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「なぜ貞子は、この二条に口述・筆記させなかったのであろうか」(by 角田文衛)

2019-03-21 | 猪瀬千尋『中世王権の音楽と儀礼』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 3月21日(木)10時53分2秒

続きです。(p17以下)
「貞子の義理の孫、つまり養女の近子が産んだ娘」の後深草院二条も登場します。

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 治部卿局も、壇ノ浦で夫・知盛の壮烈な最後や安徳天皇の入水を傍近くで目撃したばかりでなく、建久七年には息子の知忠の首実検を強いられた悲劇の女性であった。同じ邸内に住んでいた治部卿局は、折にふれて平家の栄光と惨劇の次第を貞子に語りきかせたに違いないのである。
 小督局とのロマンスで有名な貞子の祖父の隆房は、高階泰経(一一三〇~一二〇一)と並んで後白河法皇の寵臣中の双璧であった。そうした背景もあって、隆房は、壇ノ浦の後においても公然と平家の支持者としての態度を表明して憚らなかった。父の隆衡は、平清盛の孫であったから、これまた平家に対して親近感を抱いていた。以上によってもその一端が窺える通り、貞子は平家の縁者、同情者、関係者に囲まれた環境で成人したのである。
 やがて貞子は、西園寺家の藤原実氏(一一九四~一二六九)の正妻となり、娘を二人ほど産んだ。西園寺家は、「承久の乱」後、著しく脚光を浴びて政界に雄飛し、実氏は太政大臣にまで昇進したし、また娘の※子(後の大宮院)は、後嵯峨天皇の中宮に立てられ、後深草・亀山両天皇を産んだ。さらにはもう一人の娘の公子(後の東二條院)は、後深草天皇の中宮となった。
 これに加えて健康に恵まれていたため、貞子の福慶は、たぐい稀なものであった。しかしその間にも彼女は、残された平家の人々のさまざまな運命に心を寄せ、八、九十年に亘って彼らの禍福、浮沈を見守り続けたのである。
 実のところ、平清盛の曾孫に生まれ、極めて平家的な環境の中で育ち、かつ鎌倉時代を生き抜いた藤原貞子ほど『平家後抄』の著者として好適な人物は、他に求め得ないであろう。しかし貞子は、父や弟の隆親とは違って文才に恵まれなかったらしく、親しく見聞した平家一門の人びとの動きについては、なにひとつ記録を遣さなかった。『とはずがたり』の作者・二条は、貞子の義理の孫、つまり養女の近子が産んだ娘であった。なぜ貞子は、この二条に口述・筆記させなかったのであろうか。
 これは今さら悔んでも為〔せ〕ん方ないことである。しかしそれだけに北山の准后─従一位・藤原朝臣貞子─に代って壇ノ浦以後の平家の動静について綴ってみようと言う意欲も旺んに盛り上るのである。
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ということで、「平清盛の曾孫に生まれ、極めて平家的な環境の中で育ち、かつ鎌倉時代を生き抜いた藤原貞子ほど『平家後抄』の著者として好適な人物は、他に求め得ない」にもかかわらず、貞子自身は「父や弟の隆親とは違って文才に恵まれなかったらしく、親しく見聞した平家一門の人びとの動きについては、なにひとつ記録を遣さなかった」ので、角田氏は「北山の准后─従一位・藤原朝臣貞子─に代って壇ノ浦以後の平家の動静について綴ってみよう」と決意された訳ですね。
この「に代って」を講談社の編集者ないし宣伝担当者は「仮託」としてしまった訳ですが、別にどこにも北山准后に「仮に託した」記述はないので、やはり変ではないかと思います。
なお、角田氏は「貞子の義理の孫、つまり養女の近子が産んだ娘」という具合に四条隆親の娘、後深草院二条の母親の名前が「近子」だと言われているのですが、この点、私は未だに納得できていません。

※2022年10月22日追記
「近子」については、2020年4月に若干の分析を行いました。

四条家歴代、そして隆親室「能子」と隆親女「近子」について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b00ceaddfb29cda1d297e2865a68055a
「偏諱型」と「雅名型」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d68c12fe57fdb5c8b3cdd20e347f5cac
二人の「近子」(その1)~(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cab06b8079de0a02dcc067ca30d4c4bb
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/59c49697176f8ff9a16a3917041217e6
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b5f2a26745f54da5d6e93f44843e49ad
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/482deb8d7d6f9bb02e583f66a0804c6b

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