裏磐梯 秋元湖にほど近い森の中から・・・

裏磐梯の森の中の家、薪ストーブ、庭、山、酒、音楽を愛する独居老人の日常生活の記録、綴り続ける備忘録。

 

三十路 思い出深き手びねりの盃 

2023年11月08日 | 若き日の思い出

新橋駅から虎ノ門に向かう裏通りに「ふきだまり」という小さな居酒屋があった。

同期の飲み仲間Kと銀座の営業所からいつもは行かない新橋に向かってブラブラ、

(どうして新橋に行ったか動機不明)開店したばかりの「ふきだまり」に彷徨い込んだ。

L字カウンター、6、7脚の椅子、4、50代の和服、白い割烹着姿の女将、

店内は無駄な装飾なく簡素、清潔、女将ぽつねん、客は誰もいない。

確かメニューもなかった、女将が手早く少量の肴を作ってくれる、

女将が美人とか聞き手上手とか楽しい話題提供者ということはまるでない、が

それにもまして居心地が良かった、のだろう。

その後、同期飲み仲間のMも加わり何度「ふきだまり」に通ったことか。

我々は女将を「おばちゃん」と呼んだ、悪友3人揃うと「おばちゃん」に行こうか・・・

確か私の30歳の誕生日だったと思う、昭和49年(1974年)

おばちゃんに俺たち全員三十路、といった記憶が鮮明にある、

帰り際に棚に目にしたことがなかった盃、器はすべて陶芸をしている「おばちゃん」の作、

記念にもらっていくよ、「おばちゃん」の同意のないままそれぞれのポケットに。

そして現在もその盃は不思議に手元に存在し続けている。

行くと閉店過ぎまで飲むのが常、帰りは無線タクシーを2台呼んでもらう。

プッシュホンの普及してない時代、「おばちゃん」はジーコ、ジーコと何度もダイアルを回し続ける。

当時はその時間帯、呼ぶ客が多く無線タクシーセンターになかなか繋がらない、

ホットラインもあったがそれもやがて周知、だめに。

Mは松戸へ、3人「おばちゃん」中目黒、K、南青山、経て自宅、板橋へ。

私の転職、転居後、Mは毎年やってきてくれるがKは互いに都合がつかず、

年賀状のやり取りだけで終わっていた、一昨日Kのご遺族から喪中のハガキ、愕然。

毎年来るMから親しかった同僚、先輩の死を多く聞くショック、そして今度はKまで・・・

Kご夫妻には公私共に大変お世話になった、記さねばならない多くの思い出がある、が、

ここに記すことができない。

Mは盃のことを全く覚えていないと言うがKは覚えていただろうか?

今や確認することはできない、合掌・・・

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