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『とはずがたり』の年立

2018-03-06 | 『増鏡』を読み直す。(2018)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 3月 6日(火)22時21分19秒

ネットで得られる後深草院二条関係の情報で最も軽やかで薄いもののひとつに「編集工学」の松岡正剛氏が書いた『とはずがたり』論があります。(『松岡正剛の千夜千冊 第967夜』)

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 ついで巻2に入って、文永12年のこと、作者は18歳になっているのだが、その正月に粥杖事件というものが宮中でおこる。これで作者は後宮におけ自分の身の位置を知らされて、恐ろしくなる。
 一方、この年に後深草院の弟の亀山院から好意を示され、さらに、御室の仁和寺の門跡の「有明の月」という阿闍梨からも迫られて、契りを結んでしまう。
 1年がたって建治3年、20歳の作者は後深草院と亀山院の遊宴に奉っているとき、またまた女楽(おんながく)事件という失踪騒動をおこしてしまう。もはや何がなんだかわからなくなった作者に、よほど魅力があったのであろう、ここでまた近衛の大殿という男性と交わることになる。これは後深草院が作者の後見人に大殿を指名したことの奇妙な交換条件だったようで、その運命に巻こまれていったらしかった。
 巻3では、弘安4年(1281)になっていて、作者はふたたび有明の阿闍梨と交情して懐妊、男児を生む。この噂は広まるのだが、おかしなことに後深草院は有明との関係を咎めない。そればかりか、懐妊を知るとその子を院の皇子として引き取って、後宮の女房の一人に育てさせようと言う。
 ところがここで、有明が流行病に罹ってあっけなく死んでしまう。そこに亀山院との仲が世の噂となってきて、宮仕えがしにくくなり、作者は里居がちになる。おまけに有明とのあいだの第二子も懐妊していることがわかって、作者としてはこれは自分が育てるしかないと悟る。


「もはや何がなんだかわからなくなった作者」という表現は面白いものの、これは鏡に映った松岡氏自身の像のようですね。
東大名誉教授の故・三角洋一氏の場合、その真摯な研究態度は松岡氏などとは対極にあって、『とはずがたり』の年立(としだて)、即ち『とはずがたり』に描かれた様々な出来事を時系列に沿って位置付ける試みに際して必然的に生ずる大混乱を、本当に粘り強くひとつひとつ解きほぐし、なるべく矛盾がないように整理して行こうとした三角氏の努力には頭が下がります。
ただ、その努力の成果である同氏作成の「『とはずがたり』年表」(岩波新体系、p362以下)が説得的であるか否かは別問題で、原作に時系列上の大混乱がある以上、どんなに努力しても無理があり、最終的には『とはずがたり』の年表を作成すること自体に意味があるのかを問わねばならないと私は考えます。
『とはずがたり』に歴史的事実との矛盾があり、多くの虚構が含まれていることは、三角氏を始め多くの国文学研究者が認めていたのですが、しかし、そこから一歩進んで、『とはずがたり』が一部に虚構を含む「自伝」ではなく、「自伝風の小説」だと考えた研究者は、私の知る範囲では皆無です。
いったい『とはずがたり』の何が多数の研究者の認識を「自伝」の枠内に閉じ込めているのか。
ひとことで言えば、それは『とはずがたり』の描写のリアリティなのでしょうが、では、リアルな部分とリアルでない部分を分ける基準は何なのか。
私が多くの国文学者の『とはずがたり』論を読んで漠然と感じたのは、この人たちはアブノーマルな性愛が描かれていればいるほど、それをリアルと感じる人たちなのかな、ということです。
『とはずがたり』に描かれた後深草院は様々な異常性欲の持ち主で、一言でいえば「変態」です。
「近衛大殿」も妊娠九か月くらいの妊婦と関係を持つことに喜びを感じる「変態」で、「有明の月」は「変態」度は低いものの、妄執の程度が半端ではなく、やはりアブノーマルな人物です。
後深草院二条の愛人の中で「変態」ないしアブノーマルではない人は「雪の曙」くらいですね。
変態度が高まれば高まるほど、アブノーマルの程度が上がれば上がるほど「リアル」に感じる人たちって、その人たち自身が精神的には「変態」でありアブノーマルなのではないかな、と私は思っているのですが、違っていたらすみませぬ。

>筆綾丸さん
>遊女

二条は霜月騒動に勝利して恐怖政治を敷いていた平頼綱の正室や息子と交際していた訳ですから、鎌倉以外の地においても実際には相当レベルの高いVIP待遇の旅行者だったのでしょうね。
ただ、物語の都合上、贅沢三昧の大名旅行をしていたとは書けないとしたら、何かしみじみした雰囲気を醸し出す材料が必要となり、そのひとつが遊女だったのでは、と思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

遊女のこと 2018/03/05(月) 22:26:30
小太郎さん
『とはずがたり』巻四を眺めてみました。
前半の短い文のうちに、近江国鏡宿の遊女、美濃国赤坂宿の遊女、武蔵国岩淵宿の遊女、と三度も遊女が出てきて、同性の視点とは言いながら、くどすぎるように感じました。この遊女へのこだわりは何なのか。
巻五では、遊女は備後国鞆津に一度出てくるだけですが、物語の流れとして両巻にそれぞれ一度で充分であり、さらには、巻四の赤坂宿の描写と巻五の鞆津の描写は内容的にコレスポンドしているから、鏡宿と岩淵宿の遊女の描写はなおさら不要なのではあるまいか、などと余計なことを考えました。
なお、鞆津の直前で須磨・明石に言及し、ずばり、光源氏の名が出てくるのですね。
・・・以上、つまらぬ感想で恐縮ですが。
コメント
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