務められた山家氏は歴史学界の最もオーソドックスな知性を代表する研究者ですが、『太平記』という特異な歴史物語は山家氏のようなタイプの知性でも解明できない部分を残していると思われるので、山家説を参考にしつつ、直義による足利家権力の正統化と『太平記』の関係、そして『太平記』の作者と成立年代の問題に迫って行きたいと考えています。
ということで、以上で『太平記』の検討は終える予定だったのですが、昨年末に『史学雑誌』129編10号(2020)の「特集 天皇像の歴史を考える」に載った佐藤雄基氏(立教大学准教授)の「鎌倉時代における天皇像と将軍・得宗」という論文を読んで、更に研究対象を拡大する必要性を感じるようになりました。

>キラーカーンさん
今年も宜しくお願いします。
「鎮守府大将軍」については先行研究がありそうなので、少し調べてみるつもりです。

※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/10511
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