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「姫前との関係を足がかりに、具親と輔通・輔時父子に「光華」がもたらされた」(その2)

2022-07-14 | 唯善と後深草院二条
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 7月14日(木)11時11分9秒

7月8日に安倍元首相が亡くなって以降、何となく投稿の意欲が減退してしまい、暫く休んでいましたが、またボチボチと始めたいと思います。
ただ、あんな風に突然に生命が断ち切られてしまう出来事を見ると、まあ、私の場合は特に重要人物ではないので殺されるようなことはないにしても、交通事故で死んだりする可能性はそれなりにある訳で、やはり物事に優先順位を付けないといかんなあ、などと思ったりもしました。
私が投稿しているのは大半が遥か昔の時代に関する些末な考証ですが、実は前々から書きたいと思っているテーマもあって、これを先送りせず、ある程度纏めて置こうかなと考えています。
とはいっても、現在進行中のテーマをいきなり全て断ち切るのももったいないので、後日の再開の準備として、ほんの少しだけメモを残しておきたいと思います。
まず、『京都の中世史3 公武政権の競合と協調』で長村祥知氏が執筆された部分についてですが、関東伺候廷臣に関する長村氏の小さな勘違いは、別に長村氏の論旨に影響を与えるようなものではありません。
ただ、源具親は私にとってなかなか興味深い存在で、二年前に北条義時とその正室「姫の前」の離縁の時期が気になって色々調べてみたとき、「姫の前」が源具親との再婚後に生んだ源輔通(1204-1249)の女子が後深草院二条の父・中院雅忠の後妻になっていることに気付き、びっくり仰天しました。

「姫の前」、後鳥羽院宮内卿、後深草院二条の点と線(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5425af06d5c5ada1a5f9a78627bff26e
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/048db55d52b44343bbdddce655973612

そこで森幸夫氏の「歌人源具親とその周辺」(『鎌倉遺文研究』40号、2017)などを参考に、源具親を調べてみました。

(その3)~(その6)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/36f97f0c096f79dbb511b764f4e496f5
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d700cdb46bad37044c1e151617aae601
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/224e32ebc96bd05bb37e911e224f9da0
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/411da463a2627b80aa6b8470a3d379b4

源具親を理解するキーワードは「小野宮」ですが、高群逸枝の『招婿婚の研究』以来、小野宮第の伝領は女系継承となっている点に関心が持たれています。
しかし、男系継承となって以降の研究は希薄です。

(その7)~(その11)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cd10557d5d5004a8c2490580064024f1
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e25ca33e2668e2a0f9757cf7c14db3cb
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9cbbc1c9a4e22fdb093f80ab069920d8
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e9df962f6fffa8d9a9e13f51006887b4
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3291b859ee77ebafc99191fc361a215d

具親は源通親との接点もあり、「親」は源通親からもらったのでなかろうかと私は考えています。

(その12)~(その14)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2ddeb9ae84de5fe39385562f47939a3c
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e708171f4e7efbc9a9592b6a1fce5211
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/46c1bc2dcb83e23319bf2e7efdcc0396

ところで具親の息子には「姫の前」が生んだ輔通・輔時以外に「小野宮禅念」がいて、この人は親鸞の娘・覚信尼の後夫であり、その息子が浄土真宗の歴史の上では極めて重要な人物である唯善なのですが、驚いたことに唯善は「大納言雅忠の猶子」であり、従って後深草院二条とも何らかの関係があったかもしれない人物です。

源具親の孫・唯善(大納言弘雅阿闍梨)について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/65800c8bdbfcba6cde8d34f56280c945

そこで、浄土真宗は全く不得意な分野ながら、中院雅忠が浄土真宗の歴史の中で果たした役割の断片でも見つけることはできないだろうかと思って、素人なりにあれこれ調べてみたのですが、結局何も分からず、放置したままでした。

今井雅晴氏「唯善と山伏」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dfd71231cec964dfed9964b7a203e5ac
今井雅晴氏「若き日の覚如」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4202e02e274c369f47c699f70c68404a
重松明久『人物叢書 覚如』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5c860bee63eefcce083e9a8a8f899a57
『慕帰絵詞』に登場する「小野宮中将入道師具」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/35e717946835992c753bed16d75f6da3
二人の「宮内卿」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fa2b899cb15e8906fc13509f17b2c57d
ミスター宮内卿を探して
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2d226c24b2af0c6b9dac3e9af550da63

今回、もしかしたら浄土真宗の歴史に何か新しい知見を付け加えることができるかも、という微かな希望を持って、改めて最近の文献を少し集めてみたのですが、これはしばらく先の課題とします。
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