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永井晋氏「倉栖氏の研究─地元で忘却された北条氏被官像の再構築─」(その1)

2022-07-16 | 唯善と後深草院二条
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 7月16日(土)12時34分23秒

二年前に鎌倉時代の「小野宮」と浄土真宗の関係について少し考えてみたときは永井晋氏の「倉栖氏の研究─地元で忘却された北条氏被官像の再構築─」(『金沢北条氏の研究』所収、八木書店、2006)に気づいていなかったのですが、これも貴重な研究ですね。
この論文は、

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はじめに
一 倉栖氏の名字の地
二 倉栖氏と下河辺庄
三 金沢家御内祗候人倉栖氏
四 倉栖氏と真宗
おわりに
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と構成されていますが、第四節の冒頭部分を少し引用してみます。(p282以下)

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    四 倉栖氏と真宗

 倉栖氏に関する最も新しく、かつ大きな問題に発展しそうな気配をもつものが中世真宗との関係である。この問題の重要性について筆者は理解しているつもりであるが、いまだ独自の見解を出すほどに研究を深めていない。そのため、ここでは先行研究の整理と展望をのべることにしたい。
 親鸞の布教によって真宗は東国に多くの門徒を獲得した。そのことについては数多の蓄積があり、平松令三『真宗史論攷』第一章「関東真宗教団の成立と展開」(同朋社出版<一九八八年>)や内山純子『東国における浄土真宗の展開』(東京堂<一九九七年>)のような精緻な基礎研究によって、現段階の水準において到達できる基礎研究のレベルは終わったかにみえる。この研究の最大の問題点は、本願寺教団を真宗の正統とするようになったのが蓮如以後であるにも拘わらず、初期真宗の段階から後の本願寺教団に連なる系統を正統とみてしまっているところにある。それは、関東に展開した真宗門徒が戦国時代に衰微し、現存する史料の圧倒的な部分が本願寺教団側の視点から書かれたものであるという史料の偏在を意識せずにテキスト・リーディングしてきたためといえるが、その事について論じることが本節の目的ではない。
 鎌倉時代後期の唯善事件が発端となって、初期真宗教団は京都の大谷廟堂を拠り所とした人々(後の本願寺教団)と東国門徒の強い支持のもとに下河辺庄を拠点に新たな集団を形成した唯善与同位の人々に次第に分かれていった。倉栖氏が接点をもつのは下河辺庄に移って布教を始めた唯善の孫善宗や、覚如上人(本願寺三世)に義絶されて関東に下向した存覚上人であり、後に本願寺教団を形成して主流派となる人々から傍流ないし異端とみられた人々である。その事が、今まで倉栖氏と真宗との関係が一顧だにされなかった理由であろう。
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いったん、ここで切ります。
「その事について論じることが本節の目的ではない」に付された注(15)を見ると、

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(15)東国門徒の視点から行われている研究には、峰岸純夫「鎌倉時代東国の真宗門徒─真仏報恩板碑を中心に─」(『中世仏教と真宗』<一九八五年>)・津田徹英前掲論文・西岡芳文「阿佐布門徒の輪郭」(『三田中世史研究』一〇号<二〇〇三年>)がある。
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とあり、「津田徹英前掲論文」は「親鸞の面影─中世真宗肖像彫刻研究序説─」(『美術研究』375号、2002)ですね、
これらの研究について一応の知識がないと永井論文の理解も困難ですが、概要については、例えば下記記事を参照してください。

今井雅晴氏「唯善と山伏」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dfd71231cec964dfed9964b7a203e5ac

そして、本格的に理解したい人にお奨めなのは何と言っても峰岸論文ですが、これは私が旧サイトに勝手に転載しており、今はリンク先で見ることができます。

峰岸純夫「鎌倉時代東国の真宗門徒-真仏報恩板碑を中心に-」(北西弘先生還暦記念会編『中世仏教と真宗』、1985)
http://web.archive.org/web/20131031003035/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/minegishi-sumio-shinshumonto.htm
http://web.archive.org/web/20150526225556/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/minegishi-sumio-shinshumonto-02.htm
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