学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「歴史研究者は、研究対象に似てくる」(by 呉座勇一氏)

2018-03-10 | 『増鏡』を読み直す。(2018)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 3月10日(土)22時46分17秒

『増鏡』の後半に進むためには『とはずがたり』の検討が不可欠であることは既に書きましたが、どの程度の分量を『とはずがたり』に割くかについて少し迷っているところです。
『とはずがたり』は軽めに扱って早く『増鏡』に戻り、とにかく『増鏡』を最後まで全部読み通すことを優先するか、それとも『とはずがたり』について普通の人が抱くであろう疑問を早めに整理・解決しておくことを優先すべきか、という問題なのですが、ここは急がば廻れで後者のルートを選んだ方が結局は後の展開が楽になりそうな感じがするので、暫くは『とはずがたり』を丁寧にやろうかなと思っています。

>筆綾丸さん
>「歴史研究者は、研究対象に似てくる」

限りなく歴史研究者に近い国文学者の小川剛生氏は二条良基に似ているような感じがしますね。
ずいぶん昔、テーマも忘れてしまったのですが、私は国文学のシンポジウムに行ったことがあって、壇上には六十代以上の錚々たる教授・名誉教授陣とともに若き小川剛生氏も並んでいました。
そして、何かの問題でお歴々がそれぞれの薀蓄を傾けながらも今一つすっきりしない雰囲気が漂っていた時、小川氏が「それはこれこれの文献にこう書いてある」と一刀両断してしまい、問題は綺麗に解決したものの、中途半端な回答をしていたお歴々は随分きまりの悪そうな顔をしていて、ちょっと気の毒でした。
小川氏には年長者への遠慮は全くなく、平然としていたので、私は、この人は二条良基の生まれ変わりだな、と思いました。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

茣蓙と講筵 2018/03/10(土) 15:19:10
小太郎さん
ご紹介の呉座氏の新書を読み始めました。
河内祥輔氏を罵倒していた元木泰雄氏の説を批判しているくだりは、なかなか面白いですね。
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・・・私は常々「歴史研究者は、研究対象に似てくる」と感じている。中世の公家を研究する者は、彼らの価値観、思考様式を深く理解しなくてはならない。そうやって長年彼らに寄り添っていると、ものの考え方が知らず知らずのうちに彼らと似てきてしまう。当時の公家が「非常識であり得ない」と思うことは、その研究者にとっても「非常識であり得ない」ことになってしまうのである。(同書41頁)
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サルの研究者がサル顔になる、ナマズの研究者がナマズ顔になる(某親王)・・・のと同じようなことですが、天皇の研究者がはたして天皇に似てくるかと云えば、適例が思い浮かばない。また、「中世の公家を研究する者」たとえば本郷和人氏はどうだろうか、と考えると、呉座氏の仮説にはあまり説得力があるようにも思えませんね。
日本史の中に瓦礫のように転がっている数多の陰謀説を一掃してしまいたい、という呉座氏の苛立ちには共感できます。

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なお本書は、二〇一六年度に立教大学で開講した全学共通カリキュラム「歴史学への招待」の講義内容を基にしている。(あとがき、335頁)
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呉座氏の講筵に列した学生諸君のうちで、茣蓙と筵は同義語だと気付いた人は、どのくらいいたのかしら? どうでもいいことですが。
コメント
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