学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

摂家将軍

2009-10-18 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年10月18日(日)18時44分27秒

>筆綾丸さん
>四代将軍藤原頼経と五代将軍藤原頼嗣は、「武威」によって御家人たちを統率する「武王」=「鎌倉殿」

摂家将軍については研究の蓄積が乏しいようですが、勝軍地蔵の話題が出たときに触れた黒田智氏の『中世肖像の文化史』には「鎌倉と鎌足」という論文が載っていて、参考になりますね。
摂家将軍を迎え入れる武士の側も当初は取り扱いに迷ったでしょうが、摂家将軍に「武威」によって御家人たちを統率する「武王」たる存在であることを求める動きも確かにあって、「武王」としての摂家将軍を基礎付けるイデオロギーも次第に形成されていったようです。
また、現実に頼経は、一部勢力からの期待に応えて「武王」としてふるまう姿勢を見せ、その結果、北条氏に排斥される訳ですから、皇族将軍に替わった時点で、従来の「武王」=「鎌倉殿」的取り扱いを再考しようという発想が出てくることは自然だと思います。
森氏の記述は、摂家将軍についての説明が不足しているものの、基本的には正しいのではないかと私は思います。

『中世肖像の文化史』
http://www.perikansha.co.jp/html/1158-7.html
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